FC2ブログ
2013
07.31

7月、今月のありがとう’2013

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 高温多湿 31℃

朝のF 557

【A Thank-You Note To Our Friends】
港区KKさん 練馬区SHさん 品川区IMさん 港区MTさん 東久留米市HYさん 目黒区MNさん 横浜市IMさん 港区ATさん

今月7月に「猫の郵便」の活動に寄付をよせて頂いた方々です。ご寄付頂きました方々一人一人に心から感謝申しあげます。品川区IMさんからはご寄付に加え、こちらの事情を考慮されたフードを沢山送っていただきました。ご配慮ありがとうございます。

集計の結果、寄付の総額は7月の活動にかかりました全額の40%です。ご支援頂きました総額が活動費総額を超えていませんので、個人流用するなどの不正行為はできるはずはありませんから、安心して下さい。

頂きましたお気持ちを大切に、これからも活動を続けてまいります。
今後とも応援、ご支援よろしくお願いいたします。

【今月の買い物ラプソディ】
2013年7月、前半は唐突で急激な気温上昇、それから一時気温は落ちつたもののべたべたベトベトの高い湿度が続いています。正直なところ、休みのない活動、疲労はかなり蓄積しています。湿度が厄介ですね。
ですが、外で暮らす地域猫たちは、情熱的と言ってもいいくらい絶対の信頼を寄せて待っていてくれるので、“がんばる”しかありません。

今年の夏は当ブログにもブログ筆者が書いている通り“不思議な夏”です。夏になると現場で例年悩まされてきたナメクジやゴキブリの災難が極端に少なくなっているのです。湿度とナメクジ、雨とナメクジ、夏とナメクジは付きものだったのですが、何故か今年はその害が今のところ「ない!」のです。少なくなったのです。
猫の郵便の夏の外猫の給食方法は、まず受け皿の中に食塩水をたっぷり張り、その真ん中に猫フードを盛ったガラスの器を置くやり方なのですが、例年より格段に塩の消費量がガタ減りしています。うれしいやら、キツネにつままれたような奇妙な感覚やら。・・・ナメクジや虫やゴキブリがいなくなっているのが、あの放射能が原因しているなら喜んでばかりもいられませんよね。大ざっぱに構えている国や都行政、イヤですねー。

猫の食料/買い物ラプソディでは、今年の春に新たな活動現場になった所(二人以上の女の人の完全現場放棄)に、一匹二匹と成猫も加わり、全部で7匹。子猫たちの食べること食べること、160g缶詰にして毎日6缶(月180缶)増量です。がんばらなくちゃ。

買い物の詳細は、シャポットの「今月のお買い物」を参照して下さい。
「毎月寄付してくれるアンパンマンさんたち、ありがとう!」(鉄腕ウンガ)


anpan-77_20130731225932eee.jpg

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

スポンサーサイト
2013
07.30

「東京都23区&多摩地区の猫情報交換」地域猫オフ会

Category: 地域猫活動
猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 31℃

改正法基本指針に地域猫対策の文言か明記されるにあたり
「東京都23区&多摩地区の猫情報交換」地域猫オフ会が開かれます

【 日時 】
平成25年8月7日(水)開始時刻13時半~終了17時

【 第一回目場所 】
※ 今後は、各ボラ地区持ち回りで開催場所を変更し、随時開催予定です
女性総合センター・アイム 和室
(東京都立川市曙町2丁目36-2)


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.29

季節はずれの鯉のぼり

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 27℃

pipi425.jpg

霞んで見える高層ビルと東京タワー。一目瞭然の不快指数。高温多々湿。どんよりと張りのない町の景色。
連日の夕闇時の夕立と雨降り。鬱陶しい日が続いている。
首回りにハンカチーフで包み巻き付け出かけたカチカチの保冷剤は、一時間後には氷解してだれている。

べたべたと肌にまとわりつく夏気候は、すっぱい酸のように心と体に深く浸透して来る。
疲れる。眠たい。夜更けの地域猫活動でたどり着いた最終地点では、川の水までもがその倦怠で黒く止まって見えた。

夏の停滞ついでに、倦んだかんばしくない社会気候に、まる3日の間、ブログ更新する手も止めてみた。
静かな空気、遠い声、静かな心持ち、猫の寝息にセミ鳴く声を重ね聴いて。
世の不条理の中に生きる人を、外暮らしの猫たちの佇まいを、胸の奥で思ってみた。

夏雨(なつさめ)のまだら上がりの湿った空気の中に、ブログを野ざらしにしておくのもいいだろう。
「千夜一夜のプラットホームで」と「山本太郎~細く曲がりくねった道」は“心含み”を入れ下手くそな文章ながら苦心して書いた。吹く風まかせに、季節はずれの“鯉のぼり”になって、鬱陶しい空気の中で泳ぎそそいでいてくれ、そう託した。
ふり向けば残骸となり破れ果てるが宿命の旗なのか、それとも行く手を仄めかすカウンターの旗になってくれるのか?
考えるのには“間”を置くのも時に大事。・・・Where am I・・・?
自分で自分が分からなくなることなんて良くあること。分かったふりをして肝心の目的と意味を見失うのも良くあること。ミイラ取りがミイラになる、それだけは避けたい。

と、ここまで書いて来て「一体、何が言いたいの?」という声が聞こえて来そうだが、分からなくていいのです。
世の中すべて分からないものだらけ。不条理だらけ。
たとえば、ほら。井上陽水の「長い坂の上のフレーム」。
「・・・時々はデパートで孤独な人のふりをして・・・満ち足りた人々の思い上がりを眺めてる・・・昼下がりは美術館で考えたり・・・」(長い坂の絵のフレーム by 井上陽水)・・・この曲を一発で分かりますか? 分かったと言えますか? 明らかに伝わって来るのは物憂い倦怠感だけ。
人は“分からないこと”を引き連れて生きてゆく。人は“分からないこと”をかみ砕き反芻しながら道を歩いて行く。
「分らないこと」を切り捨てないで、引き連れてゆくことに大きな価値がある。
井上陽水の「長い坂の絵のフレーム」が伝える世界は、安直に分かり合い繋がり合うことではなく、その空気感をシェアし合えるかどうかという問いかけや聞き分け・・・恐らく。

ブログで伝えられることなんて、結局は表面的/表層的なこと。
道端の猫が何を言わんとしているのか、ほとんど100%に近い人間がかえりみることなく通り過ぎてゆく・・・それと同じように・・・
安い幻想を夢見るよりは、自分たちの道を確実に着実に刻んでゆくしか方法はないようだ。

冒頭の写真の猫は東日本大震災直後に道端で殺された猫。この子の現場を通るたびに、胸の中で“この子のフラッグ”がはためき翻(ひるがえ)る。何処から来たのか、孤独にひっそりと生きていた、この子の気持ちが分かりますか?


88

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.28

憲法三十六条

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。     32℃ 

日本国憲法

第三章 国民の権利及び義務

〔拷問及び残虐な刑罰の禁止〕

第三十六条 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。


(憲法改正自民党草案の36条から “絶対に”という言葉が削除されている。自衛隊を国防軍へ、国の命令にさからう者は新設をにおわせている軍法会議にての“死刑”判決を想像させる。国が絶対的な権限を持つ社会。・・・こわい世の中になりそうだ。うかうか何も言えなくなる。密告も恐い・・・命取りになる)


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.26

千夜一夜のプラットホームで

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 33℃

大マゼラン星雲556

【千夜一夜のプラットホームで】人生は「怪奇と幻想」の中を吹き抜けてゆくようなもの。
そう思えば、行く道々で何が起ころうが不思議なことは何もない。
あるがままに出会い、なすがままに別れを告げ見送りの手をふる。
あるがままに受け入れ、時のなすがままに何もかもが光の速度で遠ざかってゆく。ただそれだけのこと。

生きるとは「怪奇と幻想」に満ちた世界を唯ひたすらに吹き抜けてゆく、そういうもの。
何が起きても不思議はないさ。怪奇と幻想に埋め尽くされた「ほぼ無限の大宇宙」を旅しているのだから。
銀河鉄道の窓に映る幾億千万の星々の夜と手元の明かりが照らすひそやかな一夜。
千夜一夜のプラットホーム、恐がって「時の列車」に乗り遅れたり、勢い込んでけつまずいて気づかずに「行先ちがいの列車」に揺られていたりして。・・・赤鬼/青鬼、千の鬼たちが行き交う夜を渡っている。

風のない夏の夜更け。「エクスキューズ ミー。エクスキューズ ミー!」と遠くから声が聞こえてきた。近づいてきた声の主は青い夏服を着た人間のお巡りさんだった。若いお巡りさんはこの蒸し暑さで額に玉の汗をかき、息を切らせ「スイマセーン ジーテンシャヲ ワーキーニ ヨーセテ クーレマセンカー? アナータハ キ~カサーレタカータデスカー?」。はい、毎度おなじみの職務質問のお仕事です。
多い年で優に年間60回を超える職務質問の呼び止め。こちらが日本語で話し出すと、お巡りさんは安心したのか変なイントネーションの日本語をしまい込み、生まれや今の住所や国籍や親の国籍や職業などの身辺調査に話を移していった。

話の埒がいつまでも開く様子がなかったので、唐突に言葉を英語に切り替え「Pardon?」と語気を強め、ゆーっくり単語を区切り「I gave my vote to Taro Yamamoto last Sunday.I have the right to vote in Japan,you know.」と投票する仕草のジェスチャー入りで“Taro Yamamoto”と“Japan”を大げさに強調し諭すように話しかけたら、若いお巡りさんは調べるはずの自転車の登録番号の確認も忘れて「I know,I know」と肩をポンポンと軽くたたいて銀河のもくずとなり彼方へ遠ざかっていった。

お巡りさんが消えてゆく先を見つめよぎりきた思いは、「いつかこの国の憲法が変わり、言論の自由も表現の自由も基本的人権もなくなり、公職の係官や警察の力が絶大になれば、外暮らしの猫たちを支え巡るこの生活は抜き足差し足のつま先立ちを宿命とするようになるのだろうか?」という不安の渦巻きだった。
生きるとは「怪奇と幻想」を時間旅行してゆく旅であったとしても、「怪奇と幻想」がファンタジーではなくなり、「恐怖と不安」だけにおびえる戦慄の色を濃くしていったらと思うと、未来予想図の外猫たちの悲鳴や悲しみに、それはもうやりきれない涙しか出ない日々を暮らすようになる。

人生は「怪奇と幻想」の中を吹き抜けてゆくようなもの。この言葉にファンタジーあふれる夢の力が失われることがないように、銀河鉄道の小窓からカーテン越しにでも政治や社会の天気図を忘れずに確認していなければと思っている。
言われなき罪で行動を制限されたり、ほんの一言で身柄を拘束されたりする社会では、個性や生き方は一つの色に塗りつぶされ、その先に生き生きとした命の道なし・・・


genkai73.jpg

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.24

冷めて伸びたラーメン

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 27℃

空ー557

今の世の中を覆い尽くしている無関心。無気力。しらけたムード。これを何に例えれば的確なのか考えてみた。
冷めたコーヒー? 冷めたパスタ? 冷めたピザ? 溶けたアイスクリーム? 気の抜けたビール? 冷めて伸びたラーメン? などなど思いつく。
冷めたコーヒーや紅茶は飲めないことはないし、関係が壊れたロマンチックな面も顔をのぞかせ、香ばしいかおり匂い立ち、美し過ぎてアウト。
冷めたパスタや冷めたピザは見た目ブログ用のディスプレイには取りあえずはなる。それに冷めてまずくても電子レンジでチンして持ち直せる。これもだからアウト。
溶けたアイスクリームや気の抜けたビールは無気力や怠惰を物語らせることはできるけど、力不足で、これもデッド。
一番食えなくて見るも無残なのが「冷めて伸びきったラーメン」ってことで、この記事のタイトルは「冷めて伸びたラーメン」とすることにした。

しらけた社会。無関心と無気力が渦をなす社会。自分のことにしか関心を払えないセルフィッシュ・ワールドが時代と町を横断している。長い間の地域猫活動で町を眺めて来て、はじき出した自分なりの一つの世間への感慨である。
「冷めて伸びたラーメン」社会。
たとえば・・・。一つの命=猫がそこに捨てられても、そしてそこに一つの命の不幸(殺処分も含む)があっても、それを世の理不尽ととらえるのではなく、“世の常”「野良猫/不用犬なんか、そんなもんでしょ」と何事もなかったようにパスしてゆく人の群れ。人の退廃。中にはそれらの地域猫を通りすがりの動くオモチャとして、もてあそぶのに何の躊躇いもなければ罪悪感も持たない人たちの感覚と余りあるほど付き合わされて来た。

交通事故死した猫を道端で収容作業をしていると、汚いものをよけるかのように胸の上に両腕をお姫様クロスさせ狭くもない道を建物沿いに横向きに体を這わせ逃げていった中年の男。何食わぬ顔で遺体の上をまたいで行った男もいた。
鉄腕ウンガさんから聞いたエピソードだが、彼女が現場で作業をしている時、ベンチに座っている男が突如立ち上がり話しかけ、こう言ったとさ。「さっきから見ていたんですけど、食べないですね」と男A。「食べないですねって、何をですか?」と鉄腕ウンガさん。「さっき、おにぎりを上げたんです」と男A。
おいおい、TNRをして日々適正管理している場所で、猫におにぎりって、それって一体何なんだよ! いい歳くったオヤジがどんな育ち方をしたらこうなるんだろうと頭が痛くなった。
猫におにぎり? 猫にチョコレート? 注意書きと虐待防止ポスターが側に貼ってあるだろ。
現場には、おにぎりのカケラ、ケーキ、コンビニ弁当の残り物・・・など、無造作に地べたに放り出されているのは日常茶飯事。冷めて伸びたラーメン、食えない奴らだ。

と、書いていたら、鉄腕ウンガさんから連絡のフォーンコール。
朝の片付け作業を終え、彼女が自転車を走らせ会社に向かっていると、前方から歩いて来た男にすれ違いざまに真横から自転車車体を不意に押され、「えっ、何が起こったの?」と・・・。
気が付いた時には前かごの荷物もろとも地面に激しく叩きつけられていた。・・・男は180センチくらいの上背で、横幅もかなりあり、年齢は40歳くらいに見えたと言う。
顔を上げて振り向くと、その男は何もなかったように、見返りもせず、遠ざかって行ったとのこと・・・ジャーン。
回収したガラス容器はぐちゃぐちゃに割れているわ、両膝から血は出ているわ、痛いわ、会社に遅れるわ、踏んだり蹴ったりだったと鉄腕ウンガさん。
でも、粗暴なことが自然に町の風景の中にしっくりおさまり返っている、これが東京の“今“なんですよね、現実。
鉄腕ウンガさんの話を聞いても特段の驚きはなかった。それは、地域猫活動を通じて理不尽なことや不条理な目に幾度となくかち合っているから。世も人もそんなものさ。

「冷めて伸びたラーメン」社会とどうやって向き合って行ったら良いのか? 参院選アフターの残像は、しらけ・無気力・無関心そのものを物語っている風に私には見えている。


anpan-77.jpg

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.22

圧倒的少数派として生きる

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。  30℃

平行線ー559

【圧倒的な向かい風の中で】参議院選挙が終わった。通りから街宣車が消え、静かな町並みが戻って来た。気持ち軽やか視界良好、すっきり爽やかに一日を過ごしてみたかったが、空の濁りとむせ返るような湿度がそうはさせてはくれなかった。
「選挙結果の感想は?」と聞かれれば、「んー。ちょっとだけ嬉しく、ちょっとだけ落ち込み」。
まぁー、そんなところ。
「良かった~」と思ったのは、もちろん脱原発/脱被ばく/反TPPの山本太郎が東京小選挙区で“国会のパス”を手に入れたこと。「嬉しい」という言葉の前に「ちょっとだけ」とニュアンスを含ませたのは、当確直後の会見で彼は普通なら誰もがする万歳をせずニコリともしないで先行きを冷静な眼差し見すえていた、そのことへのリスペクトです。
これから彼の茨の道/The long & Winding Roadが始まってゆくのを知っているから・・・。
山本太郎はその身に“暗殺”なんていう、とんでもない危険な局面にもさらされているわけで、こちらの方も身も引き締まる思いがする。
しかし何だかんだ言っても、兎に角、太郎の“プラットホーム”は世の中に確実にセットされた。今は“ちょっとだけ”喜ぼう。
選挙戦最終日の渋谷の選挙フェスで、彼の演説は本当に素晴らしものだった。記念碑的名演説だった。借り物でない自分の手足で積み上げて来た言葉、皮膚感覚、論理性、メッセージ力、それはまるで音楽のようであり、ロックコンサートの会場にいるような高揚を覚えた。

一方、ちょっとだけ落ち込んだのは、投票率が異常に低かったこと。有権者の約半分の人たちが自分の権利を行使しなかった。投票所に行かなかった。それに・・・
自分たち生活者の首をジワジワとしめ込んでゆくことになる政策(原発推進・TPP・憲法改正)を掲げる政治勢力に、圧倒的な人が白紙委任状とも言える信任を与える結果を出したこと。
これにも「ちょっとだけ」と接頭のニュアンスを付けたのは、それは落ち込みがそんなに激しいものではなかったという理由。ちょっとだけです。
子供の頃から逆風の中で生きてきたし、向かい風には慣れっこだし、逆風ライフが自分を地域猫活動や社会的出来事へ関心を持つベースを形作ってくれた気がするし、圧倒的少数派としての自分の立ち位置には免疫や耐性がすでについているからですかね。「ちょっとだけ」といつも苦笑いするのは・・・。
地域猫活動で現場に身をさらしていると、通り過ぎる人波、通り過ぎる人たちの視線と反応、交渉事などで対応する人たちの顔の裏側を読み込む経験などで、自分たちの価値観が“少数者”の中にいることを骨身にしみて体得せざるをえなかった。多少の凹みや痛みは“ちょっとだけ”にすることにしている。

世の不条理と闘うということは、「偏見や攻撃」込みで少数派を覚悟しなければいけないということ。
山本太郎が言うように、文化は多様性の中でこそ花開くものなのだけれど、或いは民主主義社会のルールは多様性を受容して結論へと導いてゆくものなのだけれど、リアルな社会にそれを求めると大抵のケースは「甘い!」と答えが返ってくるのが落ち。

犬猫の保護活動周辺に生起する価値観など、世間の認知度は脱原発などより遥かに蚊帳の外、有視界の外。正に問題外の中にあり、圧倒的少数派としてどう生きるか? 身も心も強くならねばと思っている。
選挙最終日、太郎の演説の中の言葉 「俺には(本当は)夢があった!・・・」 あの言葉は重かった。グーッと胸が締め付けられる思いがした。

とらちゃんLOVEJPG-75

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.20

山本太郎 ~細く曲がりくねった道

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 28℃

557the long winding road

参議院選挙は「自公の与党圧勝」の予想をマスコミ各社が大々的に報じている。
「弱肉強食 いじめ 金がすべて 弱い者のことなど顧みない」の価値観の方に多くの人がなびいてゆく、世にも不思議な現象。このミステリアスな怪奇現象には違和感を通り越して、もはや絶望の境地に達していると言っていい。
3・11の東日本大震災を経験した日本人は生き方を考え直すんじゃなかったのか?
3・11を経験した日本人は被災した人たちに寄り添って生きていくんじゃなかったのか?
そんな言葉のカケラや後ろ姿たちがカランコロンと乾いた音をたてて、心のどこか遠くへ遠くの方へと転がり落ちてゆく。

本心を言ったら俳優の山本太郎は仕事を失くした。本心を貫こうとしたら小沢一郎は虚偽の事件を仕立てあげられ人物破壊の崖っぷちまで追いつめられた。
子供の頃に震える思いで読んだディケンズの「二都物語」を思い出す。・・・愛する人のために自分の心を隠し、身代わりになってギロチンの刃振り落とされる断頭台の露と消えていった酒浸りの弁護士シドニー・カートン。そして血に飢えた徒刑場の狂喜乱舞する群衆の大歓声。
それらのイメージを今の社会とダブらせて見ている私的な心象風景である。
大衆社会はいつの時代でも“いけにえ”の生首を求めるものらしい。 今の時代で言えば、マスコミが群衆渦まく広場に疑似餌を放り投げ、日頃の溜まりに溜まった“憂さ”をそれで晴らさせる。「いじめ社会」をマスコミが率先して先導している異様な姿だ。

ツイッターで山本太郎が大バッシングの大嵐の中にいるという。血に飢えたネットの“暗闇”が脱原発/脱被ばく/反TPPの山本太郎のブームをちょっとしたホコロビでも血眼になり探し出して“血祭り”に上げようとしている。
福一原発の廃炉への作業工程は今でも超ハイリスクな危険な大綱渡り/曲芸の中にあり、燃料棒取り出しの一本でもミスれば再び東日本全体が2011・3・11の振り出しに逆戻りさせられる・・・“恐怖と戦慄のシナリオ”の中に私たちは未だ生き暮らさせられているのにも関わらず。
猫ボラの見地から言わせてもらえば、福一事故で被災した動物を一匹残らずこの国は助け出したのか? 立ち入り制限地区で悪戦苦闘を続けている動物ボラをこの国は手厚くバックアップして来たのか? そうではないだろう!
原発事故が起こり、何の責任も果たさず、何の手当もできないなら、原発再稼働などするべきではないとする山本太郎に私はためらうことなく軍配を上げたい。たとえ、それが“ハチドリのひとしずく”であったとしてもだ。

大多数の安定感の中に身を置くよりも、自分の頭で考え、自分の五感で感じ、自分の体で体験し、たとえそれが孤独で細く曲がりくねった道であっても信じた道を歩いてゆきたい。
大多数の中で個性を埋没させ引きつった作り笑顔を浮かべ生きるよりも、信じた道/保障なき人生を突き進む太郎君や生活の党の三宅雪子のすがすがしさに心揺さぶられる何かを感じた。

参院選が与党圧勝で幕を閉じたら、物価は更に値上がり、格差社会は目に見えて加速度を増し、そしていよいよマスコミの鐘太鼓で憲法改正の神輿が花道を歩き出すことになるのだろう。
基本的人権や表現の自由や国民主権が根こそぎ奪い取られ、暗黒社会が目の前に降りて来たとしても「私はあの時、その道を選ばなかった!」と、堂々と胸をはって生きていけるように“今、この時”の選択をまじめにしてゆくしかない。

私が“今”、地域猫活動をしているのは、あの時、路頭に迷う多くの猫たちを「関係ない!」と見捨てて立ち去ることができなかったから。見捨てる選択肢は美しくないと思った。
地域猫活動に没頭することによって、生きる道は狭められたけど、“あの日あの時”の決断に後悔はない。
「太郎君の道」と「“猫の郵便”地域猫活動の道」が、いつかどこかで一本の道になってつながって行きますように、空に大きなレモン月が浮かぶ夜に言葉にならない不安を抱え生きるあなたに・・・
祈りを込めてビートルズの「The long and Winding Road」を送ります。道は必ずつながってゆく。
70pipi.jpg

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.18

夏と猫の危うい関係

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 高温多湿35℃

IMG_0962-438

上の写真をネーミングすれば、「夏ワァーオ 思いあまって中二階へ インド猫もびっくりの蒸し暑さ」。泣く子と天気だけには勝てない。
“高温多湿の夏”と“ウルトラ超低空に生きる外暮らしの猫たち”の危うい関係を説明してみました。

わずか二日間の夏の猛威からの“小休息”はポツリポツリと雨が降り出し、乾いていた空気は再びジュクジュクと熟しはじめ、18日の夜は大したことはなかったけれど、雷鳴とシャワーが蒸し蒸しの夏を連れて舞い戻ってきました。

16日と17日の二日間は空気が適度に乾いていて、吹く風がサラサラと心地良く、幸せな夏気分を満喫しながらの地域猫活動の巡回でした。活動で会う猫、会う猫が、皆「ホッと一息!」とリラックスムードでまったりのんびりしているようにも見えました。

例年にない7月初旬からの急激な猛暑日の連続は、外暮らしの猫をひどく消耗させていたようで、中には口が半開きの夏バテの猫も出始めていました。たとえば・・・
私が現場に到着し、普段は必ずいそいそスリスリと近寄って来る習性の猫が、なぜか遠巻きに地面に寝転ぶばかりで動こうといない。動きが緩慢で、呼びかけても「・・・いいから、放っておいて・・・」と言わんばかりに投げやりな視線の一瞥を送くるだけ。「あー、だるくて動く気も食欲もないんだな」と合点する次第でした。

「猫は夏の二日くらいしか暑さを感じない!」なんて、どこかで空耳で聞き覚えがあるけれど、人間はいつでも自分の手前味噌な間尺で身勝手な神話の数々をこしらえ悦に入ってきた動物。猫のことは猫に、犬のことは犬に、キリンのことはキリンに聞いてみなければ分からない。
「猫は夏の二日くらいしか暑さを感じない!」、そんなことは先ずないでしょう。

強力な蒸し暑さの熱射の日や熱風の日などに、家の猫をじっくり観察していると、眉間や毛並に険しさがにじみ出ているし、冬眠ならぬ“夏の虚脱眠”が部屋から部屋に広がっています。夏の倦みと言いますか。
何しろ、猫は毛穴から汗を出せない、鼻の頭と肉球でしか皮膚呼吸できない特性の生き物。
地面に近いほど、熱の照り返しや空気の澱みなどで気温は高く、地べたから15センチ以内で生きる外暮らしの猫たちの「夏生活」は間違いなく過酷なハードライフなのです。


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.17

軽い躁うつ病は人を救う

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 29℃

DSCN6269-556.jpg

外は雨降り。心はここのところ乱気流の中。集中力を欠き、意識があっちこっちに飛び散り、集約できないでいる。
わけの分からない不安や恐れもある。何故なんだろうと、ふと考えてみても分からない。これという見当がつかない。小さなことの積み重なりが積りに積もってこうなっているのかな、とも思ってみた。

でもだよ。これを書きはじめた時は実は“幸せな気分”だった。理由は、ただ一つ、帰宅後3時間眠れたから。睡眠で心も体もリフレッシュ、新しい酸素更新で満ち足りていた。
精神的混乱と幸福感が一つの体の中で同居している。このアップ&ダウン、これって軽い躁うつ病って言うのかな?

ストレス社会、見渡す世の中には今、“うつ病”の人がゴチャマンといて相当な数にのぼるらしいけれど、もしも自分が地域猫活動をしていなかったら、持って生まれた精神的気質が災いを呼び「うつ病」になっていたのだろうか? 
躁状態のない「うつ病」にどっぷりと。
社交性はないし、人づきあいは苦手だし、世の中のことは恐いと思っているし、どっちかと言うと内面トリップ型の芸術家肌だし、自分勝手流だけで暮らしていたら高じて間違いなく「内へ内へ/うつの方へうつの方へ」ディープにめり込んで行ったような、そんな気が無きにしも非ず。

地域猫活動は毎日、時計がその時刻を指したならば、機敏に的確に動いていかなければならない。
生き物は食をつなぎ“生”を重ねてゆく生き物、生き物を支える活動は「今日は都合があってできません」とか「風邪を引いたから休みます」とか、あらゆる言い訳が通用せず、時間になれば天気/自然現象に関わりなく自動的に毎日外に出かけ体を動かしている。地域猫活動の容赦のない機能性とセオリーです。
それがドーッと落ち込んで仕舞わない「ストッパーの役割を果たしてくれている」という風に思うことがしばしばあります。体を動かせば筋肉を少なからず使い、血流も良くなる。目の前に見える風景が否応なしに変われば、頭の中も自然にリセット/切り替わってゆく。
そうか、地域猫活動が自分の気質が病むことを助けてくれているとも考えられるんだ、ってね。

“明”があって“暗”。“暗”があって“明”。“うつ”があって“躁”。“躁”があって“うつ”。“光”があって“影”。“影”があって“光”。
地域猫活動からの思いもよらない副産物(福音?)で、“うつ”の対極の心理状態を手に入れ、ひょっとしてそれでバランスがどうにか保てているのかなって!
そうであるならば、この「軽い躁うつ病」も決して悪いことではないのだと、何故か奇妙な形で納得した自転車の上の夏の朝景色なのでした。


Jtaro1-65

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.16

この野郎、地獄に行け!

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。29℃さわやかNight&Day

M家ー560

本当は仮メモで予告した「夕焼けタラちゃん 故郷に帰る」を書かねばいけないところですが。そうしたいのですが、この二三日どうしてなのか意識を集中できず気持ちが四方八方に乱れ散り収拾がつかず困ったもので、とてもテーマに沿ったまとまった記事が書けそうにないので、急場しのぎにこの10日間前後に起こったこと/心情を箇条書きにしてまとめてみます。

この10日間で起きたこと。まず良かったことから・・・
M家のTさんから暑中陣中見舞いのメールをもらったこと。冒頭写真はM家の夏。一番右の子がこのブログで5月に取り上げた“メメさん”です。瞼がふさがる病気でしたが、治療の甲斐があって治って良かったです。そして大きくなりました。先輩猫さんたちと打ち解けているのもGoodです。
鉄腕ウンガさんからは夏一番(猫の郵便オリジナル)の日にレバノン産コーヒー豆を漬け込んだ一カ月もののラム酒を暑中見舞いにもらいました。これをバニラアイスクリームにかけると、ラムレーズンでそうするよりもナイスな大人の味になり、この夏のわが良き友になりそうです。
そしてもう一つ良き事として現在進行しているのが、腎臓病のテネシーの補液が順調な運びの中にあるということです。・・・痩せて来ているのが気掛かりにはなっていますが。

良いとも悪いとも判断できないこととしては・・・
重度の口内炎持ちの鉄腕ウンガさんの所の“蘭の花”君が定期的にメンテナンス治療に通っていること。薬の副作用でしょっちゅう「腹が減った」とわめいているらしいです。
ダブルキャリアのバラタマタンは、暑くなってそれが原因でダウンしないように体力維持&アップのために同じく蘭さんの通院している病院でメンテナンス治療を受けました。毛がぬいぐるみ一頭分になるくらいの量のブラッシングして頂き、ありがとう、先生&看護師さん。

毎日の地域猫活動で目新しいと感じたことは・・・
冷やしキャットフードを始めたこと。冷蔵庫に缶を入れて約一時間以上。それで猫弁当を作るなり、缶を現場に持参するなりしています。低温保持で“持ち”をよくさせる・・・ウルトラ暑い日などは内外の両方の猫たちが喜んでくれています。
そして今年、すごーく気掛かりなのは、現場で異様と言えるほど蚊やナメクジやアリや虫の害が少なくなっていることです。蚊にさされることもなく、食器にナメクジもつかず・・・、これってやっぱり放射能の影響なのかと心配がワナワナとつのりますね。不安です。
Fight!山本太郎! Fight!三宅洋平! Fight!三宅雪子! Just Friends Of Mine!

最悪の出来事としては。はい。またあったんです! 猫おばさんの現場放棄事件が!
また四たび?五たび?・・・七たび? ダジャレですが悲しくなることエブリマウンテン(山脈)の心境です。
・・・猫たちを置き去りにし、その後ろめたさを心の何処にしまい込み隠し通すつもりなの? ヘイ!
 激怒! ワーォ! 恐ろしい醜女たち!
鉄腕ウンガさんの担当地域エリアで二カ所。麻布某町で「私、池袋に引っ越しますから」と缶詰たったの一つだけ手渡して逃げて行った馬鹿女のその一カ所!
必死のTNRと収容で全体の猫数は減少傾向にあるが、場所的に見るとまた増えてしまったの観。マルコ・ブルーノが言うように「穴の開いたバケツで水汲みしている」ようなもの。・・・このタコ野郎、地獄に行け!


79

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.15

サマークリエーション

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。  35℃涼しい活動

S3 img040-448

物価高に猛暑日の連綿。挙句の果てに町は選挙カーの街宣活動で喧噪の中。さすがの東京タワーもここのところ、朝は白濁する空気の中で色彩なくげんなり、「夏痩せ?」と錯覚を覚えるくらいだった。

連日の多湿と気温35℃超え。夜になってもムッとする暑さ/空気の澱みで心底ゆううつな毎日が続いていたが、昨日の日暮れ前の夕立をきっかけに風が吹き始め、今日はホッと一息。涼しい夜を迎えている。

いつまでもこれくらいの気候で行って欲しいのだが、天気のことは読んで字のごとく“天の気分”、神のみぞ知る世界。期待はしないでおこう。期待するほどに裏切られ、気持ちがついて行かなくなる。

あまり好きな言葉ではないが「病は気から」、気が遅れてしまったら体がついて行けず病気を手招くことになる。
暑さなんて何のその、汗をかこうが槍が降ろうが、社会的な不条理事に比べれば絶対に“対処”できないというものでもないだろう。

夏、暑い。夏、暑く気だるくゆううつになる。でも、人間には不思議と与えられた局面に対して備える力が自然と備わっている。物事、ネガティブさだけで出来ている訳じゃない。
アイスクリームを一番おいしく感じるのはこの季節。その他にもこの季節ならではの食べ物は山ほどあるし、全ての窓を開け放つ開放感やプール/水遊び、朝焼けの空の美しさや夕暮れの淡い雲に太陽が残り火を投影する空は「シンフォニー」と呼べる極上のもの。
結局、人間は、何事も与えられた条件にどう向かい合い、どうクリアするのか/したのかに、全てが凝縮される生き物なのだ。性格、人格、品格・・・

天の気分などに左右され、負けてなんかいられない。

地域猫活動! 暑い夏の日も、寒い冬の日も、激しく雨降る日にも、絶対の信頼を寄せて待っていてくれる猫たちそれぞれが、言葉にできない“恵み”を私たちに与えてくれている。

下の小窓に映っているのは去年 突然死したジプティー君です。それは去年の夏 真っ盛りのこと。原因は膿胸でした。人懐こい可愛い男の子でした。


-133jpt60win

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.14

夏の怪+ゴキブリが消えた日

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 超高温多湿34℃

ガクあじさいー471

7月7日の七夕まつりの日を夏一番(猫の郵便単独勝手に命名)にして始まった今年の夏。本当に東京は体が発火しそうなくらいの暑さです。まだまだこの夏の暴威に慣れそうにありません。
後ろから火と湯気で焚き付けられるように時間にチクタクとまくし立てられ、火車(ひぐるま)の中で暮らしているような体感です。ヒートアイランドの地域猫活動! フ~ッ!
願わくば、この朦朧とする熱風の中、ドロドロドロンと魔法の煙でも沸き立って、痛快な奇跡でも起きてくれないかなと、心は淡いメサイア願望を抱きますが、ありえない幻想は体に猛毒だから止めておきましょう。
十億円の宝くじに当たるとか、港区一帯が東京から分離して浮島になって世界の海に漂流し始めるとか、その新しい国の初代大統領には世界一クレバーなアーティスト“デビッド・ボウイ”が選任され就任するとか。
社会が押し詰まって来ると、こんな荒唐無稽な㋖○〇㋑じみた妄想を抱くものです。マッチ売りの少女が擦った一本のマッチ棒の小さな炎の中に彼女が幻想を引き寄せたように。

奇跡とは綿々と繰り延べられる日常をねじ伏せて起こる奇々怪々な現象。日常の中に降って沸く非日常の世界、ミステリアスな世界。ふと気づくと、それが今、眼の前で実は起きているんですね。本当に「ふと気づくと・・・」なんです。
それは今年の夏・・・
家の中から一切のゴキブリが消えたのです。消えてしまったのです。
いつ頃からかは判然としませんが、「夏になったら出てくるだろう!」と高を括り予見していましたが、ゴキブリにとって香ばしい夏なのに一切姿を見せない、出てこないのです。ゴキブリホイホイは例年通りのセット、今年に限って特別な対策など何もしていません。それが何故?
そして、外の地域猫活動では、この季節は毎年ずうーっと、活動現場で必ずナメクジに「ヌタッ!」と悩まされていたのに、今年の夏はこんなにも高温多湿なのにナメクジ被害が格段に「ない」のです。例年と比べたら、月とスッポン。十分の一~二十分の一の減少ぶりです。どうしてしまったんでしょうね? 変ですね。
これは、ひょっとして「あれ」のせい? 噂のあの黒い物質?

ゴキブリもナメクジもいないのは凄くうれしいし助かるけれど、もし「あれ」のせいなら不気味だし、五感に恐怖の戦慄が走り過ぎます。
数日前に見たどこかのブログに千葉の船橋に住む人が「去年までは、あんなにゴキブリにいたのに、今年になってからゴキブリがいない」という情報を読んで、「ウチと同じじゃん!」とザワザワする変なものを感じました。

大震災の年はガクアジサイの花が奇妙な色をつけて咲き、次の年はアジサイの花が梅雨を終え八月になろうとしているのにも関わらず延々と咲き誇り花房を保っていました。
嗚呼、今になって脳裏をかすめることは、唯ひとつ・・・
この種の類いの超常現象には出合いたくはなかったですね。これから一体、何が起ころうとしているんだろうか? 
それとも単なる眼と心理の錯覚現象、見間違いなのだろうか?
しかし、本当に、今年に入って、いつの頃からなのだろうか? あんなに悩まされていたゴキブリが家からすっかり消えてしまったのです。

ゴキブリ大移動? そしたら、奴らはどこに移動したのか? そういった子供じみた疑問がどこからともなく沸々とわななき沸いて来るのです。


80sqsq.jpg

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.11

真夏の闘魂:山本太郎は円形脱毛になった

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。    高温多湿35℃

タワーー453

暑いです。夕方の帰り道は鉄板焼きの鉄板の上を下から燃されて歩いているようでした。これが9月の半ば過ぎまで続くと思うと身も心も倦んでしまいそうですが、きっと良いこともあります。がんばりましょう。

昨夜の帰宅後、テレビを見ない私の情報源のYouTubeの「おすすめ」の中に参議院東京選挙区に立候補している山本太郎の新橋駅前の街頭演説があったので、夜の地域猫活動の準備がてら、何となくどんなものかとPCで流してみました。
ナマリ節を細かく砕きながら、魚正や純缶やドライフードを振り分けながら、いつもするように。
しかし、いつの間にかPCの音声に耳をそばだて引き込まれている自分がいました。

山本太郎君、演説が上手いです。言葉に魂が乗り移っています。論理的に話を進めています。良く勉強しています。
私はテレビをほとんど見ない人間ですから、芸能人のことなど全然知りません。でも、ネットニュースでほのかに知っていたのは「・・・脱原発。それで仕事を干された・・・」程度。政治的な力量など海のものとも山のものとも・・・
半信半疑のセレクト&オンでしたが、どうせ活動のバックグラウンドと思えばという、冷やかしとからかい程度の気持ちでした。が、聴いてラッキー/横目でビッグハンド、胸に迫り来るものがありました。

新橋駅前演説の彼の主張を大まかにまとめてみると・・・
「政治のプロの独占に任せていたら、こんなことになった。マスコミが伝えたことは大本営発表のみだった。
当時も今も原子力産業にとって不都合なことはほとんど知ることができなかった!」
「今でも一時間あたり一千万ベクレルの放射能がまき散らされている。一日で2億4千万ベクレル。海への流出はノーカウント。どこまでも毒を撒いても罰せられない企業はあるんです。
原発作業員はピンハネ、そして食べる物まで差別化されている。これは原発作業員だけではなく、国連から勧告が出るくらい労働環境が最悪。人を使いつぶすことが当たり前になっている。 過労死が世界語になっている。切り捨てだけの社会になってしまった。
TPPが通ったら食品の詳細表示がなくなる。個人農家はつぶされ、大企業農業に飲み込まれる。そして、TPPに入ったら脱原発は不可能になる、脱原発という考え方が非関税障壁に組み入れられている。」
「そうしたことをマスコミが国民に明らかにしないのは、或いはメディアが偏った情報を流すのはスポンサーがあるため。メディアも原子力産業もすべて利益が一体になっている!」
そして、山本太郎のスピーチの中で最も注目したのは、食品の安全基準の問題。今のこの国の基準は100ベクレル。「この数値は、震災前の放射性廃棄物と同じレベル。つまり、放射性廃棄物を食べさせられていることになるんですよ、皆さん」と。
しかし、脱原発は「日米原子力協定がある限り、原発はなくならない。それをどうして国民にマスコミは知らせようとしないのか?」という利発な政治的な洞察力もあり、刹那の感情論に溺れることなく、良く勉強していると思いました。

どこかの誰かが本で書いたことや言ったことを横流しするのではなく、知ったかぶりではなく、情緒的感情に翻弄されるのではなく、一旦自分の中に取り込んでかみ砕き、身体化して言葉を発するのは大事なことなんだなと、つくづく。
魂の叫びになっていました。

山本太郎は、まがい物ではなく、本物の円形脱毛症になったのでした。


タワー震災ー451

一番上の東京タワーは今年の5月31日19時11分の撮影。今の東京に何が起きているのか知りたいですね。
そして、文章本文下の東京タワーは大震災の年の3月11日15時24分に撮影したものです。
この雲、この閃光、午後3時の芝公園の歩道に信号待ちの群集が沢山溢れかえっています。口先だけではなく、あの日のことを心で覚えていたいものです。


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.10

練馬は燃えているか?

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 高温多湿35℃ムシムシ

cat88okjpg-556.jpg

少しでも体力を温存しようと、少しの空き時間も見逃さずに眠ることにつとめていました。
只今、一時間半の睡眠あけ。酸素をいっぱい取り込んだようで「爽快! 気持ちいい! 生きてるって素晴らしい!」って感じです。
暑さにやられているというよりは、日本の夏特有のこのベタベタする高湿度がたまらないです。
夏のしょっぱなから酸欠と熱中症でダウンしてしまったら一大事になり周りに迷惑をかけることになるので、自己流のスローライフ感覚ですが「体力の消耗を防いで行かないと・・・」と身にしみて感じる“夏の暴威”です。

練馬のSHさん、いつもグッドタイミングなメールありがとうございます。励まされました。こんな弱小ブログであり、弱小ボラ・グループであるのにも関わらず、言葉をかけて頂いて、うれしいです。本当にありがとう。
世間の風評によれば、練馬が東京で一番の猛暑地帯とか。
こちらはビジネス街の区なので、後十日もすれば、バラバラにサラリーマンの休暇がはじまり、町は閑散として、夏枯れの時を迎えます。そうなってくれれば、少しは地域猫活動の心理的な負担も軽くなり、サマークリエーションできる道が開けると思います。

夏は人間ばかりではなく、犬や猫は皮膚呼吸ができないから更に大変な季節です。
炎天下の陽ざしの中、ハイファッションでばっちり決め、これ見よがしに犬を散歩させている奴を見ると、「もう少し、犬の勉強をしてから犬を飼え!」と怒鳴ってやりたくなる今日この頃/夏の闘魂なのでありました。
しかし、怒ると暑さが更に体内でヒートアップするので、色々と抑えるようにはしていますが。


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.09

君をはじめて見た時

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。  高温多湿35℃

DSCN9375-469.jpg

口を開けたとたんに言葉を失う「やり切れなさ」が空気のように漂う時代。新聞、テレビ、政治、社会、どこを見ても眺めの良い窓など見当たらず、蒸し暑く寝苦しい夏の夜を過ごすあなたに。
ロバータ・フラックの「The First Time Ever I Saw Your Face」を届けます。
増上寺の七夕まつりの、数え切れない灯篭が形作る天上の川の流れを見ていたら、どこからともなく“この曲”が胸の内奥にしみ込んできたのです。
この時代の音楽は、みな素手で作られていたため、音とメロディと詞のすき間から、聴く者の想像力をかき立てるような色んな音が譜面を超えて聴こえてきます。

ある者にはドアのきしむ音。ある者には夜更けのほのかなコーヒーのにおい。ある者には行きすぎる雲の流れにカーテンがひるがえる様(さま)。ある者には階上の床に猫が一匹「トン」と小さな音を立てて降り立った音。
それらが遠い木霊のように重なり合って聴こえてくる。
アナログ時代のかつての音には、聴き手の内面を浮かび上がらせる力があった。形にできずにもがいている幻や憧憬を引き出す力があった。
それは、かつてアナログ時代の演奏家たちは血を流して技術を習得していた過程があった為に、音に自然と魂を乗せることができていたのです。しかし、今の時代はコンピュータで音程でも効果でも修正でも何でも制御できるようになったので、血のにじむような練習をしなくても、上手くならなくても、「はい一丁上がり」で作品はどんどん簡易に仕上げられるようになってしまって・・・
こうして、音楽はパワーを失っていった。創造の翼をもがれて行ったのです。
もう、二度とこの曲「The First Time Ever I Saw Your Face」が醸し出している音空間がこの地上に生まれることはないでしょう。永遠に。

「君をはじめて見た時」、その顔、時刻、光の具合、風のかげん、道の様子、町の様子。何もかもをいつでも鮮やかに胸に呼び戻すことができます。あの日、あの時・・・
テクノロジーが発達し、アナログがデジタルに何でもかんでも置き換えられて行っても、生き物をめぐる活動にデジタル化はありえず。
作業もモチベーションも感情も考え方も記憶も・・・プリミティブなまま。
ロバータが歌うように「はじめて会った時の輝きが永遠を思わせ」・・・しかし歌は言外に「この世には永遠がない」ことを黙示し、出会いと別れを宿命づけられたこの活動の「光と影の切なさ」を言い当てている、そんな気持ちに包まれ・・・言葉にできない無上の美しさを感じたのです。

誰の目にも留まらないこの活動。穴の開いたバケツで水を運搬するようなこの活動。落ち込むこともあります。徒労だと思うこともあります。壁にぶち当たることもあります。迷うことあります。
でも、はじめて出合った時のそれぞれの瞳/顔を思い起こせば、また歩を前にさし出せるのです。
ふりだしのモチベーションを維持する、できるようで出来ない。

君をはじめて見た時、そのイメージが活動の疲れを洗い落してくれ、背中をそよ吹き、送り風で押してくれているような気がします。死んで行った猫たち、今生きている猫たち。君をはじめて見た時。


80dscn8731_2.jpg

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.08

愛という名の守り篭

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。  高温多湿35℃&夕立

DSCN9371-a.jpg

【風の中のキャンドル】冒頭の写真は「増上寺の七夕まつり」を連続撮影した中の一枚です。増上寺境内にコスミックに並べられた数えきれない灯篭は空に浮かぶ“天の川”を思わせます。さすがに日本で屈指のお寺が行う、お寺ならではの七夕まつり。
「灯篭」と書いて「灯(あかり)篭(かご)」。「あかりかご」が形作る“天の川”の連なりの一つ一つの灯りが温かく柔らかく、何故かふと「たましい」という言葉を思い浮かべてしまいます。遠く近く魂が一つ二つ三つと連なって、天かける銀河の渦巻きになる。天上の川になる。
人であれ、路傍の樹木であれ、名もない野の草花であれ、犬であれ、猫であれ、ライオンであれ、キリンであれ、実験動物であれ、何であれ。魂となって舞い上がり、夏の夜空かけるシュプールになる。

地上の今を生きる魂。天上に去って行った魂。見送った魂たち。
今を生きる魂が天蓋の魂を拾い集め地上の図に移しかえ、生とは何かを問いかける、天の川のほとりで・・・

「いのち」は「あかりかご」。魂を乗せて運ぶ舟。魂のゆりかごに揺られて、そんな七夕幻想、天上の川に流れ・・・

こんなに暑くなったのに我が家の猫のポポフやアテニャンは未だに抱っこして眠りにつき、鉄腕ウンガさんの家の虐待を受け収容された蘭さんもウチと似たようで頼り切って暮らしているそうです。
気持ちに揺らぎを持つ弱い子ほど、愛という名の“守り篭(かご)”が必要なのでしょうか。
今までブログ上で外暮しの猫たちを言い表す時に、私はよく「屋根のない子」とか「身を守る屋根を持たずに生きている子」などと表現してきました。確かな愛がなく、不確実な食べ物頼りで生きるしかなかった猫たちに出会うと、決まって彼らは毛並は汚れるだけ汚れ、目つき形相はすさみにすさみ切り、・・・しかし活動を重ね・・・足しげく通っているうちに顔見知りになると、だんだんと毛並の汚れは取れ、顔立ちも柔らかくなり、綺麗になってゆくから不思議です。

やはり、どんな命にも魂があり、魂は風に揺れるキャンドルのように儚く壊れやすく、愛という名の守り篭がなくしては“魂”は痩せて消えてゆくものなのでしょうか。

外猫時代のアテニャン君は、背中をなでても櫛けずっても木馬のように硬直し、表情は寡黙に無表情でそれを崩すことはありませんでした。同じく外猫時代のジゼルニコとミケランとコスモ君(去年、天国へ)は「もう行っちゃうの? どこに行くの?」とすがるように追いかけて来ました。みんなみんな、外で生きる子たちは少なからず大きな屈折感を胸に宿し、風に揺らめくキャンドルのように生きています。
誰かがちょっとした“守り篭”で守って上げないと、簡単に吹き消されてしまうのが命というものなのかもしれません。

この青い青い小さな星が太陽風という暴威から守られているのは、「磁場」という“守り篭”があるから。
私たち人間は、その“守り篭”という「ゆりかご」に守られ生きているのです。


gt5-160.jpg


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.07

猛暑 増上寺の七夕まつり

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。 気温35℃

440増上寺の七夕祭り

毎年の恒例行事。増上寺の七夕まつりの写真を送信して頂いたので、写真先行でブログをUPしました。
本殿前の石段の星座のような灯篭の列。左右ツインの笹の葉さらさら七夕飾り。背後で東京タワーが増上寺の灯りのイベントに気を使い、光を落しています。20時30分頃の撮影です。

【夏一番】「もういくつ寝ると本格的な夏がくるのかな?」と、昨夜ブログに書いたとたんに“夏”は間髪入れずにやってきました。
繰り越しの疲れがあり、脈絡のない夢の中にもてあそばれ、正午過ぎに目をさますと、そこは「夏」だった。
「あっ」と驚きを覚えるほど気配がすっかり夏模様に色を変えていました。・・・「夏だ」なう。
家の猫たちはめいめいテンデばらばらに散らばり、あっちこっちでぐったりと伸びきり、四方八方お昼寝猫の夏景色。いつもなら「何か食い物をくれ!」と、催促の嵐のところを夏の空気が黙らせた模様。・・・「暑い」なう。

体の中の不快指数、寝起きの熱さは「イヤだ」なうと、「ウォータリング、ウォータリング」と裸足でベランダに出てみると「アッチッチッ」と、まるで鉄板の上か“赤いトタン屋根の上の猫”の態(てい)。
眺める眼下、通りを行き過ぎる人たちは暑く気だるい日曜日の倦怠の夏模様を伝えていた。
ポカリスウェットにアイスコーヒー、冷えた無糖ソーダにアイスクリーム、熱冷ましは切りがない。
一番年下の一歳猫は鼻が普段より一段とピンクに染まり、真っ赤っか。扇風機を当ててやった。

そして、夕方6時前には雷まじりの夕立に直撃され、シャワー&サンダーの「夏」だなう。
それでも人間は性懲りのない生き物で、夜の地域猫活動の時間になれば、外気は少しはクールダウンしてくれるだろうと淡い期待を抱き、しかし「裏切られて」なう。
微風ひとつ吹かず、こうして猫の郵便の「地域猫活動の夏本番」がはじまったのです。
地域猫活動の「夏一番が来た」、今年は印象に残る覚えやすい日、七夕から始まった熱風はどこまでたなびいて伸びてゆくのか? 良いことがありますように!


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.06

今年の夏は何十日戦争になるのかな?

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。   気温34℃

7m7d.jpg

地域猫活動を本格的にはじめた時から、毎年、「あー、夏だ!」と身をもって体感するその時がある。
その瞬間から「地域猫活動の夏」がはじまる。「今年は何十日戦争になるんだろう?」と、忍耐の行く末を自転車の上で例年想像してみるのだ。
夏が中盤にさしかかる頃になると、夏がもたらす特有な疲労がたまりにたまって「後少し、後30日? いや、後20日がんばれば、きっと峠を越えてくれる!」などと、当てにならない“願望”や“妄想”を抱き自分をふるいたたせるバロメータにしている。
「後少し、後少し、あの角を曲がりさえすれば・・・」とか、来れば来るで困り者の“しかし”秋の予告を確実に告げてくれる台風の接近を待望してみたりと、とにかく「夏の地域猫活動」はヘビーを極めるのです。

心にバロメータを作り“ゴールライン”を描くのは、それは間違いなく私が弱い人間の一人にほかならないからです。
ほら、アメリカの古い映画にもあるでしょう、9月になれば・・・
日本の古い歌にも季節はちがうけれど「♪ もういくつ寝るとお正月 ♪」と。望みを設定して希望を繋ぎ暮らしてゆくやり方は、古今東西見事に共通している。人間の心理とは、そういうもの。
何故ならば、人は終点(=目的)のない旅を歩き続けられるほど強い生き物ではないし、たとえ淡い幻であったとしても小さな希望を胸に灯せば「それ」を心の糧に歩み続けることができる。

日本の夏は暑い。陽ざしギラギラ灼熱の太陽のせいばかりではなく、日本の夏にはじっとりとまとわりつくベタベタとした空気が絡まりついている。そして、地域猫活動は傍から見るほど楽なものではなく、来る日も来る日も活動は休みなく続いてゆく。
場所によっては携帯蚊取り線香を持参しなければ「とてもとても」という所もあるし、持ち運ぶ水の量も普段の季節とはテンデちがう。活動量の分、洗濯物も増え、休みたくても休めない大わらわの季節。「うーぅ、夏!」って感じ。

きのう7月5日。「その時が来たのかな?」と、部屋で活動準備をしていた時ふと頭をよぎったが、外に出てみると、三田を抜け、大門を抜け、浜に近づくほどに心地良く風が吹き渡り、むしろ“気持ち良すぎる地域猫活動”に終わり、「その時」の到来は杞憂に終わった。

後いくつ寝ると、私たちにとっての「夏の地域猫活動」が来るのかな? 今年の夏は何十日戦争になるのか?


143夏t5t5d44rrr

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.05

人の急死

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

4407M5d_20130705215546.jpg

2011年3月11日の東日本大震災以降、東日本ではある日突然に前触れもなく人が“急死”するケースが多くなっているような気がする。
時に人は本当にあっけなく死んでしまう存在だ。
テレビは全く見ないけれど、オンライン・ニュースは毎日チェックしている。その印象である。
そして、やはり「自分がある日突然に死んでしまったら・・・」と、残される猫たちや共に地域猫活動をしている二人の友だちのことが心配になる。対策を更新して置かなければと、時折、真剣な真顔になる。

勿論そんなことにはなって欲しくはないが、鉄腕ウンガさんもリアム君も引き続いてがんばってくれるとは思う。が、しかし好意に甘えてばかりはいられない。
叶うのならば、全てをやり遂げてから後悔を残さず人生を終えたいものだが、こればっかりはどうにもならない。
お互いに「自分が死んだらどうするか?」、責任のある立場にいる人ならリアルに直面している切実な問題だ。
棚上げ、先送りせずに、話し合い確認し合っていた方が良さそうだ。

急死、突然の死。すなわち、誰にでも起こりうること。
自分が天に召される「死のXデイ」、これも誰にも分かりはしない、天の謎々。
どんなに健康管理に注意していても、内から外から「それは」突然の嵐のようにやってくる。
自分が死んだ後に、遺された者(猫たちも含む)たちに二次的な悲劇が起こらないように、ひたすら願って行動している。

地域猫活動は、入口はワイドに広く、だが継続はむずかしく、どうフィニッシュするかは更にもっとむずかしい。
「終わり良ければ総てよし」と言い伝えがあるけれど、より良い終わりを日々模索する旅である。


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.04

環境省パブコメ募集サイトのだるさ

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

環境省パブコメ募集サイトを見ました。文字を読み進むにつれ、まだるっこしい言葉の羅列が列を作り、あくびが出るような、眠くなるような、気が倦んでいくような「退屈」を感じました。
見たその瞬間に“「さよなら」されているような”イヤな感じ、分かります???
ほら、保険の契約書の下の方に細かい字で、さほど重要ではないかのように装われ「絶対読むな」という風に配列されている、あんな印象。

ちんぷんかんぷんと言うよりは、こんなものに答えてどうするの? どう答えても追認のハンコを押す行為になってしまうものならば、これはお役人の「言葉遊び」に無理やり付き合わされ、もてあそばれている感が否めません。
あーっ、時間の浪費、二時間半。
言葉多く、中身なし。ドラスティックな改革というよりは、言い回しや文字の色調を変えたに過ぎないように感じました。

動物とのスキンシップに乏しく、傷つき死にかけている犬猫を涙で抱きしめた体験もなく、犬猫の保護活動の経験もなく、その他の社会貢献活動歴もなく、デスクに張り付いて言葉いじりをしていたら、身体感覚のない“あんな文言”がずらずらタラタラと無感動に陳列されちゃった。そんな風、そんな具合。
そこにあったのは、物事をこと更にもったいぶり、持って回った言い回しをするエリート官僚の真骨頂「上から目線」の温度のない修辞句で埋め尽くされる・・・殺伐とした景色の果てしなさでした。

永田町文学、おそらく世界で一番面白味がなく、退屈な読み物。
結局、お役人は民を手玉にとるダマシのプロであっても、動物のプロ/スペシャリストではなく、動物を知らない人たちの手で動物の法律が作られている「可笑しさ」と「限界」を感じました。
アレレあらあら「なんでそうなるの?」と幾度となく思いましたが、気づいてみれば、愛護行政/法は動物のためにあるのではなく、人と人の関係の「事なかれ」を調整するシステムなのね、と思った二時間半と余韻アワー!

しかしさ。「活動の盛り上げ」を「取組の推進」に赤い字で修正したところで、それが一体何なのさ?
環境省文書の「動物の愛護」の定義では、はじめに「動物の命の尊厳を守る・・・」とし、そして「生きとし生けるものを大切にする心を踏まえ、動物の命に対して感謝及び畏敬の念を抱くとともに・・・」と耳触りのよい美辞麗句を並べたて、だけど抜け目なく素早く「動物の利用又は殺処分を疎(うと)んずるのではなく、自然の摂理や 社会の条理として直視し、厳粛に受け止めることが現実には必要である」と、制度としての“殺処分”という文言をしっかり自然の一部のようにねじ込み、次に論理をもう一度リバウンドさせ「命あるものである動物に対してやさしい眼差しを向けることができるような態度なくして・・・」と美辞麗句に舞い戻し(批判の矛先をかわすがごとく)まとめ上げています。

これを玉虫色と言うのです。グルーッと回りに回って元に戻る。結局、何も変わらなかった。元の木阿弥、元のままってことですね。
「・・・白黒つけずに曖昧なままにしておくことに関係者が同意しただけなんだけど、こんな解決策もあるということ」って誰の発言でしたっけ。フクシマの集会に出席して同席者を「左翼のクソども」呼ばわりした人。復興庁の官僚でしたよね。
省は違えど、環境省パブコメ募集サイトを見ていても、同じにおいがしました。

アリバイ作りのパブコメ募集。役人は何をやらせても一等最初に自分たちを守るフェンス作りをする。「言葉多くして中身なし」とは、そういうことです。現状を変える気概がない、殺処分を止める気がない。現状は保留の繰り越しになる。
殺処分に替わる方策には予算が必要だ、だからパブコメを出して予算をつけるようにしてくれって言ったって、ウソつけこの野郎なのですね。
あれでしたね。TPPをめぐり北海道の農協が自民党の推薦を取りやめにしたら、地元議員が慌てて農水大臣に泣きついて、農水省が北海道の農家に100億円の助成金をひねり出したんですよね。やる気になれば“カネ”はあるじゃん。

大枠を変えないで、小手先のディテールばかり手書きでいくら手直ししたって、そんなのごまかし。
小手先のごまかしではなく。殺処分をやめるのか、やめないのか? 実験動物の3Rを採用するのか、しないのか?
猫の郵便のパブコメの方針は、この白黒の選択を迫って作りたいと考えています。

環境省に電話したら、どこかのブログのコピー&ペースト意見ではなく、個々の忌憚ない自由な意見を募集しているということでしたので、遠慮なくそうさせて頂くことにしました。
 

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.03

迷い

Category: 未分類
猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

「環境省パブコメ募集にチンプンカンプン」を書くか、「女の脳 男の脳」の書くか、迷っているところ。
環境省のパブコメ募集サイトを見ているうちに時間が取られてしまった。言葉多く、中身なし、ああ、時間がもったいなかった。
犬猫の保護活動の経験もなく、動物との接触も希薄な体験しかなく、その他の社会貢献活動の経験もなく、デスクに張り付いて言葉いじりしていたら、身体感覚のないあんな文言が羅列されるわけだわな。
そこにあるのはエリート官僚としての上から目線だけだった。

官僚は民を手玉にとるダマシのプロであっても、動物のプロではなく、動物を知らない人たちの手で動物の法律が作られている。あらあらあれれ摩訶不思議と思ったが、愛護法は動物のためにあるのではなく、人と人の関係の事なかれを調整するシステムなのね、と思った二時間半! 激怒!



おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.02

猫ボラの男女比率

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

捨てられたりや損傷を受けた猫を助けるボランティア、通称「猫ボラ」。猫ボラに従事する男女の比率を円グラフに描けば、円のほぼ全部が一色で埋め尽くされるだろう。一色とは女性の色。
男性の割合は円の中心から外側に向かって太字ペンで一本ザッと線を引けばそれで十分。それくらい、この猫ボラの世界の男女比率には著しい偏(かたよ)りがある。
日本ブログ村の猫ボラ・ランキングを見ても、ほとんどが女性ブロガー/女性ライターで占められている。

猫ボラをカテゴリー分けすると、里親探し、TNR活動、地域猫活動、緊急出動グループなどに分類されるが、末端の細々しい作業になればなるほど女性たちの活躍に支えられている。それが実態と現実。
たまたま「猫の郵便」の男女比は2対1で男性が勝り、なぜか私たちの活動の周りには世間の現状とは裏腹に人猫共生会議のUさんや地域猫Pの投薬を手伝ってもらっているAさんやM家のTさんやマルコ・ブルーノさんなど、男性が目立っているが、これはきっと例外中の例外。
この世界を構成しているのは圧倒的に女性たちである。

しかし、「まち猫」問題を解決しようと一歩外に飛び出し、社会の階段を上へ上へステップを踏んでゆけば行くほど、だんだん“男”が顔を出して来る“仕組み”に世の中はなっている。そこにお金が絡み、既得権益(役所・政治)が絡み出す場所になって来ると、男性たちが登場してくるってわけだ。
裁量と決定権は旧来のステレオタイプな男たちによるスクエアな価値観でね。
町のえらい人、会社のえらい人、獣医、町の役人、都の役人、警察署、弁護士、司法、省庁官僚、政治家・・・
昨今、女性の社会進出が叫ばれてはいるが、地方議員/国会議員の女性の占める割合を見れば、諸外国に比べれば「まだまだ」の感がある。
ボランティア経験のない役職につく人(男性)を説得して行かないと、ボランティアの話が通ってゆかない。
この奇妙キテレツ、摩訶不思議、珍妙な構図。
この絡繰りが、この国のさまざまな停滞を引き起こしているような気がするのだが、どうだろうか?

底辺のボランティア活動に男性がもっと参加する形が増え、そして社会の各カテゴリー/重要カテゴリー&ポストにもMore&More女性が登用されるようになっていかなければ、「動物愛護法改正なんて、しょせん女子供が騒いでだけのたわ言さ!」チャンチャンと一笑に付されて来た現実がなかなか変わっていかない、そう思う今日この頃。
上に男社会、下に女子供。この偏りがドラスティックな変化を遂げて行かないと、四角四面の価値観がはびこるだけで、通るものまで通って行かない。
だから、「犬猫問題」は、内実、「封建制社会からの脱皮」という大きな課題もはらんでいるのです。

今のところ、ニッポンの男たちは、上から下までオカマに至るまで、「封建制」の簡便さの中でアンノンと暮らし、社会や社会貢献など金にも得にもならないことには全々からっきし興味を示さず、・・・釣り・競馬・パチンコ・AKB48・風俗・ゴルフ・スマホ・・・社畜にヘアダイにヲタク業にいそしんでいる。
こんなに社会性に乏しく暮らしていられる国民は、世界に例を見ない。


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

2013
07.01

7月1日の破片

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。

7月1日。新しい月になった。そしてダブルキャリアの“バラタマタン”が未だ無事でいてくれることに胸をなで下ろしている。その姿は良かったり、良くなかったり、季節の変わり目は毎度の一山越え、心配している。
地域猫活動で外に出ることがなければ、もっとそばにいてやれるのだが。
外猫と内猫に両腕を大きく広げて一つの輪、一つの生命体。一頭だけを溺愛して、他を見捨てるわけにはいかない。
約70頭で一つの輪として息づき、回っている。
これは「地域猫活動の宿命」、生と死が混然一体となり、同一平面上で同時進行している。仕方がない。
詮無いこととして、許してもらうしか他にない。
また今月も一緒にサイドバイサイドでがんばって行こう。

7月1日。月の始まりにしてはそのビジョンに晴れ晴れとしたイメージはなく、帰り道に見上げた空も曇りかげんだった。気持ちがふさぐので、帰宅してから家の中の仕事の“友”にと、思い立ってYouTubeでアメリカンアイドルのCandice Gloverのパフォーマンスを観て、しばし放心。
Somewhere」「I Who Have Nothing」「Lovesong」を聴き、説き伏せられた。
アメリカと日本では“アイドル”の意味も中身もこれほどまでに違う。人の前に立つ人には容赦なくプロフェッショナル性が要求される。技術(歌のうまさ)の確かさばかりではなく、パフォーマンス力、曲の解釈力、コンセプト性、生い立ち、人間的な魅力。
スタッフ、ジャッジ、オーディエンスが一体となり、“プロ”を育てようとしている、そう感じた。
個別の政治社会状況はともかくも、欧米の大衆社会はまだ健全だと思った。
何事もなれ合いとおちゃらけとお茶濁しで済ましてしまう、どのカテゴリーにもほとんどプロらしき人がいないどこかの国と比べたら、「理と筋」が通ることに、うらやましい限り。垂涎だだ漏れ・・・
同時にがっくりと肩を落とした。

7月1日。マルコ・ブルーノさんからメールが届いていた。忙しく動き回っていること。6月に二頭の犬を失くしたこと。死にかけている老いた猫を見て見ぬふりをして通り過ぎてゆく“クールジャパン”などについて書かれてあった。
これも傍観者や目をそむける人には分からない実感。だから、内容については詳しくは書かない。
少数の人に重い荷物&十字架を背負わせ、大多数の人が素通りしてゆく、そして振り返るその顔たちには何か奇異なものでも見たかのような「様」が書き込んである。
・・・セラヴィの心境です。ね、マルコさん。

ぶっちゃけ、マルコ・ブルーノさんが、何故素敵な人かと言うと、それは彼が人を値踏みしない人間だからです。


おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

back-to-top