2013
05.31

5月、今月のありがとう’2013

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

【A Thank-You Note To Our Friends】
目黒区MNさん 品川区IMさん 港区MTさん 練馬区SHさん 港区KKさん 東久留米市HYさん 品川区KMさん 横浜市IMさん 港区ATさん
毎月、パーマネントにご寄付頂いている方々に心からお礼申し上げます。

そして、今月、はじめて参加して頂いた品川区のKMさんにも心から「ありがとう」とお礼を申し上げます。

また、品川区のIMさんからさまざまな種類の心遣いのあるフードを、港区のUさんからドライフード10キロを送って頂きました。外の猫、室内に保護した猫、それぞれ振り分けて使用しています。気持ちは届いています。ありがとうございます。

頂きました寄付金や支援物資は実際の活動に有効に使われています。この点だけは確信を持って誠実に約束できます。

【今月の買い物ラプソディ】
今月/5月の「お買い物」と「経済事情」について。

まず、最初は「猫の保護活動」の費用の件です。外猫と保護猫両方のフード代(ウエットフード・ドライフード・生利などの魚類)。雑貨・用品代(トイレ砂・爪とぎ・外活動用品のガムテープや食塩や食器etc.)。医療費代。などがザーッと出ていった出費で、総費用の内約35%を頂いた寄付金で賄わせていただきました。通信費や交通費や会議費やボラバイトへのお礼費用などは計上していません。

次に活動内外の経済状況について。先月は「猫の郵便」の活動で最も多く使っている缶詰「純缶」の入手価格が上がりました。
嘆く間もなく、今月5月は「魚正」の商品事情に何やら不穏な動き。 
今までの品が製造中止になり、リニューアルになるとのこと。大量消費している側にとっては物騒な話です。
ネット上のショップで今まで3缶1パック191円が、一気に260円にUPですって! もう、頭くらくら。
でも、負けじと、調べに調べて、某ドンキホーテで238円の品を見つけて来ました。「魚正」は一か月に3ケース(54パック=162個)以上使用していますので、年間トータルで考えると少しの物価上昇でも懐にガ~ンと響きます。
外猫の中には「純缶」よりも「魚正」をこよなく愛している「魚正」フリークの猫さんがいるので買わないわけには行きませんしね。恨むぞ、アベノミクス!

あーっ、それに。魚正に関しては、だいぶ前に巧みな価格操作の前歴がありました。
1缶165g入りだったものをいつの間にか正味160gにし、実質的な値上げをしました。また、一方「純缶」の方は「純缶」の方で、中身本体のゼリー量のパーセンテージを増やし“身”を減らすという巧妙さで、これも目立ちはしないけれど明らかな値上げでした。

そうして、ここに来てのアベノミクス。いやアホノミクス。
キャットフードは海外で製造しているか、外国産を販売してしるものが多いため、円安になれば輸入扱いの商品はモロに打撃を受けます。・・・魚正は韓国とタイ。純缶もタイ。モンプチ・ドライがオーストラリア。モンプチ・ウェットがアメリカとタイ。ローヤルカナンがフランス。などなど。
円が安くなれば、同じ金額で手に入る量が減るのは当たり前です。それに加えて、ガソリンや電気等の生活周囲の価格も上がってゆくと色んな影響が今後予想されますね。
大企業に優しいアベノミス、一般に生きる市民に厳しいアホノミクス。値上げラッシュが身にしみます。 アベノミクスとはこういうことだったのです。

しかし、ぼやいているのはこれ位にして、ささやかな自衛策として前倒しの大量購入をしました。一時しのぎですが、1パック238円として半年で15,000円超の差額になります。少額ずつの値上げであっても、半年一年で見ると大きな金額になって活動を圧迫します。

経済面で締め付けられ、その上、マイナンバー法や憲法改正で世の中が様変わりして、外猫の保護活動までも締め付けられなんて事にならないように。
猫たちだけを見つめているのではなく、社会の動きにも注意を払って「見てゆかねば」と思う今日この頃なのです。                             (鉄腕ウンガ)


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2013
05.30

ソラリスの海に泳ぐ猫

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夜は暗い。暗いから夜。当たり前のことだ。しかし近ごろは世の中の方がもっともっと暗いかもと思う。みんな何を考えているのか、てんで分らない時代になった。

生きているこの時代を象徴するようなヒット曲(音楽)は全々生まれなくなった。「これを見逃しちゃ、一生の損!」と思えるような新作の映画にも出会わなくなった。

オンライン・ニュースによると、村上春樹の新作には今どき桁外れの予約と本屋には長蛇の列ができたそうだが、自分はその列に並ぶ気はハナからなかった。村上って人が退屈だからだ。

退屈な世の中だなと心底思う。あげ足を取られたり、猫だましにあったりはあるけれど、心奪われたり、眼が釘づけにされるようなことは何もない。虚ろなニュースと虚ろな風景が果てしなく続いている。

想像力が無価値の時代。イマジネーション欠乏の時代。金(かね)だけが玉座に居すわるグローバリズムの時代が駆け抜けている。みんな振り落とされないよう沈まないよう必死になってもがいている。

「猫はいいなー。自由で」と背後で見知らぬ声がつぶやいた。振り向いたら、ありきたりな顔をした汚い男が立っていた。屋根なし暮らしの猫の身の上に何が起きているのか知りもせず。自由を選ぶ覚悟もないくせに。

「テレビの時代は終わった」と誰かがシタリ顔。だけどTVノーの私にも、テレビから零れる雨水はネットの世界まで伝ってくる。大阪市長橋下徹が自らの“舌禍の海”に溺れているという。暗い崖から深い闇をのぞいたような気がした。

差別を受けてきた者が梯子をよじ登り、高みから何かを蔑んで見せ、唾を吐きかける。熱狂する群衆。逃げてゆく理性。自分の出自を敵にする橋下徹は敵から逃れるために梯子を登り続ける。社会的高位、しかしそれは仮装だ。

心の闇やコンプレックスは逃げれば逃げるほど影になって追いすがる。漂うソラリス(知的生命体)の海の“青”はDNAと瓜二つ。誰もがこの“青”から逃れられない。壁ぬりしても浮かび上がる。映画/太陽がいっぱいを思い起こす。

青からはじまり、青に還る。六本木の猫のミミは片目を失くした“青”。高速下の猫のイーダは暴漢にしっぽを切断され剥き出しの“青”。港の夕焼けタラちゃんは相棒猫を失いひとりぽっちになった深刻な“青”。青と共に生きる。

誰にとっても人生は未航海の海、知的生命体ソラリスの海の青と言い争いと和解を繰り返しながら。午前0時、信号待ち、麻布某町路地の裏。牛のように反芻する不安と漠々とした思い。背中で猫のキッドがニャンと鳴いた。

ソラリスの海の青に泳ぐ猫たち。見捨てられた猫たちを守る活動はまさしく海図のない航海。その青と闇を敵に回して恐れるよりも、青の深く、もっと深く、闇の深く、もっと深くにサブマリンしてアップアップする。それもまた道。

「その方が退屈しなくて良いかも」とソラリスの海のミッドナイト・サイクリング。梅雨入り宣言のニュースと示し合わせたかのように降り出した霧雨の中、使いくたびれた自転車の古相棒がキシキシと音を立てていた。全て青に還る。


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2013
05.29

侍ニッポン、地域猫活動

Category: 地域猫活動
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夜。外猫活動のサイクリング途中、「もう5月も終わり。早いなぁー。あと2か月も経たないうちに、夏か!」と暗い空に一人愚痴ってみた。
今年の5月に爽やかな残像は残らなかった。来る日も来る日も風また風の日々に悩まされた。
猫が一番きらうのが激しい風。激しく突風が吹くと猫たちは勢い一目散に逃げてゆく。ドッドッドドドッ ドッドッ
活動する人間にとっても、大量に荷物を積んだ自転車が風に蹴倒されるのは一大事。そんな時は素手で自転車を抱え持ち、階段を降り、風止む場所へ避難しなければいけない。
港近く高層ビル立ち並ぶエリアは乱気流が闊歩する名所だ。

そうしてこうして、ある現場に到着すれば、今度は地べたにキャットフードのばら撒き。手で掃除して、水を撒き、「3日前にポスター貼ったばっかりなのに。“食料は足りています。不規則なフード置き去りは止めてください”って。字が読めねェーのか、この野郎!」とまた愚痴った。深夜の独り言、人のいないゴーストタウンでは誰の耳にも届きはしない。
過去、不規則エサやりの現場に遭遇した時は、丁重な姿勢で説明し、お願いしていた。
が、聞く耳を持つ人はほとんどいなかった。
「あんたの猫じゃないでしょ!」と、今でも耳にぐわぁーんぐわぁーんとフラッシュ・バックしてくる。これだっ。

地べたのフード置き去りは、寄生虫の原因にもなるし、夏場はフードを地べたに置いた瞬間ほんの数秒でアリ・虫が群がってくる。見た目もよくない。公共心にも問題がある。猫にも悪い。失礼だ。
何度も説明した。しかし・・・
そんな彼ら/彼女らは、猫が病気になっても、車にひかれても誰も助けようとしなかった。鉄腕ウンガさんのところの蘭さんがいい例だ。(シャボットで調べてみてください)
だけどさ。「侍ニッポンどこへ行く!」と思ってみたところで空しい風が吹き抜けるだけ。
「侍ニッポンの心があれば、弱い犬猫を捨てる、そんな真似はしないか!」と、ミッドナイト、胸の内のこだまが口元でため息まじりのつぶやきに変わる。

ポスター駄目、効果なし。説得も無駄、効果なし。
東京港区はビジネスマンの街。外から来る人の街。通過してゆくだけのパッセンジャーの街。
言い捨て、吐き捨て、食い捨て、飲み捨て、投げ捨て自由が謳歌する無責任が行き来する街。
本人口が少ない街々。だから、地域猫活動を行うには他所の地区とは別の特殊な事情と困難さがある。
でも、住宅地の杉並や世田谷、練馬や中野には、「こことは違った別次元の大変さがあるんだろうな」ということは分っている。
心折らず、逃げ出さず、自分の持ち場でガンバリますか。フ~っ。


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2013
05.28

猫と犬の姿に「カナリア理論」を見る

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5月27日ジャーナルの「炭鉱のカナリア」理論の仮説が、分りにくいと指摘を受けました。

その原因は間違いなく、へたくそな文章が一番の要因にちがいありません。
何しろ、突貫工事でブログの文章を書きなぐり、PC前から振り向きざまに慌てふためいて外猫弁当の準備をし、
飛び立つ鳥の勢いで弁当配りに出かけ、「タッチダウン!」と帰るやいなや外の景色をまだ目の中に残したまま原稿チェックし、ブログ更新する。そして再び早朝の後片付け作業にすっ飛んでゆく。
こんな具合の毎日なので許して頂きたい。 気が回らなくて。

そうですね。「炭鉱のカナリア」理論。炭鉱とカナリア。
炭鉱、閉ざされた空間。カナリア、繊細な命の仕組みを持った生き物。
閉ざされ密閉された危険な空間と繊細な命の仕組みを持った小さな生物の組み合わせ。
生きるか死ぬか。All or Nothing!
このシュチュエーションで小さなカナリアを弱い存在と見すえた訳です。
カナリアが生きていける空間か、カナリアが生きてはいけない空間か。つまり、その空間が安全であるかどうかをカナリア(弱い存在)が教えてくれる。

でも、視野を広げてみれば、こういうことは良く見聞きすること。立派な学者や識者がむずかしい本をめくりクドクド能書き語るよりも、弱者や狂人が時に目の前の真実にふれ/真実の歌を歌ってるってこと、こっちの方が断然多いし、感動的だったりする。

弱い存在、弱者が羽根を広げて伸び伸びと生きていける世界。或いは、その逆で弱者が行き止まりの袋小路で天を見上げ生きていけなくなる世界。それを「炭鉱のカナリア」理論に例えたかったのです。

赤ん坊、子供、老人、体や心に傷を持った人、社会的に弱い立場にいる女性、そして自分では命の決定権を行使できない犬や猫や絶滅危惧種の動物たち。彼らが今どんな局面に立たされて生きているのか、見つめることが自分の裸の顔を映す鏡にもなるといつの頃からか思うようになりました。
ビクビクオドオドしなくても弱い者が伸び伸びと生きていける家・学校・政治・行政・町・国・世の中。またはその真逆。

例えば、ほら。ある子供がいつも屈託のない幸せな顔をして暮らしていたら、その子の家庭が「うまく行っている」と想像できるし、一方で、いつも不安げな顔をして体に傷がたえないような子供なら、その子の家庭環境を心配しなくてはいけない。
弱い存在の佇まいは、何故か彼らを包み込む背後や行く手を明確に見せているのです。何故だか・・・

上の写真を見てください。のんびりとイイ感じの猫の写真です。幸せそうです。この写真を見れば、この子が大事にされて育てられて来たのが、良く分ります。この子は「猫の郵便」がブログを始めてから友達になった練馬区に住むSさんの家の猫さんです。
そうです。シャボット時代に紹介したことがある両足切断された“犬の福ちゃん”を引き取って介護の生活を厭わなかったS家の猫さんです。
傷を負った犬と3匹の猫を大切に囲んで歩んできたS家の家風。それは何も語らなくても端的に猫の表情になって現れています。この猫さんがS家の心の風景を見せてくれています。
すべての犬や猫たちが、こうあって欲しいものです。

ところがどうでしょうか。毎年、何十万頭の犬や猫たちが、もの言えず二酸化炭素のガス室の中に露と消えてゆく。
この空気、この圧迫感が、私には耐えられないくらい息苦しいのです。
犬猫の公共機関による殺処分、これは「命に対する罪」を国が率先して犯している! って言ったら、大げさ過ぎるでしょうか?
 
「犬猫は現在日本社会の何かを語るカナリア」、私はそう思って、日夜“心のカナリア”を追いかけ、活動現場に出かけて行きます。心の中にカナリアを見失う時、それは私の精神の死を意味するのかな? 
あー、またむずかしくなっちゃった~。


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2013
05.27

夢の中の王様

Category: 夢の中の王様
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「ゆったりとした水の流れに一枚の木の葉を浮かべ、その上に寝そべり、昼はサンサンと太陽を浴びて、夜は月見の酒を飲んで、そうやって一日中過ごしてみたい」
そういう風にブログに書けと夢の中の人にささやかれた。
「でも、木の葉の上には寝そべれません」と夢の王様に言うと
「イマジネーションじゃ。それを使えば何でもできるってこと。分らんのか。馬鹿者」と返された。
「そう言って置いて、煙にまいて時間稼ぎをしているうちに、アブクの中からアイデアや本原稿をひねり出せば良いのじゃ。言葉のあやを読めんのか。大馬鹿者!」と怒られた。

はい。居眠りをしていたのです。あわてて目覚めた衝撃と共に夢の王様は消えていた。


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2013
05.27

ペット産業は犬猫の奴隷制

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大昔、石炭が主力エネルギーだった頃。
炭鉱の坑道に入ってゆく坑夫たちは鳥かごを先頭にして前に進んでいった。鳥かごに入っていたのはカナリア。
それは有毒ガスが発生した場合、カナリアがいち早く真っ先にガスに反応し死んでしまうからです。

つまり、カナリアの反応を無視して前に突き進めば、坑夫たちの命が危険にさらされる。死んでしまうのです。
逆に言えば、かごの中のカナリアのちょっとした変化に敏感であれば多くの命が救われる。危険が回避される。
これを「炭鉱のカナリア」理論と言います。

この「炭鉱のカナリア」理論は、社会を見つめるのにも役立ちます。

格差社会を放置して、社会が前に突き進めば、人の心が荒廃し融和のないギスギスとした世の中になってしまう。世は乱れ殺伐として。
いじめを放置したまま、社会が前へ突き進めば、邪悪な心を持った人たちがメインストリートを横柄に闊歩するやりたい放題の弱肉強食の恐怖社会になる。モラルなしのね。一般大衆社会の思想は事なかれ主義ってな具合に。

これでいいのかな! 何か間違ってるよね!

世を見渡してみれば、現代のカナリアは、「犬と猫」たち。ペットブームとペット文化の影の中で非業の死を強要される彼ら「犬と猫」たち。これは社会の何を表し、何を指し示しているんだろうね。
良いはずないよね。こんなこと。
モラルのないペット産業。強欲な消費者。犬猫を簡単に捨てる人_センターに持ち込む人。そして殺処分とその背後にある政治・行政の無作為と怠慢と冷血さ。

犠牲の元に成り立っているペットブームやペット文化なんて、本当に絶対に完璧に良くないよね。
不健全だし、不健康な精神文化そのもの。暗いよね。・・・この後ろ暗い大人の裏事情を子供たちにどう話して聞かせるの? 説明するの? それとも隠し続けるの? 
公共機関が生命を瞬間的に大量殺害して片付けてしまうマシーンを持っている、これも良くないよね。邪悪だし、ナチス時代のホロコーストを連想させるし、恐いことだよね。
殺処分を恐ろしいことだと捉えない大衆社会の麻痺した神経も恐いよね。

変なことを変だと思える感性、神経。これが全々通らない世の中になっているんだもん。
殺処分で死んでゆく犬猫たちは、私たちの犠牲になって死んでいっている気がする。かつてのあの時代のカナリアのように。

動物を飼うのなら身に付けなければいけない人としての最低限のモラル、マナー。犬猫で商売し、犬猫に食わせてもらっているのならば、自発的に兼ね備えていなければならないプロとしての最低限の倫理観。それがなければ、ペット業界って、“犬猫の奴隷制/奴隷工場”って言っていいよね。

多くの犬や猫の苦しみに満ちた悲劇の上にペット文化が消費文明としてアンノンとこれからも成り立って行くのであれば、それは身の毛がよだつ程に浅ましくおぞましく罪深いこと。


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2013
05.26

放射能時代の食生活「バルーンごはん」

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満月の夜を迎える東京の空。暮れる前に外を歩いてみたが、見上げる空はすき間なく一面の乳白色。真っ白だった。
真ん丸お月さまは期待できそうにない。いいや、言った通り“心の瞳”で見ることにしよう。

さあ、気持ちを切りかえて。すっきり爽やかにイラつく雲や憂いを取り払ってと行きたいところだが、今夜の話題も気分爽快を約束できるテーマではない。
「放射能」と言っただけで煙たがられ避けられてしまいそうだ。
それでもかまわない。さあ行こう。サバイバルだ。

でもだよ。あれから2年も経つというのに、ネットで細かくニュースを探ってゆくと、未だに不気味だというか、不安を完全に拭い去れない情報がまるで荒地の石ころのようにワンサカ転がっている。

ついこの前の5月14日、千葉県柏市の昭和橋付近が高線量を計測し、県が立ち入り禁止地区にしたとか。
5月8日には福島市立図書館のパーキングが1キロあたり43万ベクレルを超え、立ち入り禁止になったとかね。
全く報道されないが、東京のベクレル値も時折かなり高くまで上がったりしていて、どうやら無傷ではないらしい。
フクシマの帰宅困難地区での田植えパフォーマンス・二ュースには、開いた口がふさがらなかった。
まだ、なんにも終わっていないのにね。

それなのに大手マスコミは、ほとんど通りいっぺんの報道しかしなくなった。

○○県生しいたけ38ベクレル/㎏、○○県レンコン14ベクレル/㎏、○○県夏みかん20ベクレル/㎏、エトセトラ&エトセトラ。
日本の食品の放射能の制限基準値が100ベクレルだから、これらの数値は一見安全に見える。が、あのチェルノブイリを経験したベラルーシの基準値が10ベクレルなのだから、日本の出荷基準値を思うと、ゾゾーッとさせられる。
ベラルーシの専門家は、日本の規制基準値を“高すぎる”と、はっきり言っている。

東京都は除染対策も取らなかったし、各地域別の線量変化もデータとして発表しない。
あの時、爆発散布量の全体の80%が海に流れたという放射性物質の海洋調査もおざなり。調査はされているのかもしれないが、体系だった公表はされていない。
それが何故かと言うと、答えは簡単。もしも万一、将来的に裁判になれば、データがあれば証拠になってしまうから。データがなければ、「因果関係が認められない」と逃げ切れる。国際原子力機関(IAEA)がウクライナ/ベラルーシの白血病の多発にリアクトした手が正に“これ”!

自分の体は自分の自覚で守るしかない時代に入ったようだ。政府は守ってくれない。

買い物に行き、町を歩くと、そんな陰りは微塵も感じられない東京だけれど、“あれ”以降は過ぎるほど産地を気にしての食品セレクトになっている。
輸入品はベリーグッド! 福一よりもできる限り遠ければ遠い産地に自然に目が行く。
鳥取県の白菜・大根・長ネギ。佐賀県のコメ。クマモンのトマト。愛媛県の柑橘類。沖縄の島豆腐・ゴーヤ・オクラ・インゲン・泡盛・・・

本当はスーパーの陳列棚で商品ごとにベクレル表示してくれると一番いいのだが。
マスコミは汚染されたものを避けることを「風評被害」と言っている。
けれど、私は自分が信じる道をゆく。結果責任をマスコミがとってくれる訳じゃない。
本当に、食べるものに困るなんて二年前までは考えもしなかった。食べられる食べものがない。これは、別の意味での“月に吠える”なのだ。

だから、“あれ”以来、キッチンで新しい視点で斬新な試みをするようになった。

前置きが長くなったが、これから紹介するのは、放射能時代を生き抜く“バルーンごはん”!  
ある日、唐突に頭に浮かんだ調理法。
コンセプトは、福一事故グランドゼロから限りなく遠い産地の食品を使い、免疫力を下げる塩や調味料はいっさい使わないレシピ。

用意するもの:米(佐賀県) ブラック・オリーブ&グリーン・オリーブの実(イタリア産、両方でも良いし、どちらか片方でも良い) エキストラバージンオイル(イタリア産) 米はタイ米でもカリファルニア米でも他の九州米でもOK、いま手元にあるのがたまたま佐賀産地だっただけ。
米、オリーブの実、オリーブ・オイルが大事な基本の三点セット。パエリアを作るのに比べたら簡単。

作り方:ご飯を炊く。ご飯が炊きあがったら、ご飯を大きなボールに移しかえる。
移しかえたご飯のあら熱を取りながら、しょうが&オリーブ・オイル&ドライ・バジルを“一緒くた”にご飯に“すし飯”の要領で良く混ぜ込む。オイルの量は3回くらい作れば次第に分かってくる。
ブラック・オリーブの実だけの場合は、千鳥酢やバルサミコ酢を使う。
均等に混ぜ上がると、コメがなんだかもち米の炊き上がりのようになる。それにオリーブの実を沢山量(米2合に対し内容総領350gの瓶詰オリーブの実を半分以上/多すぎてグッド)放り込んで適当に混ぜる。ここで実がごはんと良く混ざらないからといって、かき回し過ぎるとご飯がぐちゃぐちゃになって失敗する。
器にサーブする時に、ご飯とオリーブの実の量のバランスをかげんするようにする。
まあるいオリーブの実を“バルーン”に見立てた“バルーンごはん”
ご飯とオリーブの実のマッチングが美味で絶妙。エキストラバージンオイルが関係を取り持っている。

私を変な人だと思う人は、決して試さないでください。新しい発想が放射能時代をサバイバルして生き抜いてゆく“秘訣”中の秘訣。
イタリア人は出来合いの食品やマックとか、調理済みのサンドイッチなどは食わないし、買わないから、ファストフード店はすぐにつぶれる。ファストフードが根付かない国。いいことだ。自分で作るのが安全で一番。

食事が命取りになるなら、ニュース・チェックをし、気をつけるに越したことはない。頭を使って、楽しく放射能時代を切り抜けてゆきたい。

.。oо○**○оo。..。oо○*★゜・。。・゜゜・。。・゜☆゜・。。・゜゜・。。・゜★*○оo。..。oо○**○оo。.


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2013
05.24

九死に一生、横浜動物愛護センターからの生還

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今夜のジャーナル写真は、犬のマルチーズの“マル”さんです。マルさんと言っても大阪の名物ブロガーの“まるさん”ではありません(笑)。
写真のマルさんは、横浜の動物愛護センター(この名前、いかにも役人がつけましたって感じで、目つぶしの“ゴマカシ”臭がして気にくわない)から、九死に一生を得て生還し、いまは幸せに暮らしています。

運or不運、生きるか死ぬか、犬のマルさんは超幸運のクジを引き当てましたが、国が明確な法の方針として“殺処分”を止めない限り、犬猫の大量なる悲劇はセンターの中で止むことなく続いてゆきます。

一旦、動物愛護センターに収容されたら、生きるか死ぬかは神のみぞ知る。動物愛護センターは命の最終解決に“殺処分”設備を備えた、見捨てられた犬猫の収容所。

それを肝に銘じて。

昨夜届いた、横浜に住むAさんからのメール、お読みください。

【横浜に住むA・Tさんからのメール】

いつも保護活動ありがとうございます。

ウチの犬の写真、お送りします。名前は「マル」、推定年齢は3歳で、メスです。
昨年の9月に横浜市の港北区で保護されました。
普通は飼い主さんから捜索願が出て、一週間程度で飼い主の元に帰るのですが、この子は12月まで誰も名乗り出てこなかったので、縁有って私の家に来る事になりました。
無駄吠えもしますし、言う事も聞かない事も有ります。ですが、飼うのを放棄する程度ではありません。当たり前の事ですが、我が家で終生面倒をみます。

横浜市動物愛護センターには、同じような境遇の犬や猫がたくさん居ます。
世の中からペットショップが無くなって、みんながここの犬や猫を飼ってくれたらどんなに良い事か、飼い主のモラルも心配ではありますが、切にそう思います。

人間に捨てられたから殺処分、捨てた飼い主は生まれ変わって同じ目に遭ってみればいいと思います。

こんな悲しい事が、1件でも無くなりますように。        From AT


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2013
05.23

月に吠える

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今度の土曜の夜に満月の月が空にかかる。

頭上、遥かかなた。月が、右耳の下と右肩の上の間の首筋あたりで、静かにふくらんで行くのを感じ、感知しながら、今週は夜の外回りをしていた。

土曜日は満月。晴れか、くもりか、それとも雨か。いずれにしても、地上の天気に関係なく、月に“その時”は満ちてゆく。見えぬなら雲を透して心の目で。

月に吠える。 月に向かい吠えてみる。

無情の大地に腰をおろし、見渡すかぎり、天からも人からも見捨てられて、この世のあらゆるものからハシゴをはずされ見放されて。助けがなく、もたれる肩がそばになければ、天をあおぎ泣き叫ぶしか、することがない。

昨夜の記事「哀れ、繁殖用の犬猫たち」のビーグル犬を連れた彼女は、山梨の夜空に、そんな犬たちの絶望に満ちた心の歌を聴いていたのだと思う。

今週はこれまで、ずうーっと「犬猫の殺処分」周辺をめぐり考えてきたが、調べれば調べるほど、知れば知るほどに、ひとり“月に向かって吠えたい”気分の数日間だった。頭の中でラインがブチっと切れたこともあった。

月に吠える。英語では “Cry for the moon”が適当かな。
同じような言葉でも日本語と英語では意味のニュアンスや背後感が随分とちがう。
けど、ここは英米文化の底力にたよって。
英語の“Cry for the moon”は、「叶わないものにむかって泣き叫ぶ 得られないものをほしがる できないことを望む」という意味。
つらいだけが宿命の命に生まれつき、そこから一歩も身動き取れず逃れられないのならば、天上の空をあおぎ見“月に吠える”、それしか表現方法を持たない。・・・動物残酷物語が、ただただ胸に迫りくる。

昨夜の山梨の話をもう少ししよう。

見てはいけないものを見てしまった犬の繁殖所の帰り道、彼女はふもとに降りてから「あれは何?」と地元の住民に聞いてみたところ、言葉をにごすか、手を横にふって「何も知らない」と柔らかく拒絶されたとのこと。
「(あんなにはっきり鳴き声が聞こえているのに)そのことには触れてはいけない空気のバリアが伝わってきました」と、それでそれ以上は突っ込めなかったし、恐い感じがしたと。ひょっとして危ない人たちが経営の背後にいる?

ペット産業の内側に囲われている犬猫は、売り物にならない限り、生きて外の世界に出られない。正に拷問。

殺処分。二酸化炭素のガス室に閉じ込められ、そのとき犬猫は何を思う?
元飼い主に裏切られ、そのつらさを何に例えよう?
パピーミルやキティミルの牢獄につながれ、満足な世話も食べ物もなく、その瞳には何が映っていた? 悲しみ? 怒り? 不安? 肉? 魚?
売れ残った犬猫のケージの上に、月は幾晩のぼりつづけるのか?
簡易殺害で業者が棍棒を振り上げるとき、棍棒の下で犬は・・・?
誰のために、何のために生かされているのか? むげに殺されるのか?
ペット産業の内幕の悲劇は、外野にいる市民には“商業の自由と所有の権利”が立ちふさがりどうにも手の下しようがなく、法律の飛躍的な改善以外に“福音の鐘の音”は聞こえてきそうにないのだ。

動物を助けるボランティアの数をはるかにしのぐ、日常茶飯事の虐待事件。そして、波状攻撃的な虐待件数。
「この国の名物と文化は、動物虐待なのか?」と、皮肉の一つや二つ言わなくちゃ腹の虫が収まらない、それくらいひどくなっている。
日本は主要サミット参加国であり、世界政府と言われるG8メンバー国、形の上では先進国の仲間入りを果たしているが、中身の文化度はベニヤ張りの安普請、封建仕立て。
ベニヤ板とベニヤ板のつなぎのすき間から、憐れみを乞う純粋なきれいな目で「助けて!」と犬猫たちに見つめられ、さあ・・・私たち人間はどんな答えを出してやれるのか

土曜の夜、満月の下で。耳を澄まして。これら犬たちの「月に吠える」声を心の耳で感じてみてください。


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2013
05.22

哀れ、繁殖用の犬猫たち

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夜。屋外の活動途中、いつも出合うビーグル犬を連れた女性と立ち話をした。
彼女と犬の散歩の様子は町で普通に見かける犬の散歩とはちょっと違っていて、それまでずうーっと不思議な印象を受けていました。あくびが出るほどのスローペースで歩をすすめ、犬が止まればそこでしばらく立ち往生し、うずくまって話しかけている。雨の日も、昼間に見かける時も、夜も、いつもそう。
しかし、話してみるものです。そのビーグル犬は白内障がひどくなり、目がほとんど見えていないということでした。
年老いた犬。目に障害。それを大事に扱う彼女。一日に何度か犬の気晴らしに散歩に連れ出し、白内障のことも何もかも苦には思っていないという。

犬の背中を撫でながら、いつしか話題は転がり、彼女は犬のブリーダーの話をし始めました。悪質なブリーダーのこと、パピーミル(犬の繁殖所)の目撃談です。
彼女の家族は年に一度、用があって、山梨県のとある所に泊りがけで出かけるという。
着いた先で、悲しそうなというか、異様なというか、犬たちの鳴き声が風に乗って聞こえてきたので、気になって声の元をたどってゆくと、そこには“犬の繁殖所”があった。

建物というよりは、檻があって、板が適当に立て付けてあって、雨よけの屋根のようなものが申し訳程度に上に乗っかっているだけ。野中に粗末な掘立小屋、そういう感じ。
そこで犬たちは見るからにやせ細り、ろくに食べ物も与えられていない状態で、本当に可哀相だったと・・・。
そうして、犬たちの悲しそうな声は重なりあって、闇を渡り、彼女たち家族が泊まっている所まで夜通し聞こえていたという。
「無残なやせ方でした。つらすぎて、もうあの場所には行きたくない」と、彼女はそう言葉を結びました。
鉄腕ウンガさんも群馬県に旅行した時、同じような体験をしたそうです。

後日。雨上がりの晴れた日に。「どうなるんでしょう、あの犬たち・・・」と、ビーグル犬の彼女。
・・・どうなるって。
どうなるって、決まってるでしょう。それは!
繁殖用の犬猫は、用済みになれば・・・
利用されるだけ、利用されて、後はポイッ
あこぎな商売だなと、今はその言葉しか思いつかない。自分たちが自らに科せる倫理の程もないようだし、法規制も「ない!」と言って良いほどの甘々の甘々。
業にやさしく、動物に厳しい日本の動物行政と法律です。

ペット産業から用済みにされ掃き出される犬や猫は不用犬・不用猫の道をたどり、抜け道はないと言っていい。
問題が長年指摘されているのに、ペット業者に法律のシバリがかかることはなく、むしろ“殺処分”という便利な恩恵(出口)にまで浴している。至れり尽くせりなのであります。
“行”と“業”は“ズブズブ”の関係。そして、形の良い犬猫を求める消費者は、ペット産業の闇の奥に隠されている暗部“動物たちの悲しみ”を見ようとしない。三者三様、“物”としての扱いを変えることはない。
“利潤”と“物欲”が何よりも優先される世界。
彼らに“惻隠の情”や倫理など期待するべくもなく。きっと、人間の種類がテンデちがう種族の人たちなのだろうと。

犬たちは犬舎の中でただ鳴くしかない。吠えて鳴き疲れて、鳴くエネルギー使い果たし、命すり減らし、眠るまで。

月に吠えるということは、こういうことだ。


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2013
05.21

飼い主の優劣が決める犬猫の運or不運

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           メメちゃん4

幸福編】上の写真はM家のメメさんです。まだ一歳くらい。でも落ちついてますね。それは、きっとこの子が今現在の生活基盤の安全安定を心と体で自覚しているから。
猫の写真撮影が難度が高いことを考えれば、撮影者とこの子のリラックスした関係が想像できます。

これと同じ写真をシャボットに掲載しました。が、シャボットの記事はシャボットの運営方針上いずれ消す予定でいますので、こちらに永久保存版として移転しました。
不妊手術を受け、結膜炎の治療をしてもらい、行く末の命の保障がある。あてどない放浪から幸福へのワンウェイ・チケット、シンデレラ・ストーリーです。

犬猫の命運は飼い主の優劣で決まる。出合った人の優劣で運命がわかれる。幸せになる子がいる反面、運に見放された子には過酷な道が待っている。
一介の市民の立場や力量では、すべての犬や猫たちの不幸への道を断ち切ることができない。
手に負えない数の虐待(捨てることも保健所に持ち込むことも含む)が、のべつ幕なしにあり、なんとも歯がゆい思いです。


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2013
05.20

ただ生きているということの大切さ

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こうして私がPCに向かい駄文を書いている同じ屋根の下には、かつて捨てられた猫たちが大勢寝起きしている。
共に生きている。全員が全員、捨て猫だった。

昨夜、アエラ誌の4年前の太田匡彦記者の記事を一字一句間違いがないようにと、Wordに移しかえながら、気持ちが動転してゆくのを抑えることができなかった。目と指先がたどる文字の4年前の彼方には、飼い主に連れられてやって来たベル君をはじめとした柴犬やビーグル犬がいた。
そして、未だに引きも切らず二酸化炭素のガス室で死んでゆく数限りない犬や猫たち。
そこには、どんな言葉であがなおうとしても言い表せない“悲しみ”がある。人間の愚かさがある。

折からの雨。胸の境界線を飛び出しそうな揺れる気持ちをSometimes When It Rainsを聴きながら鎮め、夜の外猫給食活動の猫弁当を作り、外に出かけた。
一日二回の給食活動、その一番最初に会うのは決まってケイトリンという名の女の子の猫。
・・・リンリンと自転車の呼び鈴を鳴らすとポップアップ人形のようにポンと茂みから飛び出し、トコトコタカタカと小走りで毛並を揺らしかけてきて、目で私だと確認するやいなや長いしっぽをピンと立てる・・・それがケイトリン。5年の付き合い。毎日のことだ。対面給食をする。

同じエリアの、自転車で5分くらい離れたところに住んでいるラジオ君とは、まだ一年の付き合い。ラジオ君はケイトリンと違い控えめなキャラクター。シャイな猫さん。私がリンリンリンと到着すると、どこからともなくスーッと瞬間移動したような素早さで足元にすり寄っている。同じく話しながら対面で給食する。
麻布の町なかに住むハチ君は、雨の日などは「遅いよ!」なのか「来てくれてうれしい!」なのか「雨降りでヤだよ!」なのか、判別翻訳できないくらいの大きな大きな声で鳴きわめくのが挨拶だ。十猫十色です。

外で我慢してもらっている猫たち、そして室内の保護猫たち、みんなそれぞれ違う個性的なキャラクターを持って生きている。そして、捨て猫の経歴が形作る深い悲しみを宿して生きている。

ケイトリン、ラジオ君、ハチ、ピノコ、マルコ、ボノ・・・。保護猫のノエル、セージ、ダリン、ジゼルニコ・・・。
彼らは学校にも行かなければ、会社にもいかない。勉強もしなければ、オリンピックに出場するような記録も持っていない。人間から見れば、何の役にも立たない怠け者に見えるかもしれない。ただ生きているだけ。
ただ“生”があるだけ。
でも、私は“ただ生きているということ”だけで尊く美しいことだと思っている。そこに山があるように。そこに海があるように。そこに草木が風にそよぐように。“ただ生きているだけでいい”大切さを思うのだ。

何も、人間たちの勝手気ままな理由で、むげに殺される言われはない。
・・・引っ越すから、病気になったから、飽きたから、売れ残ったから・・・、中には産まれたからという理由だけで殺される犬猫もいる。
Sometimes When It Rains 自分の犬や猫を強制的な死に追いやった彼らは、その後、こんな雨そぼ降る日に、決して“その子たち”を思い起こすことはないのだろう。


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2013
05.19

犬猫たちは行政施設でこうして死んでゆく

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09年のアエラに特集された“茨城県での犬の定時定点収集と殺処分”についての太田記者による記事を当時ご覧になった人もいるでしょうが、時代のスピードは速く、人は忘れやすい生き物、茨城県では定時定点収集制度こそ停止したものの、全国でいまなお行政施設による“殺処分”が止む様子はありません。

何の罪もなく、罪状もなく、死刑が執行される。こんな理不尽なことが公的機関で行われている。その様子は、まるで収集からガス室までナチス・ドイツのユダヤ人大虐殺のホロコーストのようです。殺しの請負人としての行政機関、それを便利に利用する元飼い主とペット業者、不勉強で無気力な政治家、そしてこれを見逃している一般大衆社会の無関心と道徳性の低さ。

アエラ‘09年4月13日号の太田記者のレポート記事を一部抜粋しますので、記事の表面ばかりではなく、どうやって犬たちが死んでゆくのか、行間をイマジネーションの力を駆使して読み解いてください。

▼定時定点収集
2月中旬の木曜日、茨城県内のある自治体庁舎の駐車場に、その犬は50歳前後の女性にひかれてやってきた。名前はベル、オスの雑種だという。いつもと変わらない散歩だと思うのか、茶色のしっぽを振って女性に寄り添うように歩く。だが、その先に待ち受けていたのは「捨て犬収集車」だった。

隔週の木曜日、決められた時間帯、この駐車場には捨てられる犬とその飼い主が集まってくる。時には行列もできる。茨城県による捨て犬の定時定点収集が行われているからだ。

定時定点収集とは、自治体が犬猫を捨てていい場所と日時を定め、それにあわせて飼い主が捨てに来る犬猫を、収集車が巡回して集める制度のこと。茨城県の場合、42カ所の「犬捨て場」があり、捨て犬が多い地域では隔週、それ以外は月に1度、「捨て犬の日」が設けられている。


▲殺処分機で10分、絶命
飼い主に捨てられた犬にはどんな運命が待っているのか。東日本のある自治体で、殺処分の様子を取材した。午前9時30分、いつものように犬舎の壁が動き始め、この日は柴犬やビーグルなど9匹の犬が殺処分機に追い込まれた。処分機の広さは約3立方メートル。うっすらと明かりがともっている。そのなかを、犬たちは所在なげにうろうろとし、何匹かは側面にある小窓から、外の様子をうかがう。

処分機の入り口が閉じられると、すぐに二酸化炭素の注入が始まる。犬たちはまずガタガタと震え、息づかいが荒くなる。処分機上部に取り付けられた二酸化炭素の濃度を示すメーターの数値が上がっていくと、苦しいのだろう、次第に頭が下がってくる。1分もすると、ほとんどの犬は立っていられなくなり、ゆっくりと折り重なるように倒れていく。

恐らく、自分の身の上に何が起きたのか、理解できた犬はいなかっただろう。なぜ、自分がこんな目に遭うのか、わからないまま死んでいったのだろう。殺された犬たちのほとんどが、飼い主側の事情によって捨てられたのだから。


こうして2007年度には、全国で12万9937匹の犬が地方自治体に引き取られ、うち9万8556匹が殺された。犬たちはなぜ捨てられ、殺されなければいけないのか。

AERA‘09.4.13号本誌より 一部抜粋


10分で死にきれなかった子は、生きたまま焼かれるというエピソードを随分聞いています。

ペットブームやペット産業の裏手には、このような暗くおぞましいシステムが機能しています。いつまでもこんなことを際限なく続けてゆくのでしょうか?
持ち込みの犬猫は、即日の内に殺処分になる県もあるようです。

何が悪いのか? 誰が悪いのか? どうすればいいのか? 殺処分に頼らずに問題解決にあたっている国の存在が世界にはある訳だから、決して殺処分ゼロ目標は不可能なことではないと思います。その思想があるか、ないか!

ドイツの殺処分ゼロの政策には、無意識の中に“過去への反省”が役立っていると、個人的には、そんな思いがあります。

何年か生活を共にし、共に歩き、共に笑い、信頼して生きてきた。そして、その日もいそいそとしっぽを振って散歩に出かけた。だが、その先に待っていたのは“捨て犬収集車⇛死のガス室”だった! こんなにおぞましく凄惨なことがあるのだろうか? 言葉もない。


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2013
05.18

土曜トークとM家からのメール“メメちゃんだョ”

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すっきりしないこのイヤ~な空気感ってファシズム前夜なの?
上は名だたる政治家の口から下は匿名のネットユーザーの指先まで、耳や目を両手で覆いたくなるような口汚い言葉が縦横無尽に飛び交っている。この国は、これから暗いトビラを再び開けてしまうことになるのだろうか? アメリカもこの日本の復古的な流れをいぶかっているようだ。

外圧でしか変わらない、外圧でしか自制できない、この国の特性を考えれば、無情の鐘が鳴り響く。

『戦後レジームからの脱却だって? どうせ電通あたりが適当に考えてやったキャッチコピーなんだろうけどね。このバカ総理大臣、この言葉の意味するところを分かってしゃべってんのかな? 戦後レジームからの脱却って言ったら、それは「ポツダム宣言の受諾」を廃棄し、ひっくり返すってことだよ! そりゃー、アメリカだって怒るっていうか、不快感をあらわに示すでしょう。』なーんてこと、「猫の郵便」内ではいつも普通に話し合っています。

土曜日の昼下がりから太陽のしっぽが西の空に引きずられて行っちゃう頃まで、おなじみのトーク・タイム。

で、話の流れにちょっと一息入れようとGメールをチェックすると、M家のTさんから「ニューフェースのメメちゃんトピック・ニュース」が写真付きで到着していたのだ。ジャーン!

M家のメメさんは結膜炎の治療が終わり、住み慣れたケージに別れを告げ、広々とした家の中にデビューしたそうです。Mさんは他の5匹の先輩猫とうまく行くかどうかが、心配だったようですが大丈夫だったとのこと。
今では、ずうーっと“この家”で暮らしてきたかのようなデカい顔をして、一番の特等席を占拠していると、様子がメールに詳しく書いてありました。

あのー、あれですね。うちの一番下の子がそうですが、若く&さ迷うことなく素早く室内に引き上げた猫ほど、適応性や順応性が高いですね。性格が曲がらない。
うちの大チビ(もう結構大きい)なんて、捨てられて20数時間くらいで保護したから、何の屈折も影もなく、20頭いる猫たちみんなと和気あいあいの良好な関係にあって、他の猫には見られないポジティブな特徴を全てというくらい持っています。

野良猫の期間が長ければ長いほど、ガードが固くなり、打ち解けにくく、鉄腕ウンガさんの家に行くと、猫の蘭の花さんがその見本で、未だに一つ部屋に閉じこもっていて、「大変だったんだなぁー」と今更ながら思い知らされ、猫を捨てることは邪悪なことだと、今夜も猫弁当を乗せ「猫の郵便」号は行くのです。

メメちゃんの写真置いときますね。

メメちゃんデビュー2

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2013
05.17

夏がすぐそこまで

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昨夜、帰宅後。手っ取り早く着替えをすませると、夕食を熱心に催促する猫さんたちに促されて、輪になってリビングの真ん中でディナータイム。毎度の猫の食事会。
寒さきびしい冬季期間より、あったかくなったこの季節は、猫さんたちの食がガゼンモーゼン一段と進むようだ。

猫さんたちの夕食後、やらなければいけないことが本当は沢山あったのだが、猫さんたちの“食後のマッタリ寝”を真似して適当な所にゴロッと横になったら、そのまんまうたた寝。寝込んでしまった。だいぶ眠った。
「あーっ!」っと、気が付いて時計を見ると、ガーン! 何と“11時”を過ぎている。夜の11時!
「まずい! やばい! どうしよう!」と、ビデオ映像の早送りのスピード感でチャンチャカチャカチャカ用意をすませ、外猫の給食配りはどうにか帳尻を合わせることができた。すったもんだの末に「フー!」っと、ため息がこぼれた。

しかし、毛布も掛けないでTシャツのまま床で寝込むなんて! 「季節が変わったんだな-。もうすぐ夏だ」と体感した。そういえば、家の中で眠る猫さんの姿勢も丸まることなく少しずつ長く伸びているようだ。
風通しの良い廊下の真ん中で、いつもデーンとなって寝ている今月で一歳になる子猫(?)の心配をしなくて済む、そんな季節になった。

夏。本格的な夏というにはまだ気が早いけれど、日中、通りを行くと、日傘にサングラスの人やTシャツ一枚に七分パンツ、生地も薄くなりカラフルに風にヒラヒラと、夏模様の風情。景色。
木立に上を見上げれば、そよそよと緑なす羽根を広げている。

外猫の給食活動の方にも夏の訪れ。ジリジリと上がる気温と共に生命の息吹を吹き返す闖入者たち(虫、アリ、ナメクジ)。奴らに対抗して、大部分の所でやり方や器は、すでにすっかり衣替えを済ませている。虫対策の防波堤/受け皿の塩分濃度こそまだ薄めだが、奴らは確実に攻め上がって来ている(笑)。

日本の暑く長い夏の気休めに、毎年作るアイスクリーム用の自家製リキュールも手早く仕込んだ。
オレンジ・リキュールにレモン・リキュール、シナモン・リキュールに粒胡椒リキュール。コーヒー・リキュールは漬けてから10日くらいで大丈夫だから、出たとこ勝負、夏になってからでOK! アイスクリームにラム酒や果実リキュールをかけて食べる、私のささやかな夏の楽しみなのだ。

さて、今年の夏はどんな夏になるのか? 熱中症などで倒れないように無事に乗り切りたいものです。


ジップティの夏2010


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2013
05.16

猫と憲法 ~この空気ってファシズム前夜なの?

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今夜は丁寧な言い回しで始めましょう。

「猫の郵便」というネーミングにする前、「猫の郵便」の前身となる名前は「アニマルライツ/ヒューマンライツ」。そう名乗り、一人で活動をはじめました。
「アニマルライツ/ヒューマンライツ」を日本語にすると、「動物の権利/人間の権利」となります。
その心、その理由は、動物の生きる権利を守るためには『「動物を助ける」人間の権利も同時に守られていなければ成り立たない』、そう強く感じていたからです。

猫を助ける活動をしている人がしょっちゅう経験していることだと思いますが、「野良猫にエサをやるな」「お前がエサをやるから猫が増えるんだろう」などと道端であらぬ言いがかりや口撃を受けてきたのは、きっと私ばかりではないはずです。地域猫という言葉の意味や野良猫問題に対する行政の取り組み方を懇切丁寧に説明してみても、当初はTNR時に車を一時停める場所にまで苦慮するありさまでした。
それは、正に“まち猫”の救済活動をする私たちの身分の低さそのものでした。
そして、それはシビアな局面にさらされている私たちの現実であり、実感でした。

偏見とバッシングに気持ち折れて辞めていく人も中にはいます。

この国では“動物の権利”がないばかりか、社会から被害を受けた動物たちを守りたいという心や行動の権利までもが強い心理的プレッシャーの下に置かれている、これが当時の私の視点でした。
「捨て猫たちを守りたい」だけでは絵空事、行動がともなわなければ実りある形にしてゆけない、そう考えて「アニマルライツ」に同格にワンワード乗せて「アニマルライツ/ヒューマンライツ」としたのです。

可哀相だと思う権利。可哀相だから「助けたい」と思う権利。思いを世に表現する権利。思いを行動にうつす権利と行動の自由。
しかし、ここんとこ、世の中の空気や雲行きがだいぶ怪しくなって来ていると感じています。
そう感じはじめたのはいつ頃からだったのか? 気がついてみたら
ひたひたと・・・

大阪からは学校の卒業式の国家斉唱の時に『「君が代」を歌っているかどうか、教師の口元をチェックせよ』というニュース。それに大阪では市職員の10分の休憩やタバコ休憩は懲罰の対象になるとか、アンケートを通した公務員の思想チェックとかも。次々と。
ネットニュースを見ていて「大阪の公務員でなくてよかったぁ~」と安堵と恐怖に同時に襲われたような、そんな感覚を憶えました。今どき、思想チェック。この時勢で思想信条のチェックをする。ゾーッとしました。

一方、東京も大阪に負けていません。西の横綱の向こうを張って、東の生き恥・猪瀬都知事もどっこいどすこいの良い勝負をしています。五輪招致PR活動のルール違反やアラブ差別発言は表立って世界を駆け巡った赤っ恥でしたが、奴は裏では脱原発の集会やデモに日比谷公園の使用を許さず、しかしあらん限りの汚い言葉で韓国人をののしる“ヘイトデモ”には許可を出す、この対極のコントラストの奇妙キテレツな摩訶不思議さ。

でも。でも。でも。それもこれも都民・府民・市民が選んだ首長! 選んだ人たちは誰も文句は言えません。
しかし。しかし。しかし。問題はここからです。

民主主義社会で暮らしてきた“私”が「えーっ!」っと疑念を持つこと全て、権力の行き過ぎの監視役であるはずのマスコミが何もかも完全に透過させてしまう。なーんにもジャーナリスティックな批評をしないで、そのまま“透過”させてしまうということは、それは為政者の拡声器の肩代わりであり、服従であり、「あなたたち庶民は上からの命令を黙ってありがたく聞きなさい」ということになります。恐いです。
何も言えなくなる空気が作られてゆく。

そうして、この二都物語の波間をぬうかのように見え隠れしているのが、憲法改正を“みこし”に乗せはしゃぐ安倍晋三首相のたるんだ頬のサービス笑顔の不気味さです。
自民党による憲法改正草案を調べてみると、本当に恐ろしくなります。国権の前に私たちの権利は大々的に小さく狭められてしまうのです。何よりも先に国権が前に立ちはだかるようになります。
国の一大事のときに「何を言っているんだ!」という風に。私たち“民”は、権力者の思うがままに動かされ操られる単なる“コマ”か“兵”。

猫と憲法、関係ないと思いますか? いいえ、関係あるのです。もしも、憲法改正で基本的人権が削除されてしまったら、公権力の胸突き三寸の采配で私たちの権利は気ままに査定されることになります。つまり、動物の保護活動が公権力によって“悪”とみなされれば、外で暮らす猫を助ける活動は停止しなければいけない状況に追い込まれるかもしれません。

だから、ヒューマンライツ! 人権がなくなれば、動物の生きる権利も一緒に消えてゆく運命をたどるのです。


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2013
05.15

声掛けは猫を救う ~放置プレーはダメょ

Category: 地域猫活動
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紙をかんで空腹をしのいでいた子猫について。
あの子たちを見かけたのはGW連休最後の夜でした。あれから毎夜「どうしているかな」と探索しに行きましたが、姿を確認することはできませんでした。
初めて姿を見てから1週間過ぎの12日の夜に1匹の方だけゴミ置き場にたたずんでいるのをみつけました。三毛模様でした。きっと、また日曜日になって食べ物を上げる人が途絶えたのでしょう。姿を現したのは三毛だけでしたが、たっぷり2匹分くらいフードの皿を作りました。一周りして残量を確認すると複数の子が食べた様子が窺がえました。

それから一日置いて、昨晩のこと。
遠くにあの三毛猫が路肩に佇んでいるではありませんか!
近づいて行くと、道路のド真ん中に何か(?)猫らしき物体のひと塊(かたまり)が・・・!?
すると、その塊が動いて2匹の猫になった! えっ、えっ、えっ、また動いて、「あっ」と、子猫は全部で3匹になりました。子猫は3匹いたのです。3頭の族だったのです。
そう思う間もなく向こうからタクシーが走って来る。わーっ!
子猫たちのうち、三毛は路肩へ歩いて引っ込んだけれど、車がどんどん近付いてくるのに、他の2匹は逃げようとしない。私は焦って、「アブナイー!」と叫びながら、タクシーへ向かって自転車を走らせリンリンと・・・
もう1匹の方は移動したけど、残りの方は動こうとしない。このままでは轢かれてしまう。タクシーは私に気づいて徐行し、そうすると、やっと残った1匹が路肩へ移動。間一髪でありました。

子猫が3匹。連休明けに見たのは三毛と茶白。それにもう1匹いたのです。3匹の中で一番体が小さく、タクシーに轢かれそうになったキジ猫です。この子は見るからに、弱々しく、動きも遅く、今まで生き延びたのは偶然のたまものと思えました。

あー。でも、とにかく、その正体は確かにつかまえました。「シッポはつかまえた!」という感じですか(笑)!
さぁー、これからどうするかです。
あの感じだと、捨て猫ではなく、管理が行き届いていない“野良猫”が産んだ仔たち。
近くには必ず母猫がいるはずです。そして赤ちゃんが産まれたということは、その区域にオス猫もいるはずです。
そういうことはですね。ここではTNRが的確になされてなかったということですね。
この町で猫たちに食べ物を与えている人たちの一人には名刺を渡し、何かあったら電話してくださいと言っていたのに・・・と、愚痴りたくなりました。

休みには来ない。放ったらかし。TNRもおざなり。コミュニケーション一つで何とかなるものを。放置すれば大火になります。放置プレーは大火事の素!

私たちは7つにまたがる町で活動していますが、その中の麻布某町では、隣接して活動するもの同士、声掛けし合い、互いに助け合って、猫が増えるのを歯止めし、うまく行っています。だから、“声掛け”が大事なのです。情報交換、情報共有、励まし合いにもなり、活動の大事な根幹です。
声掛けは猫を救うばかりか、人・町をも救うのです。


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2013
05.14

人の心を変えるにはどうすればいい?

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「はじめに」の後半部分を少し手直ししました。これからも世の中の様子や自分たちの変化に照らし合わせて、必要があれば変更してゆきます。

気持ちも新たにと「はじめに」を書いている時、実は「(犬猫の遺棄や虐待や殺処分を止めさせる)そのためには」とタイプしながら、指がパタッとしばらく止まってしまいました。頭の中で分かっていることが“ワード”の上にすんなり移せない。

んー。つまり、頭の中では、いま犬猫たちに起こっている不幸を止めさせるためには、「犬猫を捨てる人がいなくなれば・・・」「自分の刹那の激情を動物への暴力で憂さ晴らしする人がいなくなれば・・・」「殺処分のシステムを行政が放棄してくれれば・・・」と、まず仮定項目が思い浮かび、では、どうすればそれが実現できるかとなると・・・、「動物を取り囲む“民度”を上げるしかない」と続くのですが。
しかし、どうやれば民度が上げられるのかが分からなかった。

動物の虐待や遺棄に関する法律に、罰金額をさらに加算したところで、「ばれなければ」と捨てる人は捨てるし、虐待する人は虐待する。儲けに走り、動物たちを劣悪な環境で飼育する業者は幾らでも言い訳をひねり出すだろう。
結局、動物の回りにいる人たちの“質”を上げてゆくしかない。だけど、どうすればそれを実現可能にしてゆけるのか?

法律をきびしくして、トップダウンで下に降ろしてゆくというのは、昔から取られている一つの方法。もう一つの方法は、市民の意識が高まり、市民の側からの要求で新たな法律を作ってゆく、変えてゆく。しかし、後者の場合は、とにかく先立つものは“民度”。民度を上げていかなければどうにもならない。
実際、動物愛護法改正への要求は、一部の人たちの中にだけとどまっているのが現状で、国民全体の希求とはなっていない。

動物の回りにいる人たちの“質”を上げる、つまり倫理観や道徳心のことだが、“モラルの心”は人の内面にあるものだから、キャラクターがそれぞれ違う“生身の人”の内側に入ってゆくのは神業に近いこと。悩ましすぎる問題なのだ。

あくび

ニワトリが先か、玉子が先か? 法律だけでは限界があるから「民度の水位を少しでも上げなきゃ」と思っている矢先に・・・。
ついこの前、GW中に活動現場でこんなことがあった。
私がしゃがみ込んで作業をしていると、道の反対側の生垣からこちらに来ようとしている猫(タラちゃん)を家族連れの観光客が面白半分で追いつめているのを、しばらくはガマンしていた。
が、なかなか立ち去らないので、「やめてくれませんか?」とお願いしたら、「うるせぇー、お前の猫か?」と父親。「子供(10歳くらい)が遊んでいるんだからいいだろう! お前、ここで猫、飼ってんのか! 野良猫だろ!」と捨て台詞。取り付く島なく、お手上げのOh,My God!

平素、フードを地べたにまいてゆく人たちにも 「ここは私たちが適正管理してますから、やらなくてもいいですよ」と丁重に話しかけても、「あんたの猫???」と怒りふんぷんになって決まって“所有”を武器に振りかざす。
四方八方、Oh,My Godの民度なのだ。じゃーん。どうすればいい?


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2013
05.13

美しい国の悲しい犬や猫の現実

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かなり蛍光灯的リアクションで気が引けるが、今月の5日のアメーバニュース(政治・社会覧)に、安倍首相がFacebookに迷い犬の情報提供を載せたという記事がUPされていた。

アメーバ記事『安倍首相 Facebookで迷子犬の情報提供を呼びかける』によると、首相一行が休養のために訪れた山梨の薬局に「迷子犬探し」の貼り紙が貼られていたらしく、それをそのまま自身のFacebookに掲載した格好だ。

おそらく、動物好きの昭恵夫人が水を向けたか、手引きをしたのだろう。エントリーは秘書が更新したというが、この間の一連の首相動向を見ていると人気取りのスタンドプレーに見えてならない。
美談だし、悪いことじゃない。犬にも見つかって欲しいと思う。
しかし、首相は知っているだろうか。この国の動物愛護行政の現実を。実態の悲惨さを。
もしも万一、その犬が間違って行政施設に捕獲なり、収容されてしまったら、猶予が与えられるのはわずかの期間(自治体によって差)、それで殺処分にされてしまうのだ。もっと短いこともある。

個別の犬や猫に温情を払うのならば、探し当てた時は殺処分が下されていたなどという間違いが起こらないように、動物行政のあり方を考え直して欲しいと思うのは、私だけだろうか?
物事の本質をとらえる。問題の根本を見すえる。それが政治家としての役割であり、仕事だと思う。
そして、原発事故で強制避難エリアに取り残された動物たちの苦しみにも配慮があって良いと思うし、首相特権で救済策を取って欲しい。

一国の首相の役割とは、選挙目的の人気取りやスタンドプレーではなく、より良い社会を築くための“仕事”を的確に果たすこと。「・・・!」
違いますか?
今、美しい国の犬や猫たちには、あまりにも悲惨な現実がある。犬や猫が安心して暮らせる社会が、本当の意味での美しい国。
政治・経済で世界と肩を並べたいのならば、動物に関する法律や行政の方も見劣りしないように世界に誇れる“改革”をして欲しい。

5月11日にプラットホームに載せた記事中の“ティーちゃん”は、迷い犬だった。
それを考えれば、リードを外して犬の散歩をしている人たちにも、自分の愛犬に予想もしない不幸が訪れないように、自分の行動を真剣に見つめ直して欲しいと思うのだ。
ティーちゃんはラッキーに恵まれた。だが、全ての迷子犬が幸運に恵まれるとは限らない。

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2013
05.12

シャボット活用法/活用術

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「猫の郵便シャボット」に情報を載っけました。「犬猫救済の輪ドキュメンタリー」に“長編記録映画『Zone 半径20キロ圏内・強制避難区域』”の予告編がUPされ、私自身も是非見てみたいと思い、リンクしました。

「シャボット」はこれから、こんな風に期間を限定してスポット情報を流してゆきます。政治・社会・文化・芸術・その他一般について歯に着せぬワンワード(!)、ワンワード・ポリティックスをやって行きます。
プラットホームの補助輪、サイドカーとして活用してゆく方向であり、予定です。

罵詈雑言渦をまくTwitterに身を置くことには、いまいち“信”が置けず、乗っかれなくて、まだワークしている「シャボット」を有効に活用することにしました。
情報は基本的に24時間でタイムリミット。それで消します。情報によっては3時間や半日で消すものもあると思います。

本当は、「カフェ ガラパゴス」と名付けて、無鉄砲流の発信ブログサイトを作り、「プラットホーム」と並走したかったのですが、外の活動があと三分の二くらいの負担にならない限り、二つのサイトを同時運営するのは現実的に無理なようです。
外の活動、私の場合は一日最低4時間とちょっと。出かける前の準備時間を入れると、拘束時間はもっとになります。それでも随分と昔と比べると、時間は短縮して来ましたが、まだまだです。

忙しい時は、いや忙しい時に限って、家猫たちが「ラップトップに乗せて」とか「抱っこして」と甘えてきて、そんな時はその子の名を呼び、・・・例えば「ポポちゃん、ギュッ/ミケラン、ギュッ!」って、言葉掛けで誤魔化すマエストロ(?)の毎日です。

でも、色んなこと全て含めて、物事が全方向にうまく運んでゆくように、知恵をしぽって考えてゆきます。


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春の日2

2013
05.11

雨の日のメランコリー

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あいにくの雨降り。夕方、昨夜の現場が気になって、一時間ほど雨ガッパを着こんで一回りしてみた。そして強さを増した雨にだいぶ濡れてしまった。帰り着きエレベータホールに立つと、上からの蛍光照明に濡れたカッパがテカテカと光っていた。

雨。エレベータ前。あれは何年前? エレベータが降りてくるのを待っていると、エレベータ脇の階段へつながる開口部から、ずぶ濡れの犬がひょっこり顔を出した。それはまるで小怪獣“海坊主”のようだった。
首輪をつけて、人懐っこく、キョトンとした眼差しで、ハアハアと舌を出して息をしていた。しかし、深夜でもあり飼主を探すこともできず、朝方になって同じマンションの住人の犬かな(?)と・・・犬の後ろをついて歩いてみたが、どうやらそんな様子もなく、結局、また犬を連れて家に戻った。

体をふいてあげたり、ミルクを飲ませたり、ドッグフードを買いに行ったり、ぼんやりと覚えている。次の日から飼主さがしを手分けして始めたのだが、首輪には住所も名前も手掛かりは何もなく、謎だけが残り、飼い主はみつからなかった。
中型の犬、女の子、名前はTTPP(今ニュースをにぎわしているTPPとは関係ない)と名付け「ティーちゃん」と呼び、それから四年余の歳月をともに暮らした。

気立てが良く、優しくて、良くできた子だった。獣医からは「10歳近くかな? 心臓が悪いかもね!」と言われていて、健康状態への不安が無きにしもあらずだったが、雪道を一緒に一目散に走ったり、南の島へも一緒に行った。
楽しい日々だった。
猫17匹(全員捨て猫出身)と犬一匹の生活。犬猫同士の喧嘩やいさかいもなく、夜毎ベッドで人&犬猫入り乱れて眠りについていた。

雨の日はカッパを。冬になると可愛い防寒服を着せて散歩に出かけた。
ある日のこと。夜だったかな? 通りすがりの二人連れ男が「キタネェー犬に服なんか着せやがって!」と。
私の方は、犬を連れている手前、喧嘩もできないから反応もできずに、苦い思い出になっている。せせら笑いながら立ち去ってゆく後ろ姿に言い知れぬ怒りを感じた。
命は線を持って「今」に続き、面となり“いのち”を形づくり、生きてゆく。その頃、ティーちゃんには、体の事情で体温調整のために服を着せていた。病気治療の投薬もしていた。雨の日のカッパも「体を冷やさないように、泥で汚れないように」と、至極当然のことで、何も知らない奴らはパッと見た目の点だけで自らの心情を吐露し浅はかな捨て台詞を吐き跡形もなく消えるが、このような体験は今なお引き続いて私の道すじに覆いかぶさっている。

晩年のティーちゃんは、ヨタヨタトボトボと、呆然とすることが多くなり、寝たきりになったこともあったが、そばにいてくれるだけで嬉しかった。生きているだけで嬉しかった。・・・遠い遠い思い出。
雨降る向こう側をただじっと見つめるしかない。

15年以上前の記憶のカケラが雨つぶとなって伝ってきた夕暮れ時、エレベータを待つ束の間の物思いだった。
雨の日のティーちゃんとの散歩、その後には入念に手足を洗ってやったっけ。
ティーちゃんは「イヤだイヤだ」と・・・。いや、雨の日にはシャンプーの丸洗いだったかな??? でも、温水の丸洗いは嫌いじゃなかった。

雨が運んできたメランコリー、甘美でほろ苦い感傷なのでありました。

雨のなかの小さな赤い花


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TTPP(ティーちゃん)との思い出の曲。~はじめに広告が入るけどごめんね~YOUR SONG by Elton John

2013
05.10

あの子たちはこれからどうなるの?!?

Category: 地域猫活動
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つい先日、路上の片すみで紙を噛んでいた猫たちがいたことを載せました。あれからまだ数日のことですが、気づいたことをメモ書き程度にまとめます。

その2匹の猫たちと出会ったのは、ゴールデンウイークの最終日の夜でした。外猫たちにいつも通りの給食活動を終え、私たちが活動しているエリアの境界線沿いの道を帰ろうとした時、空腹で紙にかじりついている可哀相な子猫たちを見たのです。

私たちの活動のボーダーの外側にいたあの子たち。
あの子たちが、どうしているのかと思い、気になって。
連休明けの夜更けにその場所に行ってみました。
しかし、猫の姿は全く見当たらず、気配も感じられませんでした。街灯に照らされたコンクリートの地面と建物があるばかりです。

猫たちはどこに行ったのか、どこで何をもらって生きているのか。
その近くを散策し、注意深く良~く見てみました。すると、ビルとビルの細いすきまにドライフードが散らばっていました。別のビルとビルの間には水の器とミルクパンくらいのコンビニ仕様の器がありました。水はありましたが、器の中はカラッポ。
ああーこうやって生き延びていたのかと思いました。勤め人の情けを頼りに・・・
でも、その勤め人たちは、GW連休中は来ることはなかった。「・・・・」そういう訳かと推察しました。

そして、連休明け2日目の夜。また行ってみました。子猫たちの姿は全く確認できず。状況は同じようなものでした。これで分かったことは、勤め人がいる平日は食べ物にあり付けるけれど、休みに入ると猫たちは飢餓状態におちいる。ドライフードは地べた。ウエットフード容器は置き去り。この分だとTNRなど考えもしないのでしょう。

つまり、ここでは適正管理は施されていなかったのです。

近くとはいえ、ここにまで手を伸ばさなければいけなくなると思うと、千里眼を持たない私たちの力にも限界があるから、本当に頭痛がしてきます。
実は、このあたりで猫たちを取り巻いている人たちのことを薄々は知っていました。ある人は飲食店で働いている人。ある人はかつてここに職場があった人。週に3回だけエサやりに来る人もいました。
以前少しだけの接触がありましたが、その人たちは自分の事情をまくしたてるだけで聞く耳を持たず、それっきりになっていました。
それがこんな状況になっているとは! この後、このままでは放っておけないので、アプローチは何とかしてみようと思いますが、とにかくTNRだけは何が何でも事情をキャッチして進めなければいけません。

んー。なんて言ったらいいのか? これは、本人たちの資質の問題なのか、行政の指導の問題なのか? こんな風景が日本全国に広がっていると想像すると・・・、本当に痛々しい状況と言わざるを得ません。

休み&ロングバケーションの間中、空腹にあえぐ猫たちのことを尻目に、素知らぬ顔で、高枕に高いびきを決め込んだ野太い神経の彼女たち・・・

気持ちを分りかねるのです。
 


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2013
05.09

野良猫とマッチ売りの少女

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北欧の町。大晦日の夜。ひとりの少女が寒空の下、マッチを売っていた。マッチが売れなければ父さんに叱られるので、全部売れるまで家には帰れない。しかし大晦日で忙しい人波は、少女には見向きもせずに通り過ぎていった。

夜になり、少女は凍える体を暖めようとマッチに火をともす。すると、小さな炎の中に暖かいストーブやご馳走、きらめくクリスマス・ツリーなどの幻影が次々と現れ、マッチが消えると“まぼろし”も少女の目の前から消えていった。

夜も更け、少女の頭上に流れ星が流れ、彼女は優しかった祖母がいつか「流れ星は誰かの命が消えようとしている象徴(しるし)なのよ」と言った言葉を思い出していた。そして、次にマッチをすると、その祖母の幻影が現れ、少女はマッチの炎が消えると暖かかった祖母の姿も消えてしまうのを恐れ、次から次へマッチに火をつけていった。
そうして、明るいほんのりとした光に包まれた祖母は、凍える少女を優しく抱きしめながら天国へと昇っていった。

日が明け、新しい年の光が町を照らし出すと、少女はマッチの燃えカスを抱え微笑みながら息たえていた。しかし、人びとは少女が小さなマッチの炎で暖をとり、祖母に会い、天国に上っていったことなど誰一人知るよしもなかった。


子供の頃に読んだ童話、ほとんど誰もが知っているアンデルセン作の「マッチ売りの少女」の物語です。・・・遠い遠い記憶です。そして、この物語は今年の冬に外猫活動の自転車走行に連れ歩いた友でもあります。
誰も見向きもしなかったマッチ売りの少女。誰も気づきもしない、誰も助けようともしなかったマッチ売りの少女。


「マッチ売りの少女」のイメージが、捨てられ“見向きもされない猫たち”と重なるのです。路傍でもてあそばれこそすれ、猫たちの憂いはその人たちの心の中には決して映らない。人の世、冬の街、色鮮やかにくっきりと容赦なく色分けされるコントラスト。

ええと、たとえば、そこに、通りすがりに、ほら、明らかに捨てられたと分る痩せ細り汚れた犬か猫がいたなら、あなたならどうしますか? おそらく、100人中100人の誰も助けることはないでしょう。助けません。
経験の上で分ります。
そこから、その子たちは、101人目、800人目、2000人目、10000人目の奇跡を待つのです。懇願するのです。祈るのです。
54番目の人に助けられたら、奇跡中の大奇跡。5362番目の人に救われたのなら、奇跡中の大大大奇跡。39999番目の人に助け出されたら、大大大奇跡中の大大大大大大奇跡。運に見放された子たちは、マッチ売りの少女のように天を仰いで静かに息たえるのです。人知れずひっそりと死んでゆくのです。
100人の中には、食べかけのサンドイッチを投げてくれる人もいるでしょう。コンビニ弁当の余りを置いていく人もいるでしょう。でも、そんなものは命綱の糧/雲の糸一本にもなりません。・・・力ない憐れみです。さげすみです。

捨てられる犬猫の総数に対して、どれだけの奇跡を起こせるのか? 優しい社会であってほしいと痛切に願うばかりです。
マッチ売りの少女には100人番外の奇跡は起こらなかった。天国への階段だけが救いだった。毎日毎夜、外暮らしの猫たちと向かい合う身としては胸にしみいる物語です。

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2013
05.08

手厚いM家のメメちゃんは光を受けて

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昨日のジャーナル最後で、夜の活動の帰り道 “紙を噛む二匹の子猫”に出会った話をしました。

ゴールデンウイークが明け、日がぐるーっと回って“夜”。
同じ時間帯にその現場に行ってみました。しかし待ってみても探してみてもその子たちが姿をあらわすことはありませんでした。
飲み屋や店や大中小のオフィス・ビルが多い所なので、普段はあたりに勤めている人たちから何かもらっていたのに、長期休日に入ってパタッと“食料供給”が途絶えたということでしょうか。
こういった話って、実によくあるんですよね。
しばらく様子を見てみることにします。TNRのことも頭に浮かぶし・・・

悩ましい問題です。

さてっと。今夜はシリアスなことばかりだと気がふさぐので、明るい話題をとどけます。
以前に「シャボット」に掲載した“M家に助けられた子猫のメメちゃん”のその後です。

DSC00520メメ (3)

「メメちゃん?」「メメさん?」何と呼んだら良いのか? よそ様の猫さんだから、ここでは「メメさん」と呼ぶことにしましょうか?

メメさんは約1歳。今年の3月20日に初めてMさんに目撃され、3月28日に結膜炎がひどくなっていることを心配したMさんは急きょ室内に保護しました。行きずりの猫のことなんか、髪の毛の一本ほども気にしないで、ただ通り過ぎてゆく人ばっかりの世の中で、助けてくれたMさんに出会ったメメさんは本当に幸福な猫さんです。
Mさんに保護されるまでの12ケ月は街の隅を右往左往する苦しい日々だったことでしょう。

M家では彼の母上さまの代から脈々と外の猫を室内に保護して共に暮らしています。
殺伐とした世の中、こういう方がいらっしゃって呉れると、捨て猫救援活動をする私たちには本当に救いになります。メールを読みながら、思わずニッコリと微笑んでしまいました。

メメさんは結膜炎の治療をしてもらい、4月に不妊手術も終えました。
その後を知らせるメールがGW中頃に届いたのです。・・・M家のTさんからのメールです。

メメは下まぶたの糸を抜糸してもらい、カラーから解放されました。
結膜炎の炎症がまだ退かないので、右眼は細くしたまま。毎日の点眼継続でケージ生活は続きます。
ですが、カラーから解放されて落ち着いたのか、オモチャで遊ぶようになりました。
ウイルス、寄生虫共にOKになったので、ケージ越しに他のネコと対面させていますが、
お互い遠慮しているのか、余り関心が無いようなそぶりでいます。


そして、メールには掲載した写真が添付されていました。この子が、M家に来て約一か月とチョコットのメメさんです。家の雰囲気にもだいぶ慣れて、だんだん右目もきれいになってきたそうです。
メメさんは、M家Tさんの考え方やキャラクターを考えると、幸せな“家庭猫生活”間違いなしです。
M家の“家の子”になったメメさんは、「影の世界」から「光ある世界」へと救い出されました。


しかし、こう書いているさ中でも、次から次へ「影の世界」に不幸な猫たち/子猫たちが切れ目なく供給されています。この現実をどうやって解決していったら良いのか? 本当に頭が痛くなります。

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2013
05.07

「あー良かった」と思ったら、最後に“ガァーン”

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このブログは、始まったばかりで今のところ記事が一つしかありません。それなのに、訪問していただき、応援クリックまでしていただいて感謝しています。ありがとうございます。

再びのブログ開設は、予想していたよりも大騒動でした。前のブログのイメージが頭の中に残っていて、同じようにしようという思いが強すぎ・・・
しかし、他のプロバイダではこちらの想定や思惑はケンもほろろに通用しませんでした。

ブログ・トップのビジュアル・デザインがピンと来ない。猫の郵便は固定して伝える情報量が多いからスペース分割(カラム)は三分割の方が良いが、他のプロバイダの場合はココログと違って記事を書く真ん中のスペースが極端に狭すぎる。編集のやり方もそれぞれに全然ちがうし、立ち往生しちゃうかなぁー! などなど色々ありました。

あっちに行ったり、こっちに行ったり、シャボット・ブログに戻って「ここでこのままのデザインで、もう一つブログを作って、開き直っちゃおうか?」なんて、ゴールデンウイークほぼ丸ごと使っての迷走しまくりの日々でした。

ブログを新規にやり直す決断は、前のブログ/シャボットが「なかなか繋がらない」というクレームからだったので、結局、選択の優先順位の一番を“接続スピード”にして、頭の中にあった「前と同じように」という固定イメージはキッパリと捨て去り、すべて新たに各選択肢が多岐に渡り豊富なFC2にしました。

超シンプルなデザインに、2カラム(二分割)。やり方や見た目は試行錯誤しながら少しずつ作り上げてゆこうと思っています。大事なのは記事の中身。
えっ? そうは言っても、インターネットには独特な言語体系があって、太刀打ちできるかな・・・と。
・・・新しいブログになって、楽しみだったり、不安だったり。

でも、とにもかくにも昨夜遅くに最初の記事を書きあげたときは、ほっと胸をなでおろしました。「あ~、約束が果たせた!」、安堵しました。

そうして、夜の外猫活動。勢いを増してゆく風にせかされるように動き回り、やっとのことで最後の場所を終え「さあぁー、帰ろう!」と自転車を走らせていたら、視界に“ガァーン”と強烈な衝撃!
暗闇・・・、ゴミの集積所・・・、ゴミの袋が破れゴミが散乱・・・
子猫が2頭! 何かに喰らいついています。よく目をこらして見ると紙を噛んでいたのです!
何か味がしみ込んでいたのでしょうか。しかし、紙とは!

相当なひもじさだったに違いありません。住宅もまばらなこんなところで・・・
罪なことです。
私は手持ちのフードで急ごしらえの弁当を用意しました。
生き物のこんな哀れな姿に遭遇して、見て見ぬふりをする訳にはいきません。何もせずに通りすぎることはできませんでした。

これから見守ってゆきます。(取り急ぎなので、写真など後ほど編集します。)

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2013
05.06

はじめに

“猫の郵便”について。
私たちは、何らかの理由で“飼主”を失い、屋根を持たず屋外で暮らさざるを得なくなった猫たちが、地域猫として“世”に認知され生きていけるように各方面に働きかけ、さまざまな活動をしています。

その活動内容は
1. 決して欠かさない“毎日の給食活動”
2. 区行政との協働の下にTNR(不妊・去勢手術)の実施と徹底
3. 片付けと清掃/環境整備
4. 交渉(近隣の人々と行政)と地域猫への理解のための広報活動
5. 地域猫が死亡した時の見送り(葬儀)

Hi!はじめに

野良猫問題や犬猫の殺処分の問題は、単純に言えば「無責任な飼い方」や「犬猫の遺棄」、そして猫に関してだけ限定するなら「TNRの責任を負わず、野放図なエサやり行為」が主たる原因であると言われています。

捨てなければ、野良猫にはなりません。野放図な放し飼いをしなければ、迷い猫になりません。飼い猫の不妊・去勢手術をしていれば、望まれない子が産まれることもありません。
覚悟と責任のない「動物への接し方」が、動物たちに“殺処分”の道を辿らせているのならば、それは余りにも邪悪です。

動物愛護法を見直し、殺処分をSTOPさせる。そのためには・・・
1. 同じ志を持つ個人やボランティア・グループと連携連動し、助け合うこと
2. そして私たちの声を社会的に大きくしてゆくこと(情報の共有)
3. 声が世の中へのスピーカーになり、広報になります

願わなければ叶いません。声を出さなければ聞こえません。伝わりません。
“動物の権利”や人権の先進国のイギリスは、市民の強く大きな声があったから政府が動かざるを得なかったのです。
見捨てられた動物は、社会の“深い懐”に入れて守るシステムが必要です。

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