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2013
06.30

恐い夢 ~ 恐い街

Category: 夢の中の王様
猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

土曜日の昼寝。恐い夢を見た。高温多湿の空気が運んできた、悪夢と眠りがため込んだ熱。しばらくの間引くことはなかった。・・・愉快でない目覚め、後味の悪い余韻、冷めない心拍数、あぶら汗。
前後のストーリーは覚えていない。
目覚めのまぶたに残っていた悪夢の残骸は、自宅の黒い玄関ドア、錆びたドアチェーン、一番奥の部屋で身をすくめている自分の感覚器官。動かなかったのか、動けなかったのか、只じっと身動きをとれないでいた「身がちぢむ思い」。
玄関からはドアチェーンを外側から切ろうとやっきになっている金属的な断続音が切れ目なく続いていた。
迫りくる物音の恐怖。
3人くらいの物陰がドアの外にうごめき、執拗に中に入ろうとうかがっている。
一番奥の部屋からは見えないはずの玄関の様子や外の動きが、眼の裏側に映って見えるのが夢の不思議。
・・・ドアチェーンがだんだんとくじけて、ドアの上の方にスクロールアップしていくのが分かる。細く開いたドアのすき間から恐怖が細く強く光のように入り込んでくる。・・・うー!

どうしてこんな夢を見たのか、専門家が診断すれば、何らかの回答が下されるのかもしれない。疲労? 心労? ストレス? プレッシャー? 自分への不安感? それとも将来や社会への恐れおののき?「フロイト先生に直に分析して欲しい」と願いたいところだが、それは絶対に不可能なこと。
何かの暗示か、何かの黙示か、警告か?

でも、「恐い」と言えば、六本木から麻布某町界隈は、年々ひたひたと音もなく水が水位を上げるように物騒になって来ている。それを日々肌身に感じている。
ささくれだった乾いた人たちの群れや飛び交う奇声。警官ともめる人。酔っ払いとはちがう雰囲気でふわふわ歩く人(ドラッグ?)。当てもなく深夜にさ迷う人たち。見た目「危ない」とはっきりと判別できる人。
西麻布や六本木は新興勢力・関東連合や組織暴力団の資金源/草刈り場という話も聞いているし、世間を震撼とさせた恐ろしい事件も起きている。

報道に載らない事件だってある。あれは一か月くらい前のことだったかな?!? 夜、友達のところに立ち寄ると、外から物凄い音量のアラーム音がいつまでも鳴り止まず、外に出てみると首都高の上に車が乗り捨てられ、その車から一目散に逃げてゆく男たちの姿(抗争?)、高速道路の上だよ。・・・何があったか分からなかったが背筋がゾーッとしたのが未だに記憶にはっきりと残っている。
アベノミクスで「ニッポン絶好調!」などと、大手テレビ新聞メディアは、根拠なく煽りに煽っているが、余裕があるはずの“この港区”の街々だって、どこか異様に殺気だって、うるおいのカケラも感じられなくなってしまったのは何故? 私の毎日のフィールドワークの実感です。

毎夜毎朝、出かけて行く港区「町なか地域猫活動」。絶えず緊張感がまとわりついている。


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2013
06.29

6月、今月のありがとう’2013

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【A Thank-You Note To Our Friends】
港区KKさん 練馬区SHさん 港区MTさん 東久留米市HYさん 目黒区MNさん 品川区IMさん 品川区KMさん 横浜市IMさん 中野区YTさん 港区ATさん

猫の郵便の活動に定期的にご寄付頂いています方々に心からの感謝を捧げたいと思います。

2013年6月、高い湿度と雨になやまされた月でした。
しかし、応援してくださる方々の 猫たちへの温かなお気持ちと係員たちへの応援に励まされ、毎日の給食・保護活動を滞りなく行うことができました。

ご寄付 そして、思いやりにあふれたメール、メッセージをいただき本当にありがとうございます。
頂きましたお気持ちを大切に、これからも活動を続けてまいります。
今後とも応援、ご支援よろしくお願いいたします。

今月のお買い物につきましては多忙のため、集計が未だ手付かずですが、集計が済み次第、報告を掲載致します。(鉄腕ウンガ)

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2013
06.28

ただ「がんばろう」と自分に言い聞かせて

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梅雨の中休み。湿度は高いものの、ここ最近、雨降りが夜に朝に断続的に続いていたので、この二日間の活動は気持ちも晴れやか開放感あふれるものになった。
雨が降ると降らないじゃあ、その差を言葉で表すのはむずかしい。経験者しか分からない。
今でこそ一日4セットの外活動は、それぞれ一時間に縮小した。しかし、活動当初は、4セットの中の重要地区2セットの活動には各々たっぷり2時間は費やしていた。一度出たら2時間は帰れない。雨降りならば、合わせて6時間、雨に叩かれっぱなしになる。
振り返れば、よくやっていたと思う。
地域猫活動は、もつれた糸を少しずつほぐして行くような作業。忍耐を要するし、それが全てだった。これからも、きっと、たぶん、そう。

せっかく、道の途中まで辿りついたのに、不心得者に“捨て猫”されると、また再び後戻りを余儀なくされることもあった。活動近隣の“誰か”が忽然唐突に現場放棄する問題もあったし、これからも不安要因として残り続ける。
でも、住宅密集地に比べれば、人が少ない分、計算は立てやすい。
ただ「がんばろう!」と自分に言って聞かせている。
夏までには“紙を食べていた猫”を安定させ、TNRをやらなければいけない。TNRと広報、活動現場の異変のチェックとまじめな活動、坦々としたことを坦々とやりこなして行くしか「この活動」には他に方法がない。
一喜一憂していたのでは身が持たない。雨降りなんて何のその、地域猫活動では“嵐”まで含めて耐えられる範囲。
地域猫活動ではもっと恐いことが百鬼夜行に待ち受けている。


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2013
06.27

実験動物会合「まとめ」です

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このブログは字ばかりだと言われ敬遠されているようなので、「まとめ」は手短にします。

私は「実験動物の3R」にもろ手を挙げて賛成します。・・・世界中のアニマルライツの人たちが長年に渡って願ってきたことです。
それは「今までしてきたことには問題があった」、だから問題点に光を当て「少しでも良い方向に改善していくことが人間社会の品格にとって望ましい」とする考えです。
「動物実験に反対するものは意見を言うな!」、これでは民主主義の方法が否定されてしまいます。丁寧に言っても「弾圧」です。

交流会で最初にスピーチに立った黒澤務さんは、言葉過激に、さんざんアニマルライツの人たちや動物実験に反対する人たちを批判していましたが、最後の最後に実験動物の福祉の「国際基準」の話をし始めたら、こつ然と論理が豹変なさいました。
「政府は動物実験の“国際基準”を守り、その枠組みは政府自らが作り、監視しなければいけない。関係官僚の中には適当でいいだろうとする向きもあるが、もし守らなければWTOに提訴される。」とおっしゃったのです。
つまり、3Rは日本政府がちゃんとやらなくてはいけない“国際基準”だと明言されたのです。

国内の意見(反対もふくめて)には聞く耳をかさずなのに、「外圧」にはめっぽう弱い。あらゆるジャンル、いつもの日本の風景です。でも、まあ良いでしょう。
3Rと国際基準、私も望むところです。
国際基準と言うことは、その流れが世界のメインストリームになって行くということです。

人類の発展の美名の下で、動物を虫けらのようにいたぶり、用済みになったらポリバケツにポイで「チャンチャン!」では、医科学界の倫理観にクエスチョンマークが点灯してしまいますし、世界の恥です。
この特集の最初に引用したマハートマ・ガンディーの言葉、「国の偉大さ/誇らしさは、その国で動物がどう扱われているか、その“道徳的発展”で示される」と・・・、これは実はあらゆることに当てはまる的確な名言なのです。
「倫理」の働かない商売や経済や政治ではダメでしょう?!?! どうあるべきか、「倫理」を伴って発展してゆかないと、いつか本体が内側から破綻をきたしてしまう、そういう風に思いませんか?

ブレーキの利かない乗り物に乗るほど恐いものはない。国であれ、制度であれ、発電所であれ、何であれ。 (鉄腕ウンガ レポート /写真は議員会館から見上げた空)


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2013
06.26

実験動物会合 ちょっと待ってよ お父っつあん! 

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3つのR「実験動物の福祉のキーワード」の復習
① なるべく動物を使わない方法に置き換え(Replacement)
② 使用数を削減し(Reduction)
③ 動物に与える苦痛を軽減する(Refinement)


まず、3つのRをしっかり念頭に置いて話を進めて行きましょう。

改正動物愛護法交流会。「実験動物」に関する会合は、二人の政治家のあいさつに続いて・・・
次に「黒澤務」という「AA・・・」何たらカンたらチンプンカンプンの肩書きの人が登場しました。お題は「実験動物福祉の国際基準の解説」の講演。
しかし、このお題の本題「国際基準」についての話は約30分のスピーチ時間の終わりのほんの少し、数分くらい。
では、この方が何を話したかと言いますと、話し始めのショッパナから延々と続いたのは「「アニマルライト(氏の翻訳では『動物権利』と叫んでいた)」を主張している人たちと「動物実験反対」の人たちへの批判と口撃でした。

黒澤務さんの主張のあらましは、「アニマルライト、つまり動物権利と言うならば、動物の自由を奪うことは止めるべきで、肉食はダメ/動物の展示(動物園・水族館)はダメということになる。更にペットを飼うのは動物の自由を奪うことだから、ペットを飼うのも今すぐ止めるべきである。」という具合に特異な理屈を繰り広げ、アニマルライトの主張が非常に「変である」と強調してやり玉にあげていました。

また、氏は続けざまに口元もすべらかに「片や、動物実験反対の人は、病気やケガをしても治療を受けるべきではない!」と力説していました。その理由として繰り出したのは「医学の発展は、動物実験によってもたらされたものだからして、動物実験に反対する人は医学的成果を拒否すべきだ!」と畳みかけるようにおっしゃったのです。
そして、駄目押しに氏が言うには「治療をしてもらって生きたいと望む人は、動物実験を認めて受け入れなければいけない!」と強引な跳ね飛び三段論法を展開したのであります。

更に挙句の果てに、「動物実験反対の人は3Rに口出ししてほしくない。何故ならば、3Rは動物実験のための基準なのだから動物実験に反対している人は関係ないから口出しするな!」と、この会合の主催者「ペット法塾」の存在まで全否定するような、あっけにとられるような論理を披歴したのです。
排外主義というのでしょうか、学識経験者の余りの倫理観の欠如と退行劣化ぶりに“鳩が豆鉄砲”の驚きを禁じえない思いがしました。
「原発に反対の奴は、電気を使うな」理論と同じですね。

昔々、ナチス・ドイツ時代に人体実験が盛んに行われ、医科学や化学が超飛躍的な進化をしたのは史実です。ならば、人体実験に反対する人間は黒逆三角マークか黄色逆三角マークを胸に付けて生き、受診を拒否されても「文句は言うな!」ということでしょうか。踏絵をしろと・・・
また、別の例を出すならば、「戦争」によってあらゆるジャンルの技術革新がなされたのも、これも歴史的な事実です。ですが、技術革新それだけの目的のために戦争を起こすなんて、そんな馬鹿な奴はいないでしょう。飛躍的な技術革新がもたらされるから「戦争を認めろ!」、こんな阿保くさ論法、イギリスの犬も食わんわ!


3Rは黒澤さんが意図するような趣旨の「動物実験のための基準」ではありません。動物実験の暴走にタガをかけるための“市民”による“倫理規定”です。そこのところをはき違えてはいけません。3Rが動物実験関係者の間から自然発生的に出て来た提案ならいざ知らず。
結局、黒澤務さんという人の主張は、利権や既得権益の下で甘い汁を吸ってきた人たちの最後っ屁の悪あがき/後ろめたさの苦しい弁解にしか聞こえませんでした。

もし、我々の人間の文化が他の民族や他の動物の犠牲の上に成り立っているのならば、少しでもその“痛み”をやわらげて行こうというのが世界のあらかたの潮流です。これを「人類の新たなる倫理の進化のステップ」と言います。開き直られては困るのです。
この種の“いい年をした子供右翼論法を駆使する人”を、主催者は何故、ゲスト講演者にキャスティングしたのか、理解に苦しみました。
それに信頼を寄せていた「ペット法塾」の真意も測り兼ね、もやもやした梅雨の空の下、もやもやゲンナリしながら帰路についたのでした。

利権、既得権益、金欲、野心、功名心、他者の痛みを感じない心。だけど、ちょっと待ってよ お父っつあん! 
その言葉、やれるものなら国際会議で堂々と演説してきてちょうだいな! 橋下徹と同じ目に遭うよ、父っつあん! 潮目を見ようよ。(鉄腕ウンガ レポート)


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2013
06.25

実験動物会合に出てゲンナリして帰る

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The greatness of a nation and its moral progress can be judged by the way its animals are treated.
この言葉は「インド独立の父」として知られる“マハートマ・ガンディー”が残した金言です。
直訳すると、国の偉大さとその道徳的発展は、その国で動物がどう扱われているかでジャッジされる。
すなわち、国の偉大さ/誇らしさは“道徳的進展”なしにはありえず、その中身が問われているとも言えます。

このマハートマ・ガンディーの言葉を前提にして、この国で起こっている「動物のこと」についてウォッチングしてゆきたいと思います。

それは6月25日。場所は衆議院第一議員会館大会議室で、ある集会が催されました。
主催は「THEペット法塾」。銘打って『実験動物の福祉の実現のための法改正を求める』改正動物愛護法交流集会。
やたら長ったらしくうやうやしい名前です。自分たちを偉いと思っている人は決まって、こんな風に仰々しいネーミングをしたがります。法律家・政治家・官僚の特徴と言えます。三すくみで角突き合せているうちに似てきてしまうものなのでしょうか。

「国境なき医師団」とか「人道に対する罪」とか、そういう言語力に長けた人の登場を待望します。

会場に入ると、300名くらいの客席はほぼ満員。以前からこの種の会合で数回出会い顔見知りになった人達が大勢席についていました。その内の某さんと二言三言、情報交換。巨大サイトから攻撃を受け「いじめられている」と話を聞きました。
この世界にもあの在特会のようなヘイト行動をする人がいると思うとイヤになりますね。保護活動する人の“人権”も「言われなきバッシング」から守られなければいけないと感じました。「動物の権利」と「人間の権利」が両輪になって、はじめて「道」がひらけてゆく、「猫の郵便」が予てからテーマにしている重要コンセプトです。

さて本題へ。集会は先ず、ペット法塾代表の植田弁護士の開会のあいさつからスタートしました。
話の内容は「今年1月の交流会で、動物をゴミとして殺す行政から生かす行政へと国民運動を起こそうとして、その際、同時に実験動物の3R()の義務化を求めたが撤回され、付帯決議となった。しかし、これからも実験動物の福祉の法改正を求めてゆきたい」との趣旨(あらまし)。
次に元衆議院議員(自民党)、現議員(民主党)のあいさつが続き。
この中で、7月にパブリックコメントを募集するので、予算が付かなければ何もできないから「予算を付けてくれるよう要望を出して下さい」と、メッセージがありました。
ひとつには殺処分施設をシェルター化にするための予算、ひとつには動物実験の代替え法研究のための予算などの案があります。動物保護先進国のイギリスやドイツの動物行政のあり方/やり方の視察なども予算が付かないと実現不可能です。政治の流れは予算が付くことが先ず始まりの第一歩になります。
パブリックコメントはガス抜きだとする説もありますが、意見が何もないよりは多くの意見を集め「無視できない勢力」として存在を誇示する方が「変わらない現実」に対して有効かと思いました。最初の一歩、風穴をあけましょう。(つづく&久々の鉄腕ウンガ・レポート)

次回の実験動物会合の報告は「実験動物会合、ちょっと待ってよ お父っつあん(仮)」。超はねとび論理をアジるオジサンが登場します。

※ 3Rは実験動物の福祉のキーワード
① なるべく動物を使わない方法に置き換え(Replacement)
② 使用数を削減し(Reduction)
③ 動物に与える苦痛を軽減する(Refinement)


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2013
06.24

無関心社会のなれの果て、高笑うのは誰か?

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目の前に見える社会風景をシンボリックに表すと、「ストレス社会」「格差社会」「消費社会」「管理社会」「無気力社会」「無責任社会」などが思い浮かぶ。
が、これらのイメージ断片を一まとめにくくると、「社会全体が閉塞している」という大きな壁に突き当たる。
どこにも「行き場」がない社会。どんづまりの袋小路社会。
「〇〇社会」を「〇〇列島」と言い換えれば、もっとリアルだ。
ストレス列島、格差列島、無責任列島、無気力列島、監視カメラ列島、欲望の列島、粗暴列島、ヘイト列島、きりがない。そして、とどのつまり出口なしの閉塞列島。

その「無気力」で「無責任」で「ストレス」をため込み「監視カメラ」が張り巡らされる「列島」の首都で、6月23日/日曜日に選挙があった。東京都議会議員選挙。
報道によると、投票率は40%前後の低さ。東京に住む6割の人たちが棄権した形になった。
結果は自民党と公明党で過半数を確保。40%の内の過半数ということは、東京全人口の20%の意思で趨勢の何もかもが決められてしまうことになる。
しかし、これを選んだのは選挙を棄権した6割の東京都民。おおよそ約770万の人たちの意思。こうなった以上、都政がこれからどうなろうが、文句を言っても“後の祭り”よ。

為政者たちや行政代官たちの高笑いが聞こえてくるようだ。

無関心社会のなれの果て。政治畑は荒れ野に、行政は自分の脂肪で焼け太り、市民の声は増々通りにくくなるだろう。
つい先日も地域猫アクティビストの「性(さが)」で、こんなウェブサイトを見つけた。
その名は東京都福祉保健局の「東京都動物愛護管理審議会委員名簿」。ここで「都における動物の愛護と管理」を審議及び調査をしたのだとさ。
委員は17人。それぞれの肩書きは、エッセイスト・都議会議員・訳の分からない公益社団法人役員・大学教授・大学講師・獣医師会副会長・小学校PTA協議会副会長・日本愛玩動物協会事務局長・主婦連副会長・中野区副区長・日本実験動物協会理事・東京都鳥獣保護員・某市副市長などなど。
何故この人選になったのかは我々には不確かなまま。これらの人たちが円卓を囲み、何を審議して、何を市民に降すと言うのでしょうかね。コーヒーを一杯飲んで、お座なりの資料を数ページめくるふりをして終わりでしょう。
メンバーを見る限り、動物の不幸の現場を肌身で体験している人がいない、動物愛護の日常活動をしている人が見当たらない、上から目線があるだけで現場を知らない、人選の基準/方向性が見えない、PTAや主婦連の役員が動物福祉の何ができるのか/何の専門性があるのか、実験動物については利権と既得権益が絡んでいる・・・と、実体が空ろなのが透け見えですね、これじゃあ。
結局のところ、行政サイドが望むような玉虫色の言葉を並べ立ててアリバイ作りをしているに過ぎないように感じましたね。つまり、「無作為」の支援者としての識者ですね。
無作為は行政の代名詞。識者/関係者は利権や既得権益に群がる人たちの代名詞。

だけどさ。それもこれも有権者の無気力と無関心があやなして作り出している虚ろな楼閣なんだけどね。個人の努力ではどうしようもないことは、政治が解決しなければいけない。社会への無気力・無関心は「荒れ野」を招くだけ。
今が現にそう。

<冒頭写真は2年前の6月24日午後8時頃の撮影。あれから東京は更なる三無が進行しているような気がする>


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2013
06.23

観音さまとオチツケ君

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練馬区のSHさん一家については「シャボット」時代から何度か話題に取り上げて来ましたが、この方を一言で表すと何て言ったら良いのでしょうか。
「神さま、仏さま、〇〇さま」と言う聞きなれた慣用句がありますが、SHさんは「観音菩薩さま」というのがピッタリ当たっているような気がします。
東に足を切断され行く末を案じられる犬がいれば行って引き取り共に暮らし、西に路頭に迷う猫がいれば親身になって心配し、こういう善意の人が大勢になれば「犬猫の受難問題」も自然消滅してくれる気がしますが、思い通りに行かないのが世の常、世の定め、世の中ってものです。

「観音菩薩さま」のような人。「んー」と一呼吸して、オンラインで調べてみること一しきり。
観世音とは「心で自在に世の中の音を観る仏」とあり、菩薩とは「自分のためだけではなく、他人の利益になることを考えて修行する人」とありました。
遠き未来、慈しみにより生あるものすべてを救うという菩薩、弥勒菩薩像がたたえる柔和な面影はキリスト教徒の私の目から見ても沈黙の中の“慈愛”をイメージさせます。
そして、千の「手の平」それぞれに一眼を持つという千手(せんじゅ)観音。千手観音の千本の手とは、どのような衆生(生き物すべて)をも救済しようとする観音さまの、慈悲と力の広大さを表しているといいます。

多くの人は自分だけの幸/不幸の牢獄に囚われ、慢心したり悲嘆にくれたり。「それが人生さ」と一喜一憂する“性(さが)”に疑いも挟まず生きています。自分だけの人生、今も昔も。
しかしSHさんの人生観や幸福観は大方の人たちとは一味も二味も不思議にちがっています。彼女は何事も分け与える人。自分の殻を蹴破って、優しさや慈しみがこぼれ出てしまう人なのです。
体が自由に動かせない犬の世話だけでそれで手一杯のはずなのに、戸外に空腹にさすらう猫がいれば一匹二匹と助け上げ、不慣れなTNR作業にも勇敢に駆けずり回り、大震災の時は<純情仔猫物語>のKAZUさんの元に支援物資を持って駆けつけました。そして、何と! 私たち<猫の郵便>が世話する地域猫のフォスターペアレントにまで手を挙げてくれているのです。
「思う」だけにとどまるのではなく、軽いフットワークで“足”を動かせる人。・・・そのエネルギーとパワーはどこからやって来るのか、まさに3本目以上の手を持つ慈愛の「観音菩薩さま」なのです。

そんなSHさんの元に3番目の猫さんがやって来ました。名前は「おちつけ」君。摩訶不思議な名前なので聞いてみたら、「おちつけ」になる前の名前は「あせるな」という名前だったというから、ぶっ飛んでしまいました。何でも外暮らしのさ迷い猫時代のオチツケ君は、食べ物を持って行くと飢餓感であせるようにガツガツと食らいついていたから「そんなに焦らなくてもいいのよ」と“アセルナ”君と呼ばれ、後に彼女の娘さんが「落ち着け、落ち着け」と声をかけ始めた時に“オチツケ”と名前が定着したようです。

オチツケ君は外の暮らしの時は顔を合わすたびにギャンギャンと言っていいくらい何かを訴えるように必死に鳴きわめいていたそうですが、家の中に入りSHさんウチの子になったら、すっかり鳴かなくなったといいます。
やはり、命には愛と安心と安全と平和が何よりも大事なのです。どうやら、オチツケ君は名前の通りに落ち着いたようです。
これで、また一つの命が救われました。

「奥様は魔女」ではなく、「奥様は観音さま」だったのです。


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2013
06.22

3Rとは:実験動物の福祉のキーワード

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3Rとは、実験動物の福祉のキーワード
① なるべく動物を使わない方法に置き換え(Replacement)
② 使用数を削減し(Reduction)
③ 動物に与える苦痛を軽減する(Refinement)


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2013
06.21

赤ちゃん(=^・^=)の育て方

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丁度去年の今頃は赤ちゃん猫を育てていました。川べりに捨てられていた時はまだ人間の手のひらサイズ。
軟(やわ)な針金細工に真綿をくるくるくると絡ましたようなちっぽけな仔猫でした。お医者さんの見立てによると、生後一カ月余りという判断でした。
目はまだ開いたばかりで一面均一の深い藍色、折からの梅雨の雨模様に体をぬらし、捨てられた段ボール箱から顔を出し、助けを求め精一杯の声で鳴いていたっけ。そして風邪っぴきでズビズビ鼻をならしていました。

早いもので、振り返れば、あれからもう一年。見えない時間の重なり合いがすくすくと成長させてくれたようです。
今では、毛並よし、器量よし、性格よし、気立てよし、育ちよし(笑)、人見知りせず猫見知りせず病気なし。
天真爛漫を絵に描いたような子供猫。気質面や性格面に屈折の陰りなく育ったのが何よりです。
仔猫から子猫へ。そして子猫から成猫へとこれからステップを踏んで歩んでゆきます。
成長途中、手伝ってくれたHYさんには心から感謝しています。

赤ちゃん仔猫を正しく育てる方法は、何を差し置いても先ずピッタリと寄り添うことが全てです。兎に角、面倒くさがらないこと、怒らないこと、しつけなどという余計な邪念は振り払って考えないようにすること。
スキンシップべたべた法が赤ちゃん(=^・^=)を育てる最善の方法です。他には何の方法も手法もありません。
生後8週齢に満たず親兄弟から無理やり切り離された仔猫に何がしてやれるかと言ったら、やれることは本当にこれしかありませんでした。絶対的な安心/安全を与えてやる。安心/平和な存在でいてあげる。
それは着ぐるみこそ着ませんでしたが、親猫/兄弟猫になったつもりで接することでした。

2時間~3時間間隔の授乳は勿論のこと。寝る時には自分の首か胸か顔のそばに置き、部屋を歩く時や座る時は・・・ひざの上、胸のブローチ、肩の上の鳥という風に。姿が見えなくなるのが不安らしく、家にいる限りはいつでも肌身離さずに視界から消えないように過ごしていました。

去年はグッドタイミングで動物愛護法の改正の年でした。愛護法改正要求の項目の中にあった「8週齢を過ぎない犬猫を親から引き離して“売り”に出してはいけない」ことが猫の子育てに学習効果があったように思いますね。犬や猫も人と同じで幼児体験が後々の終生に影響してくる。
人にとって幼児体験が大事ならば、動物にとっても同じはずだという信念めいた確信があり、そうして来ました。

だから、欲求の通り道をふさがないように心がけました。「ダメ、ダメだよ」ではなく、カーテン登りをしても、ラティス登りをしても、「登れて良かったね」と言って見ていました。・・・猫には一時のマイブームみたいなものがあって、それに飽きるとほとんどその行動はしなくなります。
一つだけ注意したのは、玄関とベランダの出入りだけです。それは事前に興味を他に向けさせておくことで対処していました。

怒って心理的な距離を遠ざけるよりも“ハグ”すること。怒りのストレスを与えるよりも“ハグ”すること。
外の暮しが長きに及んだ猫ほど屈折が大きく、一度屈折した動物の心を修正するのは超至難の技です。
赤ちゃん時代には「キティくん」と呼んでいたこの子は、捨てられてから24時間以内の保護が功を奏したのかもしれません。しかも物心がつく前の段階での収容は二重の運に恵まれていました。まさにラッキーボーイでした。

冒頭の写真はウチに来てから50日目くらいに撮影しました。後ろにいるのはクッションでも家具でもゴワゴワになったセーターでもなく、ウチの長老猫のダリン君(13歳)です。この子は猫の誰ともフレンドリーな関係にあり、フレンドリーに受け入れられ、こういう子は経験的に本当に珍しいのです。
やはり、赤ちゃん時代をどう過ごすかは生き物にとって大変に大事なことのようです。


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2013
06.20

台風接近ねじり鉢巻き

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昨日19日の記事のビジュアルイメージをあえて解説しますと、モノクロの画像に映っているのは、往年の大スター エリザベス・テーラーとポール・ニューマンが主演した映画「熱いトタン屋根の上の猫」です。
原作はテネシー・ウイリアムス。うだるような暑さの中でやり切れない夏を生きる人たちが交錯しあうオムニバス・ドラマ。アメリカの南部出身の戯曲家ならではの作品でした。

耐えられない暑さ。出口のない夏の空気に閉ざされ、行きかう病気の不安や挫折や葛藤や愛の不毛や誤解や和解や失楽の思いや人生の野望・・・
熱いトタン屋根の上の猫とは、よく言ったものです。

やり切れないこと、やり切れない関係、やり切れない局面。そして正解のない人生。生きていれば色々ありますよね。
ですが、そこで“しゅん”となって打ちひしがれているのでは、ドラマは展開をみません。
やり切れない大地に足を取られ、窓ガラスにふいに映った理想とはちがう自分をみつめ、行ったり来たりのドツボにはまり、何にだったら自分の心を解き放てるのか、紆余曲折の果てにそれぞれが歪んだ中にでも醜い中にでも“美しい昇華”を勝ち得て編み込まれてゆく、テネシー・ウイリアムスはそういう作家でした。

エアコンがない時代、夏になるとうだるような熱風のアメリカ南部に生まれ、やり切れない家庭環境に育ち、逃れようのないその場で魂を熟成させ、しかし後に数々のヒット作や問題作を世に送り出す劇作家となったテネシー・ウィリアムス。日本では「欲望という名の電車」や「ガラスの動物園」が有名です。

コンプレックスや心の病(やまい)が彼の魂を羽ばたかせる踏切板となり、不快な夏のシュチュエーションやイメージが作品に甘美な追い風を送っている。それって、人生どう転ぶか分からないってことだよね。

そして、この時代に今さらエイザベス・テーラーとかポール・ニューマンなんて、時代遅れと言われそうですが、夏が来るたびに思い起こすのがテネシー・ウィリアムス・ワールドなのだから仕方がない。
それは、夏の暑さにめげる五感や鼻先や頭の片すみに、蚊取り線香の煙のように香しく(笑)ほのかに匂い立ち、心の琴線を刺激してやまないのです。やり切れない痛みがそこここに散りばめられている。だからこそ、それがうま味成分となってチクチクと忘れがたく夏ごとに舞い戻ってくる。

テネシー・ウィリアムスは夏の光と影を編む作家。テネシー・ウィリアムスは甘酸っぱい“痛み”の劇作家。
痛みのない人なんていない。
顔から火が出るような恥ずかしい体験や思い出したくないもない体験って、なければ“きっと”ウソだよね。
痛みとサイドバイサイドで歩いて行くのが、LIFE! その方が居丈高にならなくて、優しい気持ちでいられるから丁度いい。

さて、今年の夏は、どんな夏になるのやら。台風4号が過ぎ去ったら、灼熱の太陽が一気にヒートアップしそうな気配。気負けしないように、気分は“ねじり鉢巻き”で行こう。


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2013
06.19

首まわりに保冷剤 ~今年初

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今夜はPCがどん底の不調になり、通常のブログ更新が不可能になりました。いつも“Word”で文章起こしをしていますが、今夜はPCを初期化したために“Word”が直ぐには使えなくなりました。
プロダクトキーが何とかカンとか・・・。製品に表示されている通りにタイピングしたのに駄目でした。
だから、今夜は直接文字入力。時間が押しているのと、普段と勝手がちがうので変な感じです。

でも、突発的なアクシデントを言い訳にして甘えていてはいけないので、この条件で書いてみましょう。

「嗚呼」っと。ヤになっちゃうくらい梅雨期で蒸していますね。2日前からウナギのぼりの高湿度でへばっています。
高温多湿の高止まり。さすがに昨夜は、体力がガマンの限界に到達し、夜の地域猫活動は首回りに保冷剤を施して出かけました。
保冷剤は生鮮食品などを買った時に付いてくる同じ形/サイズの物をストックして置き、シーズンインしたら冷凍庫経由で登場するのです。
大判のハンカチーフを広げ、中央部分に保冷剤を2コか3コ置き、くるくると折りたたみ、保冷剤の部分が首の後ろに当たるようにして、首前でリボン結びにします。この方法は、毎年のサマークリエーションの必策です。

アイスノンなどの出来合いの製品が数年前から市販されています。しかし、手製の“冷製首巻き”に比べたら、かなり劣ります。一度買って試したことがありましたが、慰みにもならない代物で“使い物”になりませんでした。
買うだけカネと時間の無駄です。
こちらは、何しろ最低一時間は、役目を果たしてもらはないと困るから、軟弱(やわ)な発想は受け合いません。
一日にそれぞれ一時間余りを4セット。
秋の風が吹くまで“首巻き保冷剤”が外活動の生命線を担います。
体と心の“安心の素”、首巻き保冷剤さまさまの毎日が続いてゆきます。
似たようなサマークリエーション・グッズが東急ハンズに出回る前に、この方法を自分なりに編み出しました。
よく「鞭打ち症にでもなったの?」とからかわれたものですが・・・
言いたい奴には言わせておけ! 「体験者は語る」が全てなのです。


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2013
06.18

雨の地域猫活動「仕方がない」

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18日、今夜から明日にかけ、雨の予報が出ている。そぼ降る雨になるのか。激しい雨になるのか。
神のみぞ知る。お天気だけはどうにもならない。

雨は地域猫活動の大天敵。だけど、梅雨シーズンだから「仕方がない」と、早々にあきらめモードに入った。
嘆くばかりでは無気力な愚か者のため息。
雨降りになれば、夜にうろつく不審な奴らがいなくなるから「その分ましか」と、気を取り直した。

それにしても、夕方は雨の予兆に猛烈な湿度。目に映る街並みが湿気でかすんでいた。
東京タワーも六本木ヒルズも高層ビルもぼんやりとぼやけ、目に見える不快指数が形になって四方に広がっていた。
この季節は室内保護猫も不調がちの様子。毎日誰かが吐いている。多頭飼いで大勢の猫たちがいるから、掃除などの管理作業も、さあ大変。トイレットペーパーと消毒スプレーを持ち奮戦することになる。
人間だって“ボーっ”としたり、不快指数のドツボにはまるんだもんね。猫だって犬だって生き物だもん、体調崩しても仕方がない。

昨夜の活動から今朝の活動、そして今日一日、体調は高湿度のせいでバッドコンディション。最悪だった。
何とか四苦八苦して、どのセットもこなしたが、お蔭でぐったり、気持ちが集中できなくなっちゃって。
本当は今夜は、別な書きたいテーマを用意していたんだけれど、「調子が悪い時は何をやっても駄目」と、これも早々にあきらめ、気ままに駄文を書き連ねて、この場を取りあえず凌ごうと小一時間余。
長時間に及ぶ雨の地域猫活動は消耗が激しく、体力を温存しておかないと身が持たなくなる、こんな日もある。
・・・ふと猛暑の夏を乗り切れるかどうか、心配になった。

がんばろう。


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2013
06.17

「動物愛護センター」という名の嘘<うそ>

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「動物愛護センター」。この美しい名前。そこに行けば、傷ついた動物や身寄りをなくした動物が手厚く保護を受け、新たなる「幸せ」のステップへ旅立とうといている「避難所」のような印象を受けます。
各都道府県によって名称は多少異なりますが、多くがこの「動物愛護センター」という名を動物行政の“箱もの施設”の名称に採用しています。

初めて「動物愛護センター」という言葉を聞いたのは、ずいぶんと以前のことでした。当時は「各県に愛護のセンターが出来るんなら、いいんじゃない!」と思っていました。ところがです。
実は、「それ」は犬猫を殺処分にする施設であり、「それ」を知った時の「動物愛護センター」という言葉への“違和感”は、半端なものではありませんでした。
殺しの装備/装置を持つ施設が、動物愛護?!?!?

殺しているのに、なぜ「愛護」と呼ぶのでしょう。呼ばせるのでしょう。
果てもない「嘘(うそ)と虚(うつろ)」な名称を世にまかり通らせようとする。・・・空恐ろしい驚きでした。
今でこそ、収容された犬猫を譲渡して生かそうという愛護センターもほんの一部の県に出て来ましたが、これは最近になってようやく動きだした“試み”です。
「動物愛護センター」が出来た当時は、どの施設も収容した犬猫をただただ殺すだけの施設でした。「それ」を行政は、「動物愛護センター」と名付けたのです。

本来の主たる目的を覆い隠さなければいけない必要があったのでしょう。これは役人が使う十八番、得意の常套手段。

例の一つ二つを出せば、国民総背番号制をマイナンバー法と言い換え、障害者の施設利用を規制する法律を障害者自立支援法と謳い、中身を見えにくくする文学的手法、これらは毎度の手並み、お手のものです。
だます国が悪いのか、だまされる国民が馬鹿なのか。
全国各地に「動物愛護センター」が出来て長い時間が経ち、当たり前に建物があり、存在と名称が既成事実化し、殺処分が行われている施設であっても、肉眼で「それ」が見えなければ、やはり看板に「動物愛護センター」と書かれていれば「動物愛護センター」、権力は強しと言うしかありません。

しかし、こともあろうに「愛護」と名付けられた施設で殺害されるなんて! 殺された犬猫にしてみれば、殺された上に、更なる侮辱の上薬を塗りたくられているようなものです。
そうなんです。国民をだまし、動物もだまし、ウソで塗り固めているのが、この「動物愛護センター」という名の空々しさなのです。
こんなことが、平然とずうっとまかり通って来たという、ほとんどの人が文句一つ言わない/言わせない予定調和の奇妙な空気感、これを称して「だまし絵の荒野」と言うのです。
去年でしたっけね。確か、「動物愛護法」改正で「動物も命あるものである」と謳われましたよね。
しかし、実際に法律の足元の行政施設内で行われていることは、殺しなのです。矛盾してやいませんか?
法律の執行者たちは本当に「動物の愛護」行政の「愛護」と胸をはって言える「何」をしているのか。発言してほしいものですね。

たとえば、もし万一、その名前を「殺処分センター」としたら、国民の受けはどんなものだったのか?
きれいな言葉で中身を隠す「だましのテクニック」。だましだまされ、いつまで続くこの泥濘(ぬかるみ)ぞ。
「いいかげんに気付いてくれよ」と思う心が空しく宙を舞うのでした。


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2013
06.16

雨の日、数に溺れて

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15日、夜が更けて。16日へ日をまたぐ頃、雨がまた降りだした。雨音は次第に勢いを増し、麻布某町をめぐるあたりではジャブジャブのヘビーレイン。
雨水マジックは雨ガッパのズボンを伝い長靴の中まで侵入してきた。パンツの中までグッショグッショ。
せめて自転車を漕いでいても長靴がすっぽりかくれるくらいの、雨ガッパは大き目のサイズにしなくちゃ。
ほんとに久々にハードな雨降りだった。
明けて午前4時、再びどしゃぶりの雨にドンピシャリのバッドタイミングで突入。
普段は流れているのかいないのか分らない存在感ゼロの“古川”が褐色の濁流に変色し、怒涛のように流れ下っていた。

人間はイヤなことに遭遇すると、目の前のリアルな現実をシャットアウトし、別のイメージを思い描いて気をそらし、その場の苦境をしのぐ習性があるけれど、この日の夜から朝方までの現実回避の方法は“猫の数を数えてみる”ことだった。そうして、体をたたきつける激しい雨から心だけ雨宿りした。
猫が一匹、猫が二匹、猫が三匹、猫が四匹、猫が五匹・・・


キップ君282

One cat,two cats,three cats,four cats・・・
歴代の猫たち、今の猫たち、地域猫活動をはじめた頃の猫たちの数、TNRした件数、保護した猫たち、外で死んだ猫たち、保護した内で病気で死んだ猫たち、活動の最中にひき逃げされた猫に遭遇した・・・その件数。
そして或る日こつ然と消えた猫たち。
この場所に何匹、あの場所に何匹と・・・、雨に打たれながら一匹二匹と数えていると、初めて出合った頃のそれぞれの面影や死んでいった猫たちの様々な面影が走馬灯のように巡りだし、そのたびに行き止まり、数を忘れ、もう一度初めから数え直ししたりして。

6年前の冬の終わりにはじめた地域猫活動。あの頃は全部で90匹前後だった。それが病気で死んだり、交通事故で死んだり、事情を考え室内に保護したり、また新しく捨てられたり、放棄された猫住む場所を見つけたり、プラスマイナスして、今現在は外暮しの猫たちが約50匹前後と、室内に保護している猫たちが20匹。合わせて70±。
・・・各カテゴリーを経由し、この数にたどり着いたのは、家に到着してから猫食器の洗い物を終え、ホッと一息ついた頃だった。

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2013
06.14

殺された“彼ら”に聞け ~安直殺処分への怒り

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殺処分で殺された犬や猫の生前の姿をまじまじと見た経験は今までになかった。
だから、今回マルコ・ブルーノさんが自身のブログで報じた、愛媛県四国中央市の山の中に捨てられた犬たちの写真をダウンロードして、穴が開くほどしっかり見てみた。しっかり目に焼き付けて追体験しようと思って。
写真が撮られたこの時点で、犬たちはみんな生きていた。みんながみんな息をしていた。

かろうじて助かった7頭の犬たちには、これからの幸運を祈って止まないが、殺された犬たちのことを思うとやりきれない気持ちが残る。山中に遺棄された27頭の犬たちは、愛媛県動物愛護センターとしては、はじめから他の方策は一顧だにせずに“殺処分”ありきの方針しかなかったのではないかと、大きな疑問を持っている。

小さな写真を一つ一つ確認してゆくと、みんなそれぞれに可愛く魅力があり、ちゃんと手入れをして全国にネットなどで情報公開し“里親”をつのれば、一億3000万人の人口に27頭の生存の可能性を探す・・・開かれた“扉”は必ずあったはずと思うのだが。
広く広報の腕をみがいてポジティブな方向への問題解決に当たるのではなく、安易すぎる刹那の“殺し”に問題の白紙化を図った、公務員ならではの無為無策ぶりが露わに白日の下にさらされた事件だった。
遺棄した犯罪人の片棒かつぎの印象をぬぐえない。
行政機関は犯罪者御用達の“便利屋”に成り下がっていて、これでいいのか? 
後味の悪さだけが胸の中でわなないている。

私が殺処分制度に怒りを禁じえないのは
殺処分とは
センターに運び込まれた弱った存在に更なる激しい暴力で答えを出す制度だからだ。しかも公共機関が“それ”をやるって! 何なの! 税金使って! だからです。この一報を取り上げた時に、タイトルに「セカンドレイプ」と言う言葉をためらうことなく使った理由(わけ)は。
・・・産まれた時から捨てられる時まで悪名高いパピーミルという劣悪な環境に身を置き、次に山中に遺棄される暴力を受け、見つけ出されたと思ったら・・・その子たちを待ち受けていた運命は、イワレのなき“処刑”という名の暴力刑だった。
いじめられた子に更なる激しい暴力を加えるって、虐待を受けた子らに更なる死の制裁を加えるって、おぞましいのを通り越していますよね。それを正気の公務員がやってんだからさ。公務員って言っても、別名どこかのお父ちゃんたちだよ。嗚呼。

命をあずかる商売に倫理がなければ、それは犯罪。犬猫たちを捨てるのは、もちろん個人であれペット業者であれ、法律に「犯罪」と書かれている。そして、まだ解決を見ない事件の証拠物件(犬たち27頭の命)を勝手に証拠隠滅をするように処分してしまうのは、これは何? 一体、何? 何でもあり?
公(おおやけ)は公の犯す罪にあまりにもゆる過ぎちゃって・・・
何をしても不問になる現実があるから、力の上にアグラをかいていられる現状が続いている。

恐らく、愛媛の動物愛護センターは、初めの10頭を軽い気持ちで処理した。ところが、それが意に反して報道に取り上げられ、マルコさんたち市民に批判され、泡食い出した。公(おおやけ)は、民が騒ぐのに弱い。そうして、次から次へ挙動不審の言動や言行不一致の行動や妄言/虚言で“最初の殺処分の罪”を正当化しようとした。
そうではありませんか? 自分の身を守るために。

救出された犬の便から判った切り刻まれた大量のゴムの屑。それが何よりも犬たちがそこでどう扱われていたのか、何もかも物語っていますよね。どこが「動物愛護センター」だ。聞いて呆れる。


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2013
06.13

ペダルを漕いでも雨また雨 BUT

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降りつづく雨のトンネル。毎日毎夜、ペダルを漕いでも、漕いでも、雨また雨、雨のトンネル。
四方八方、雨づくしの世界。

毎日4時間、止むことのない雨に打たれていると心の中まですっぱく酸化していくようだ。乾くいとまもなく駆り出される雨ガッパは風呂場でだらしなく脱力し、束の間の扇風機の風に翻弄されるがまま。

この季節の雨は、ジトジトベトベトと湿気を含み、顔に体にまとわりつく。世の中に完全無欠な雨カッパはなく、雨水は袖口から足元から繊維のミクロンの孔(あな)から隙間を見つけジワジワと浸透し、不快体感のメータを吊り上げる。活動終盤にさしかかる頃には、まるで背骨を抜き取られたゾンビみたいにヨレヨレグチャグチャに疲れ果てる。
これが、雨の日の常道である。

海岸から六本木まで地域猫活動の配食を終えるのは深夜も深夜、くすんだミッドナイト・ジャズの音色が耳元をかすめるディープな時刻。後にした外暮しの猫たちのそれぞれのわびしさがブルースとなって押し寄せてくる、まさしくディープインパクトな深いブルーな時間帯。

ホッと一息、いや、しかしこれで終わったわけではない。この休息は止まり木のちょっとしたトランジット。
夜が白みかけるやいなや、再び後片付けの作業に、生乾きの雨ガッパに袖をとおし、出かけることになる。雨また雨のトンネルへ。
身を守る屋根を失くした雨の中の猫たち。動き始める町の気配を察し、身を小さくして何処へと消えてゆく。
そのうしろ姿が痛々しい。

文句も言わず、泣き言も言わず、黙々と生きる外暮らしの猫たち。誰がこんな運命を背負わせたのか、誰が彼らに降りかかった不運な頭上に優しく傘をさしかけてあげるのか、こんな無情の雨降る日には“雨のカーテン”の向こうに広がる世間を正直言って“恨めしく”思うこともある。
そう言う自分自身の、“人間”が出来てないのは充分すぎるほど分かっている。自問自答の繰り返しの日々だ。
だが、地域猫活動のいつ果てるとも知れない長いトンネル生活から、一つだけ導き出した答えがある。

それは、身寄りがなく暮らす彼ら地域猫たちの視界の中で“プロフェショナル”であるということ。どんなことがあっても信頼を決して裏切らない“プロ”としてふるまうこと。
このことは、外猫さんたちから教えられたのは言うまでもないが・・・
決定的な楔(くさび)を打ち込んでくれたのは、今後の活躍が期待されるデビュー前のイギリスとアメリカの二組のアーティスト。新鮮/強烈な衝撃を受けた。・・・ひたむきで、まじめで、シュガーコーティングされた汚れがなくピュアで、しかし回りをひれ伏せさせる説得力にあふれた能力とパワーと魅力。道をめざすのであれば、プロでなければいけない何かを教えられた。たとえ返り見られることがない動物の保護活動であっても。

近いうちに「プロって何?」っていうテーマで、この二組のアーティストをたたき台に書いてみたいことがあるので予告演習(?)にリンキングしておきます。
ひとつがXファクターのファイナル・ウィナーの18歳のメラニー・アマーロ(ビヨンセより響いてくる何かを感じた)の「Listen」
もうひとつはBGTから、“Richard And Adam”の「The Impossible Dream」「Somewhere」
中でもジョンソン・ブラザースのアダムは専門的なレッスンを受けずに19歳にして、この静謐さとこの貫禄。脱帽!

「Listen」「The Impossible Dream」「Somewhere」、自分たちの活動に照らし合わせると意味深なワードが並んでいるではないか。


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2013
06.12

セカンドレイプのようなことをする愛媛・動物愛護センター

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北の大きな島に飼い猫を誤殺した悪魔のアンポンタン獣医師がいて、西の四角い島の一角に野放し無法者の“強欲なパピーミル業者”と口先三寸のごまかしを生業とする黄色いくちばしの小役人がいた。

北の悲劇の整理が未だつかないまま、新たな悲劇を伝えるメールがマルコ・ブルーノさんから届けられた。
西の四角い島の一角とは、マルコ・ブルーノさんが新しく住まいを構えた愛媛県、その愛媛県の四国中央市を発火点にこの悲劇の物語は幕をあけた。

マルコさんのメールから“事のあらまし”をサクッと説明すると、それは「今年、2月~3月、愛媛/四国中央市の山中に、洋犬Mix27頭が遺棄された」と、地元・愛媛新聞の事件記事の一報から野火を広げていった。
マルコさんの「Don&Harryのブログ」に掲載された犬の犬種や形状から察して、それに状況証拠を付け加えれば、犯人は犬を持て余した繁殖業者だと大方見当がつく。が、警察の捜査は一向に進まなかった。

そして、行政によって捕獲された犬たちは、愛媛の「動物愛護センター」に移送されて行った。

なかなか進まぬ捜査の状況に業を煮やした愛護団体や個々の有志が警察に再三再四の抗議をした末に、再び新聞が“事の事態”を取り上げ衆目監視の知るところとなった。しかし、この段階で何ということか、既に10頭の殺処分が決行された後だった。こうして、事件は別の様相にステージを変えて行ったのです。

・・・ここでちょっとブレイク。犯人がまだ特定も逮捕もされていないのに、つまり所有がはっきりしていないものを、犯罪に関わったと見られる証拠となる大事な存在を、一行政機関の小役人の勝手な思惑で“処分”して良いものでしょうか! 公務員には“法令順守”の義務があるはずですよね。まさか「わたしが法だ!」などと世迷言を、田舎代官、それはなしだぜ!っていうことよ。

その後、センターは批判を治めるつもりだったのか、急きょ残りの17頭を譲渡すると方針転換。だが、またしても、その内の10頭が突然死。センターの所長と職員は、死亡原因を“パルボ”だと説明した。結局、晴れて“牢獄”から出獄できたのは7頭だけ。
20頭の犬たちが無実の罪で命を絶たれた。
しかし、マルコさんの長年に渡って培ってきた犬を見る観察眼によると、突然死したという犬たちをパルボだとは認められないという。もしもセンターが死んだ犬たちを“パルボ”だと言い張るならば、医科学に基づいた適切な診断書を出せば済む話なんですがねェー。
救出された犬の身体検査でも何の病気も発見されず、異常はなく、フィラリアすら陰性だった。パルボの伝染性の強さを考えれば、おかしいですよね、どう考えても。同じ収容所内で暮らしていたのにも関わらず。

そうこうして。約3カ月の間、それでもマルコさんたちが何とか「遺棄された犬たちを助け出そう」と、センターに執拗に食い下がると、やれ「伝染病だ」、やれ「人馴れしてないから譲渡は無理だ」とか、そうかと思えば口裏も乾かないほんの数日後に「里親OK」と態度豹変の七変化。
助け出した犬の便から切り刻んだ大量のゴムの屑が見つかった、その説明を求めると「センターに来る前に食べたもの」と回答、このデタラメさかげんの愚かしさ。・・・責任をすべて敷地外や期間外や犬自身の健康/気質のせいに覆いかぶせる、まさにティピカル公務員の身にしみついた“性(さが)と業”です! 放射性物質じゃあるまいし、一カ月以上前に胃に入り込んだものが30日も過ぎてから、犬が所内から外に出たから安心してようやく出て来たとでも言うんですかね。・・・「おととい来い! I‘ll be back!」とターミネーター・シュワルツェネッガーが振り向きざまに言いそうだ。

「人に懐かない」と報道にブリーフィングしたのも所詮オノレたちのアリバイ作り。
命への温かみを持つ“人”として接してない人(職員)が、どの口でその台詞(せりふ)が叩けるのか? 収容されていた犬たちにとっては、職員たちはゲシュタポと同じような恐怖の対象でしかなかったはず。殺しを心の射程に入れた存在に懐けるわけがないし、犬は敏感な動物だ。
一連のセンターの方針や対応を見ていると、一度暴力を受け存在を脅かされた者に、さらに暴力で襲いかかり抑え込もうとしているような“セカンド・レイプ/サード・レイプ”を思わせる恐ろしさを感じ、ゾーッとした。

犬を捨てた拝金繁殖業者、動物愛護センターという名の恐怖の収容所、政治家、警察、人びとの虚無、まとめて自分の「損か得か」しか考えない人たち。この四すくみ五すくみのど真ん中にこの国の動物たちの生き地獄があり、そのまたど真ん中に“殺マシーン”がある。
壁は迫り来て、愛媛の20頭の犬たちは生きる大地をもろとも奪われ、奈落へとつき落とされた。
そして死んでいった。
死んでいったということは、殺した人がいるはず。殺したシステムがあるはず。殺したシステムを容認している社会があるはず。
マルコさんのブログを読んでいるうちに、ナチス時代のユダヤ人の収容所物語を読んでいるような錯覚を覚えた。
生きて収容所を出られたのは7頭だけ。


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2013
06.11

体調不良の三本の矢 ~プラス

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コンスタントな睡眠不足がベースにあって
梅雨入りしても雨が降らない安定した天気に気をゆるませていたら
台風接近のあおりを受けた・・・折からの雨。
夕方、用意なしの軽装のまま、まともに喰らってしまった。・・・全身びしょ濡れ。・・・嗚呼。

一本目の矢が睡眠不足。二本目の矢が右耳裏から首すじにかけての治らない痛み。そして三本目の矢は“雨”! 
体調不良の三本の矢!
体調不良の三本の矢に同時に命中してしまった。まるでセバスチャンのような気分。

地域猫活動は仲間内では“ドカタ仕事”と言われている。だけど、雨降りの日にも仕事をする土方はいない。
地域猫活動は雨のナイト&デイ、黒子になって働く。
いずれにしても、最低限の体力は維持して、どんな時でも形でも動けるようにしておく。
それが、屋根のない暮らしをする猫たちを守る“地域猫活動”の神髄。

雨降る日には物陰に隠れ、その時を情熱的に待ちわびている。その姿のけなげさが脳裏にしっかり焼き付いているから、逆境の時こそ「行ってあげなきゃ」と思うし、奮い立たせる気持ちがある。

雨はいつまで続くやら。

痛みはいつまで続くやら。

この国の無視された犬猫の痛みはいつまで続くやら。

恨めしく、外から伝わって来る雨風情に耳を傾けていたら、マルコ・ブルーノさんから愛媛県発の犬の虐待事件のニュースがメール・ボックスに届いていた。
ひとつは悪徳繁殖業者による27頭の犬の大量遺棄、もうひとつは愛媛県の動物愛護センターによる殺処分の不祥事。またしても“公務員”による口先三寸三昧のごまかし事件。

四本目の矢には、いつも虐待という社会の毒が塗りたくられている。


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2013
06.10

行政命令だからって殺せるかっちゅうの!

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353東京タワー電波塔最後の日

東京タワーが5月31日の午前9時に電波塔としての役割を終えた。その12時間前の“サヨナラ”東京タワーの艶姿(あですがた)、電波塔としてのラストスタンドを鉄腕ウンガさんが撮影していたので掲載します。

んー。・・・テレビ。時の移り変わり。東京タワーからスカイツリーへ。

今はテレビから随分と距離を置いた生活をしているけれど、かつてはテレビと仲が良かった頃があったし、信用もしていた。でも、今はNHKのニュースにすら、印象操作や作為を感じてしまって、あまりテレビに近づかないようになった。だから、新しいタワー・スカイツリーに親近感を持つことはこれからもないような気がする。
友達はこれからも変わらずに東京タワー。

デジタル・テレビに買い替えたことにすら、ちょっぴりの後悔がある。

メディアがまだメディアだった頃、テレビがまだ自堕落でなかった頃、テレビを安心して見ていられた頃、テレビが何となくでも部屋に点いていた頃。たぶん、TBSだったと思う。
今回の札幌の迷い猫誤殺事件をきっかけにして、思い出した番組がある。
それは戦争中に、犬や猫をお国のために差し出さなければならなかったニュース番組の中のドキュメンタリー。
心の中でずうーっと眠っていた。

しかし、どうしてかは分からないけれど、揺り動かされ、起こしてしまった。

当時。徴兵された兵隊さんたちは、軍服にタスキをかけて、映画やドラマでもおなじみのあの歌に送られ、出征していった。それと同じように“国に供出するように命じられていた犬や猫”もタスキ掛けで差し出されていったという。
「戦地で戦う兵隊さんたちの毛皮や食用肉になってお国のために役立つように」と番組のナレーションは「そういう時代だった」と、伝えていた。
「随分だな!」と当時思った、それと同時に悲しさと裏腹に「権力を持つ側の演出に、犬や猫に“行って来るぞと勇ましく・・・タスキがけ”だなんて、滑稽だな!」との印象も受けた。この二つの感覚は錆びた彼方にでもはっきりと覚えていた。

このフラッシュバックは、外猫の対面給食の食べ終わりを待つ間の・・・活動現場の水のある風景での出来事。
札幌市の施設内で殺された猫のあれこれを考えていたら、そのセピア色の記憶は、夜の暗い水底から浮かび上がるような切ない悲しいイメージとなって水面に揺れ、無力な胸の中に交錯し合った。権力の壁の向こうに露と消えた犬たちや猫たちの沈黙・・・
夜おそく家にたどり着き、オンラインで調べてみると、今も昔も変わらない非力な個人とぬけぬけと居丈高な公(おおやけ)の姿。
それは戦時中、「犬猫の献納運動」とも「犬猫の供出命令」とも呼ばれ、「軍需省と厚生省の連名で地方に通達が出され、行政の主導で行われた」と記されていた。
時がすぎ過去は迷宮の中に入り込み、犬猫の献納運動そのものに疑いをはさむ人もいるけれど、当時の八王子市「犬の献納運動」隣組回覧板の中身が掲載されているブログを見つけたので、確認してみて下さい。犬猫も“活用”されていたのです。

戦前も戦後も大して変わりない行政の原風景。

戦前に行政が主導して行った罪深き“動物行政”に少しくらい反省があるのならば、もっと違った戦後の“動物行政”のあり方もあったと思う。だけど、人を代替わりさせて過去を消去してしまうのが行政手法。反省の足場に立てば、今すぐにでも動物を苦しめ続ける一切合財の制度と殺処分を止めるべきだという思いに至るが・・・
暗い過去を清算するには、それしか方法がないはず。

※犬猫の献納運動のもう一つのリンキング「犬猫の供出の悪夢」、載せて置きますので、サブストーリーとして関心があったら、読んでみて下さい。


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2013
06.09

日本人は大人しすぎる ~札幌・迷い猫事件

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

6月4日の晩おそく。右耳後ろの骨の硬い部分から首筋にかけてズキンズキンと痛みが走り始めた。
それ以来痛みが止むことなく続いている
病院に行く時間はなかった。
土曜日の朝は早朝の片付けワークを終えてから、痛み止めの代わりに気晴らしのワインを一瓶飲み干し、痛みを紛らわせた。そして昼頃まで寝た。
痛みは短い間隔で繰り返し押し寄せ続いていたが、初夏のフレッシュさを思わせる夢の名残りが目覚めを気持ちいいものにしてくれた。山の頂上で眼下を眺め、思い切り深呼吸した、そんな気分になった。

ズキンズキン、痛みが止まらない。

この痛みの始まりは「札幌」のあの殺処分事件と符号している。痛みはあの事件記事の編集中から始まっていた。
右首筋が引きつるように感じていたら、耳の後ろ側にズキンズキンと痛みとなって伝っていった。
痛みが一向に退いてくれないので、その後ブログを休むことも考えたが、事件への怒りや思いが冷めないように、体調不良よりも問題意識の新鮮さを優先させた。
本編の活動もブログ発信も「社会活動」とはこういうものと分っている。
それに、このことと時を同じくして、6日の未明にお母さんを失くした同じ区内に住むKさんは、その日も休むことなく青山の外猫配食に出かけたと聞いている。

身に降りかかる一切合財を受け入れて、引き連れて走っているのが「いのちのボランティア」号なのだろう。
がまん、がまん、がまんがミッションの“いのちの猫ボラ・スクール”。
いつか何かを学べるだろうか。

だけど、してはいけない我慢が、中にはある。

金曜から土曜の外猫活動途中、ある人からメールが入っているのに気がついた。Aさんからだった。
Aさんとは、5月24日のジャーナルの“犬のマルさん”の飼い主、横浜/動物愛護センターから犬を助け出した人。
メールには札幌市の迷い猫誤認殺処分事件について、「札幌の事件は何て言ったらいいのか分からない位むごいですね。もしも自分がその立場だったら、裁判沙汰にして大騒ぎします。猫さんが浮かばれません」と書かれてあった。

That‘s right! 完璧にその通りです。そういう目にあったら私もそうするでしょう。
何につけても日本人は大人しすぎる。じっと耐える。黙っている。何故なんだろう。
耐えがたい苦しみを受けても、じっと押し黙ったまま、自分の意見を言おうとしない。
自分の中だけで解決できるものなら、その忍耐強さもいいだろうが、苦しみの原因が「社会のあり方」が引き起こしているものならば、自分の中だけではどうにもならない。そして世の中も良くならない。
偉い人や上の人が作る世界にただ言うなりに従ってゆくだけの人生、管理されるだけの人生にされてしまう。
黙っていればいるほど、おごり高ぶるのが力を振りかざす者の習性。
黙っているからつけ上がる。
一般庶民をバカだと思い傲慢の上にアグラをかく。
007のように「死ぬのは奴らだ」と言ってやりたい。

この件では前にも書いたが、間違って殺処分された猫事件、そのプロセスに関わった誰一人からも「痛恨のメッセージ」がこれっぽっちも伝わって来なかった。それは彼らが“言い値”で商売できる環境にあるから。
しかし、ここは民主主義社会のはず。私たちが自由に意見を言える、それが民主主義ってもんだよね。
そうならば、力を持つ者を思い通りにさせないのが私たちの役割。
ミスを犯してもアグラをかいていられる、それって変だよ。公の仕事で大過失を犯したら、まず市民の前に出て謝らないと、市民に対して責任を取らないと。

殺された猫が何もしゃべらないことをいいことにして・・・

公が絡む、こういう話を見聞きすると、いつも思い浮かべるのは・・・
日本の戦争中に、犬や猫が「お国のためになろう」とタスキをかけて送り出されたという悲しいエピソード。それに黙って従わなければならなかった悲しい昔の日本人。

人間社会が作り出す深い絶望の谷間に落ちて、一匹の猫が死んでいった。


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2013
06.08

「今月のありがとう」を完全UPしました

Category: 未分類
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遅れましたが、5月の「今月のありがとう」記事に“買物ラプソディ”を追加し、完全UPしました。鉄腕ウンガさんの記事です。物価上昇などを取り混ぜて書かれてあります。

2013
06.07

生死を分けた「首輪物語」

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昨夜のジャーナルのテーマ・タイトルは、内容を書く前から「誤認殺処分+悪魔の獣医師=犯罪」と決めていました。タイトル付けは毎日、ちょっとした悩みの種。だが、すっきり即決したのが6/6の記事タイトル。
文脈の流れ的に「殺処分制度に加担している」医師ということで、強いメッセージの力を込めて「悪魔の・・・」と、この獣医師を修飾形容しました。しかし、実際には、その仕事の中身は単なるアホ、アンポンタン。
アンポンタン獣医師。
アンポンタン獣医師が「悪魔の殺メカニズム」に加担していると言った方が、ズバリ正確なのかもしれません。

悪魔のアンポンタン獣医師・イン・サッポロ。

毎日新聞オンラインの3日付記事には『札幌中央署の依頼書には「首輪付き」と記されていた』と書かれているので、間違いで殺された猫の“存在証明の首輪”は、受け渡されたセンター職員3人の怠慢な目にスルーされ、担当獣医師の目と脳とハートもX線のようにすり抜け透過して行ったようです。

向井猛センター所長は「慣れがあったかもしれない」とコメントしたが、これは完璧な身内かばいの醜態発言。公務員たちの常態、いつものこと。
猫について素人である警察官が“首輪付き”と確認して依頼書に記載しているものを、慣れているはずの計4名のプロの係官が雁首そろえて見逃しミスを犯した。
そしてその果てに、一匹の猫が短い生涯を強制的に閉じさせられた。一巻の終わり。ジ・エンド。
プロはプロでも「怠慢慣れ」のプロ。早く仕事を終わりたかっただけなのか?

首輪が鍵だった。

獣医師Aが、『猫が威嚇したため、「攻撃性があり、保護は困難」と判断』したのは、きっと首輪を見逃した“後出しじゃんけん”の言い逃れ。初歩的ミスの苦し恥ずかし照れ隠し。
首輪のあるなしが“生き死に”の分かれ目になった。
首輪は見過ごされた。
首輪をしていれば「飼い猫」、首輪がなければ「野良猫」。
首輪をしていればINで、首輪がなければキックアウト。・・・「飼い猫の証拠」がある猫以外は、この時点で全て殺すという方針が明瞭に浮かび上がっている。
「首輪なし」と認定されたその子は、哀れ「死のガス室送り」へと選別されてしまった。
んー。だけど、飼い猫でも首輪をしてない猫の方が断然パーセンテージが多いはず。と言うことは、今まで相当数の飼い猫が殺処分で殺されていったと十分考えられますね。

どうして、何で、首輪なの?

東京の場合。都福祉保健局のHPによると、飼い猫の約半数(45万頭)が屋外で自由に飼育され、首輪などを付けている猫はその内の約半数で、そこに連絡先が記入されている猫は10%にも満たないとのこと。
この数字は、猫を放し飼いにしている人の何と95%の人が、猫の命を守ることを安易に捉えているという有無を言わせぬ恐るべき実態表示の “データ”ですよね。そう読めます。
公共機関による「犬猫の殺処分」制度が“絶対の悪”であることは言うまでもなく、だが相手を責めてばかりではなく、猫に直に接している我々自身の側にも研ぎ澄まされたマナーやモラルが求められる現実が隣接してあるのだと、つくづく感じた「札幌の事件」なのでありました。

動物の命がこの国では未だに「器物」扱いの前近代であっても、動物に接する私たちの心はそうであってはいけない、言葉を持たない者の声に打ちのめされた1週間なのでした。


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2013
06.06

誤認殺処分+悪魔の獣医師=犯罪

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行政機関による犬猫殺処分の過程に「獣医師」が関わっていたなど、今回の札幌市迷い猫“誤認殺処分”事件報道を見聞きするまで全く知らなかった。寝耳に水のことだった。
人間の医者であれ、動物の医者であれ、命を助けるのが医者の務めであり、使命と考えるのが通常だと思う。だが。
犬猫の殺処分/命への「イエスorノット」の選別を「獣医師」が果たしていたとは。
晴天の霹靂の衝撃を受けた。命を死に追いやる役割を「獣医師」が行っていた。

まだ生きていける命を「殺処分で短絡解決する制度」に反対するのではなく、殺処分に積極的に関与している獣医師がいる。これを晴天の霹靂と言わず何と言おう。
彼/彼女の中で殺処分制度に関わりを持つことに、命への倫理観をどう自分で整理をつけているんだろうか。ためらいはないのだろうか。それとも、彼/彼女にとって、犬猫は金(カネ)を吸い上げる単なる田んぼにしか過ぎないのだろうか?

そして、職業上の作業過程で判断ミスをしても何の咎(とが)も受けないで済むのであれば、こんな濡れ手に粟(あわ)なイイ商売はない。
行政サイドは“判断”を丸投げ分散することで責任負担の軽量化を図る。それに加えて、「選別の判断は専門家が行っているから」と殺処分に正当性を持たせられる。一粒で二度おいしい。
行政のシステムは本当に悪知恵が効いている。

間違いを犯したこの獣医師。その技量は鼻で笑う程度のお粗末なもの。すぐに分かる。素人同然と言っていい。
捕獲した動物(猫)を恐怖状態に置いて反応を即座に見るなど、やってはいけないこと。緊張と興奮の中で動物がすることなど一つしかない。自分の身を守るために攻撃的になるしかない、それが本能なのだ。
つまり、獣医師Aは“本能”を裁いたってことになる。
この医師にかかれば、ほとんどの犬猫たちは皆「二酸化炭素ガス室」に直行になるだろう。
彼/彼女は猫(動物)と寄り添って共に暮らしたことがあるのだろうか?

だが、この獣医師が技量未熟なのには理由がある。だってですね。日本の大学の獣医を育てる課程では、犬猫のことなど何にも教えていないに等しいからです。最近になって、ようやくチラホラ「動物の福祉」などについて教えるようになったけれど、大体は産業に関係のある動物(牛・豚・馬)が主体。獣医師免許をとってから初めて、見よう見まねで犬猫の勉強をすると聞いている。「命の倫理」や「職業倫理」の勉強など言うに及ばないこと。全ては獣医師になった個々人の資質にゆだねられている。

獣医師A。猫の特性・習性を何も知らなかった獣医師。一度に複数のミスを重ねた獣医師。殺した命は帰らない。
「間違えました」では許されない。
この殺処分担当医Aは、どこかで開業しているのだろうか? あるいは、獣医師の資格を持っているだけの行政の職員なのだろうか? “お仕事”には如何ほどのお金が支払われるのだろうか? 殺処分の選別担当医の採用基準は? 
とかなどなど、市側は再発を防ぐために犬猫殺処分メカニズムを全て明らかに情報公開してほしいものだ。
少なくても、もしもこの獣医Aが開業医だとしても、こんなツーフェイスを持つ医者の世話になど、決してなりたくないものだが。

・・・例えばですね。ある日突然、電話が入って。「お宅の猫が誤って殺処分になりました。すいません」と言われたら、どうしますか? 「えっ、ウチのポポフ君がッ!」って。
そして、押問答の末に担当した職員や獣医に事情を聞くために接見が許可され、そこにいたのが顔見知りの獣医だったとしたら、どうしますか? 今回の札幌市の事件を手元に引き寄せて考えてみれば、いかに「殺処分制度」が極悪非道でおぞましいことであるかってことが、身にしみて分かる思いがするのでした。

犬猫の殺処分へのアンチ・テーゼのために。二酸化炭素ガス室で犬猫たちが、どうやって死んでゆくのか、時間と機会を作って、アエラの太田記者のルポルタージュを是非一度読んでみて下さい。


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2013
06.05

誤って殺処分“一匹の猫の置き去りになった悲しみ”

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「・・・記事をどう読んでも、斜めにしても、逆さまにしても、誰にも、どこにも、何の痛みも感じられない。それは何故?」 
昨夜のジャーナルはこう締めくくりました。

命が誤って殺(あや)められたのに。どこからも痛みが伝わって来ないのは、それは何故なのか? 答えは極めて単純明瞭。簡単です。

それは、誤って殺した対象が彼らにとって“物”だったからです。六者六様に“物”としての扱いだったからです。
法律でも、動物を虐待死させても“器物損壊”という軽い言葉で処理されています。犬猫は“器物”だから、殺処分制度の中で殺し続けることが心理的負担を軽減し、可能にしているのです。
「間違って殺しちゃいました」でペコリと頭を下げて済ませられる。“器物”という名の許しがあるのです。
“物の命”は軽い。枯葉を踏みしめて歩くようなもの。枯葉を踏みしめるのに、誰も罪悪感など、感じたりはしない。

これが今の日本の動物を取り囲む心理的な現状なのです。そして、動物民度を形作っています。
“動物の権利”という言葉が市民権を持って活かされている国とそうでない国の、文化度の天と地ほどの落差。
動物の権利(Animal Rights)と言っても、動物自らがこぶしを振り上げたり、スローガンを叫べるわけはありません。動物の権利とは、そばに生きる人間がしなければいけない“命への配慮”のことです。
しかし、動物が“物”として古すぎる固定観念の中に据え置かれるままでは、「動物の権利」までたどり着く道のりは果てしなく遠いようです。

しかし、とにかく。動物への意識を市民目線で「物」から「いのち」へと変えて行かなければ何も始まらない。
国が変わらなければ、市民レベルで「猫の飼い方」「犬の飼い方」を考え直し、変えてゆかなければならない。
まず、その第一歩は、今回の札幌市の事件で殺された猫さんに深い哀悼の意をささげることです。悲しみを置き去りにしないことです。

今回の誰も責任をとらない札幌・無責任殺処分事件でも、またもや新聞各社の報じ方には、一番の被害者の「一匹の猫」の悲しみが置き去りにされた感がありました。それをアンチ・テーゼとして。


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2013
06.04

飼い猫を誤って殺処分&猫の頭に火、2つの罪

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3日夜から4日昼まで二件の猫受難事件が報じられました。一つは札幌市の動物管理センターが飼い猫を誤って殺処分にした件。もう一つは岐阜県の事務組合の経営管理課主任の38才の上利友一という大馬鹿キチク男が猫の頭などにライターで火をつけ虐待し、自分の携帯電話に動画撮影していた件。

上利友一の方は取りあえず警察に逮捕された。しかし現行法では器物損壊程度の軽微な裁きですぐにシャバに出されるだろう。38にもなって猫を虐待して、猫が苦しむ姿を眺めて悦に入る。
この種の犯罪のベースには間違いなく“性的異常”が隠されている。だから、火の元を解決しなければ、時と所と方法を変えてまた再犯する可能性が十分に高い。何とかならないのか!!!

次に、札幌市で起きた「動物管理センターが飼い猫を誤って殺処分にした」事件。まずは記事を読んで下さい。

動物管理センター飼い猫を誤って殺処分 札幌市    毎日新聞 6月3日(月)21時38分配信
 
 札幌市は3日、警察から引き取った飼い主のいる迷い猫を、誤って殺処分したと発表した。首輪が付いているのを見逃すなどミスが重なったのが原因で、飼い主に謝罪したという。

 市によると5月31日、市動物管理センターの職員3人が札幌中央署から迷い猫を引き取った。猫が威嚇したため、獣医師は「攻撃性があり、保護は困難」と判断。炭酸ガスで殺処分した直後、首輪に気付いたという。獣医師の報告書を見た別のセンター職員が、市内の女性から問い合わせがあった猫と特徴が同じことに気付き、飼い主が分かった。

 警察からの依頼書には「首輪付き」と記されていたが、センター職員が書く業務リストには記載がなく、首輪が毛に隠れていて獣医師も気付かなかったという。向井猛・同センター所長は「慣れがあったのかもしれない。飼い主の方には大変申し訳ないことをしてしまった」と謝罪。再発防止策として、飼い主不明の迷い猫の処分はセンター所長の決裁を得ることにしたという。【平野美紀】


呆れました。文字を追うにつれて怒りが込み上げてきました。記事の登場人物の中に新聞記者も含めて、誰一人としてまともな人間がいない。プロとしての仕事をする人がいなかった。
そのいい加減さ、適当さ、出鱈目さ、やっつけ仕事。倫理観の無さ。
生きていた猫を死に至らしめるまでに一体、何人の人が関わっていたんですか? 8人? 9人? もっと?

迷い猫にしてしまった飼い主。申し渡しをきちんとしなかった警察。「いつものことだ」と日常業務で問題を右から左に機械部品をオートメーション・ベルトに乗せるように“お仕事”をした3人のセンター職員。
死刑宣告の仕分けをした利権・獣医の判断には呆れ返って本当にのけぞってしまった。「お前それでも、猫相手に仕事をしているプロかよ!」と。「犬猫にメシを食わしてもらってんだろ!」と。
緊張と興奮の真っ只中にいる猫が「シャー」と相手を威嚇するのなど、当たり前だろう! それが猫の自然な生態だ。
「シャー」と怒ったから「攻撃性があり、保護は困難」なんて、猫ボラが聞いたら鼻で笑う。その程度の経験&知識の獣医が殺処分の重要なキーパーソンを担っている。殺処分のメカニズムは恐ろしいことになっているものだ。
利権獣医師め。

向井猛・センター所長のご高説もふるっている。「慣れ」ってさ。おい、殺しに慣れかよ。
記事には謝罪したとあるけれど、私なら間違いなく、許さない。
こんな事件が発生する元凶には“殺しのシステム”があるからであって、殺処分制度がなければこんなことは起こらなかった。
それにだ。元飼い主は、せめて死んでいった猫のために、自分のいい加減さをあがなうためにも、「殺処分制度」を止めて下さいくらいは強く主張するべきだろう。・・・その辺はどうだったんだろう。

嗚呼。怒りの連鎖でもう一つ。この記事のひどさについて。この記者は当局の発表をただ右から左に書いてデスクに流しただけ。市職員3人と同類。記者クラブ制度の弊害ですね。サラリーマン記者。何の仕事もしていない。
こんな記者をジャーナリストとは言わない。ニューズウィーク誌的にはね(笑)。
切り込めよ。管理センターに。受け渡しで警察とセンターのどっちが間違ったのか。飼い主はどうして放し飼いにしていたのか。所長の謝罪に飼い主はどう応じたのか。

ニッポン劣化。やってられない。やってらんねぇーよ。
記事をどう読んでも、斜めにしても、逆さまにしても、誰にも、どこにも、何の痛みも感じられない。それは何故?


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2013
06.03

道沿いのアジサイは何を語る?「いやだなぁ もう」

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6月2日、日曜日。東京。脱原発のデモが眼下を通り過ぎていった。その間、約2時間。しかし、政府の思惑はこのデモとは裏腹な方角を目指して動き出しているようだ。

5月26日の記事「放射能時代の食生活」を過剰反応だと感じる人が多くいるかもしれない。中には「放射能」と聞くだけでアレルギーを起こし、耳を塞ぐ人もいる。

でも、「・・・世田谷区深沢の排水溝の泥から18756ベクレル/㎏。原宿駅前でセシウムが約20000ベクレル/㎏。東京タワーから300mの所にある20階建てマンションのエアコンフィルターから3000ベクレル/㎏のウラン検出・・・」と目にすると、心中穏やかではいられなくなる。

この情報は「CRMS市民放射能測定所」のHPと「まっちゃんのブログ」から、そのまま拾ったものです。
嗚呼、東京タワー周辺は我が住む街であり、我が地域猫活動の本拠地でもある。「ヤになっちゃうな、もう」です。
家を出て、道を歩いて電車に乗り、着いた駅からまた数分ほど歩いて目的の会社や学校などの建物に入るだけの人にとっては、皮膚感覚的に東京はフクシマの地から遥かに離れているから「今は別にどうということはないでしょう!」となるかも知れない。政府やマスコミ発表を信じている人もそう。
ところが。地域猫活動を毎日毎夜する身にとっては、身にすり寄る不安を覚えるのです。

私たち地域猫活動は、しゃがみ込む、地べたを這いずり回る、生垣や藪の中に入る/身を乗り出す、落ち葉や泥を踏みしめる、大きな排気口の裏で作業する。などなど、放射性物質が濃縮しやすい場所や黒い物質が住み良い所が活動現場なのです。注意もヘチマもありません。
見えない、臭わない、五感には何も感じない物質。藪の中に身を乗り出すと小枝が勢いよくはね返って顔をたたく、バランスを崩して落ち葉つもる地面に思い切り手をついてしまう。This is it! 
これが外暮しの猫さんたちと私たちの現実です。

原発事故から2年と少し。放射能の“今”は、空間線量の問題から「黒い物質」へと所番地を移し、道路わきの吹き溜まりや側溝にこびりついた泥・ゴミ、枯葉や樹木やエアコンフィルターへと濃縮し身を潜めているらしいのです。
しかし、それで外猫たちを見捨てるのは忍びないし、それをしたら我が存在証明の破綻。せめて食生活で少しでも摂取ベクレルを減らそうと考えた、少しでも抵抗してやろうと考えた、それが「バルーンごはん」という訳です。

雨季に入り、咲き始めた道路沿いのアジサイの花たち。何か言いたいことがあるだろうにね。
政府と大スポンサー(電力、家電、ゼネコン・・・)べったりの大手マスコミのパーフェクトな沈黙が不気味すぎる。


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2013
06.02

猫にお洒落な首輪とリードをつけて

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リンリンリンと呼び鈴を鳴らして猫のケイトリンやノイマンに合図を送る。毎日の活動のスタートだ。この日も何の変哲もなくいつもの手順で進行していった。
周囲に人の気配は何気に感じていたが、近ごろは無視を決めている。いちいち反応しないことを“是”としている。
経験で身に付けた活動マニュアルである。

ところがだ。ケイトリンたちの対面給食が半ばを過ぎた時、蜘蛛の子を散らすように突風さながらに猫たちがサーッと逃げ出してしまった。
アメリカン・ショートヘアーを抱いた女がいきなり乱入してきたのである。
犬の散歩のように猫にお洒落な首輪と引き綱をつけて。
生垣の中に駆け込んで行った猫たちを追いかけ、「うちの子と遊んでちょうだい」としゃがみ込み、舌打ちを繰り返すことしばらく。

一呼吸の間をとってから「止めていただけませんか?」とソフトに促すと、振り向きざまに「猫どうしだからいいでしょ!」と悪びれもせず。
橋下徹のセリフじゃないが、初対面の猫同士、打ち解けないのは経験者なら「誰だって分かる」(笑)。
その時の気持ちを端的に言い表すと「外猫の暮らしをそっとして置いてくれないか! そして私の活動に土足で立ち入らないでくれないか!」という思いだったが、その思いは奥に秘め。
倫理や道義的な事を路上でスパッと分らせるのは体験的に「無理、無理」ありえないと判断し、「しょうがない奴だな」と思いながら、「外の猫はノミがいるよ。病気がうつるかもよ」と言ったら、その女は何のエクスキューズもせず一目散に逃げ去ったのでありました。

いつもながら不愉快でしたね。猫の生態や特性も分らず、おもちゃのように猫を飼い、自分がしていることは何が何でも正しいと思い込んでいる傲慢さ。
何か意見をされると脊髄反射でふくれっ面、その子供っぽさと単純な思考回路よ。
私なら猫に首輪を付けて散歩に連れ出すなどという馬鹿なことは、決してしない。
もしも首輪や引き綱が外れて、猫が逃げ出したら、なんて考えたらゾーッとするどころの話じゃない。猫の足にはとてつもないスピードがあるし、隠れ技は習性のようなもの。だから、それを分って猫を飼わなきゃ。
・・・責任が取れないことは初めからしない方がいい。
それに事情も察せず、他人の活動に割って入ってくる、無神経、厚かましさ、図々しさ。
これも日本人の劣化が言われる一端なのかも。
猫に首輪を付けて遊び気分で散歩している人は、麻布十番や六本木でも見かけるし、中には首輪すら付けないで素で抱いて街歩きをしている人もいる。
彼らが決まって言う言葉は、リードを外して散歩する犬飼いの人もそうだが、「うちの子は大丈夫」と。
・・・“うち”のことしか眼中にない、その世界観。
こんな一端に犬猫の受難の時代があるように思える梅雨の晴れ間の空しい青空だった。


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2013
06.01

月の終わり 月の始まり

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月の終わりが近づいてくると、毎月ホッと胸をなで下ろすことがある。「これで今月も無事に乗り切ってくれそうだ。よかった・・・」と、共に暮らす保護猫のバラタマタン(本名ローズマリー)に視線を送る。
もう数年も前からの「月の終わり 月の始まり」の心にしみついた感慨と習慣である。

バラタマタンは白血病と猫エイズのダブルキャリア。そのせいなのか、赤ん坊の頃の栄養不足も手伝ってなのか、それとも小柄なDNAを持って生れついたのか、バラタマタンは大きくは成長しなかった。
普通の子より随分小さい。
子猫の一回り半くらいの大きさ。その分、姿かたちに子猫の愛らしさが残っていて、今でもベリー・キュートな可愛らしさがある。
短いしっぽを左右にキュッキュッキュっと動かして、いつも部屋を歩いている。生きている。
我が家の小さな王女さまなのだ。

2008年の春に生後6カ月(?)で保護してから5年と3カ月。もうダメなのかなと何度も思った。食が細く、ガリガリな体ながらも細い糸の上を綱渡りするように命をつないで来た。
その間、白血病や猫エイズの子や腫瘍を患った猫たちがバラタマタンを追い越して、次々と死んでいった。
だから、バラタマタンは私たちの心の中では“奇跡の猫”、奇跡の王女さま、希望の星なのです。

ダブルキャリアで6歳の山を越えようとしているのは正に奇跡。

特に日常的に投薬などの医療を施しているのではなく、いつも「可愛い、可愛い」と、幸せな気持ちでいてくれるよう目と手と気持ちを外さないことで免疫力が下がらないように注意しているだけ。何とも非科学的な見守りなのだ。
体力のキープとトリートメントのための不定期な通院はあるが、できる限り自力と自発の力を消さないように、医療に全てを依存する方法は避けている。
ひと月ひと月の短いスパンをつないで、雲の糸を渡っている。

月の終わり、月の始まり。季節の終わり、季節の始まり。月の始まりは小さな山。季節が始まる時は大きな山を見上げ、「希望と不安」の両極に揺れながら“山”を登ってゆく。
ダブルキャリアは通常3年がリミットと言われているが、これからも奇跡の山登りを更新して行きたい。


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