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2013
06.09

日本人は大人しすぎる ~札幌・迷い猫事件

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

6月4日の晩おそく。右耳後ろの骨の硬い部分から首筋にかけてズキンズキンと痛みが走り始めた。
それ以来痛みが止むことなく続いている
病院に行く時間はなかった。
土曜日の朝は早朝の片付けワークを終えてから、痛み止めの代わりに気晴らしのワインを一瓶飲み干し、痛みを紛らわせた。そして昼頃まで寝た。
痛みは短い間隔で繰り返し押し寄せ続いていたが、初夏のフレッシュさを思わせる夢の名残りが目覚めを気持ちいいものにしてくれた。山の頂上で眼下を眺め、思い切り深呼吸した、そんな気分になった。

ズキンズキン、痛みが止まらない。

この痛みの始まりは「札幌」のあの殺処分事件と符号している。痛みはあの事件記事の編集中から始まっていた。
右首筋が引きつるように感じていたら、耳の後ろ側にズキンズキンと痛みとなって伝っていった。
痛みが一向に退いてくれないので、その後ブログを休むことも考えたが、事件への怒りや思いが冷めないように、体調不良よりも問題意識の新鮮さを優先させた。
本編の活動もブログ発信も「社会活動」とはこういうものと分っている。
それに、このことと時を同じくして、6日の未明にお母さんを失くした同じ区内に住むKさんは、その日も休むことなく青山の外猫配食に出かけたと聞いている。

身に降りかかる一切合財を受け入れて、引き連れて走っているのが「いのちのボランティア」号なのだろう。
がまん、がまん、がまんがミッションの“いのちの猫ボラ・スクール”。
いつか何かを学べるだろうか。

だけど、してはいけない我慢が、中にはある。

金曜から土曜の外猫活動途中、ある人からメールが入っているのに気がついた。Aさんからだった。
Aさんとは、5月24日のジャーナルの“犬のマルさん”の飼い主、横浜/動物愛護センターから犬を助け出した人。
メールには札幌市の迷い猫誤認殺処分事件について、「札幌の事件は何て言ったらいいのか分からない位むごいですね。もしも自分がその立場だったら、裁判沙汰にして大騒ぎします。猫さんが浮かばれません」と書かれてあった。

That‘s right! 完璧にその通りです。そういう目にあったら私もそうするでしょう。
何につけても日本人は大人しすぎる。じっと耐える。黙っている。何故なんだろう。
耐えがたい苦しみを受けても、じっと押し黙ったまま、自分の意見を言おうとしない。
自分の中だけで解決できるものなら、その忍耐強さもいいだろうが、苦しみの原因が「社会のあり方」が引き起こしているものならば、自分の中だけではどうにもならない。そして世の中も良くならない。
偉い人や上の人が作る世界にただ言うなりに従ってゆくだけの人生、管理されるだけの人生にされてしまう。
黙っていればいるほど、おごり高ぶるのが力を振りかざす者の習性。
黙っているからつけ上がる。
一般庶民をバカだと思い傲慢の上にアグラをかく。
007のように「死ぬのは奴らだ」と言ってやりたい。

この件では前にも書いたが、間違って殺処分された猫事件、そのプロセスに関わった誰一人からも「痛恨のメッセージ」がこれっぽっちも伝わって来なかった。それは彼らが“言い値”で商売できる環境にあるから。
しかし、ここは民主主義社会のはず。私たちが自由に意見を言える、それが民主主義ってもんだよね。
そうならば、力を持つ者を思い通りにさせないのが私たちの役割。
ミスを犯してもアグラをかいていられる、それって変だよ。公の仕事で大過失を犯したら、まず市民の前に出て謝らないと、市民に対して責任を取らないと。

殺された猫が何もしゃべらないことをいいことにして・・・

公が絡む、こういう話を見聞きすると、いつも思い浮かべるのは・・・
日本の戦争中に、犬や猫が「お国のためになろう」とタスキをかけて送り出されたという悲しいエピソード。それに黙って従わなければならなかった悲しい昔の日本人。

人間社会が作り出す深い絶望の谷間に落ちて、一匹の猫が死んでいった。


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