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2013
07.08

愛という名の守り篭

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。  高温多湿35℃&夕立

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【風の中のキャンドル】冒頭の写真は「増上寺の七夕まつり」を連続撮影した中の一枚です。増上寺境内にコスミックに並べられた数えきれない灯篭は空に浮かぶ“天の川”を思わせます。さすがに日本で屈指のお寺が行う、お寺ならではの七夕まつり。
「灯篭」と書いて「灯(あかり)篭(かご)」。「あかりかご」が形作る“天の川”の連なりの一つ一つの灯りが温かく柔らかく、何故かふと「たましい」という言葉を思い浮かべてしまいます。遠く近く魂が一つ二つ三つと連なって、天かける銀河の渦巻きになる。天上の川になる。
人であれ、路傍の樹木であれ、名もない野の草花であれ、犬であれ、猫であれ、ライオンであれ、キリンであれ、実験動物であれ、何であれ。魂となって舞い上がり、夏の夜空かけるシュプールになる。

地上の今を生きる魂。天上に去って行った魂。見送った魂たち。
今を生きる魂が天蓋の魂を拾い集め地上の図に移しかえ、生とは何かを問いかける、天の川のほとりで・・・

「いのち」は「あかりかご」。魂を乗せて運ぶ舟。魂のゆりかごに揺られて、そんな七夕幻想、天上の川に流れ・・・

こんなに暑くなったのに我が家の猫のポポフやアテニャンは未だに抱っこして眠りにつき、鉄腕ウンガさんの家の虐待を受け収容された蘭さんもウチと似たようで頼り切って暮らしているそうです。
気持ちに揺らぎを持つ弱い子ほど、愛という名の“守り篭(かご)”が必要なのでしょうか。
今までブログ上で外暮しの猫たちを言い表す時に、私はよく「屋根のない子」とか「身を守る屋根を持たずに生きている子」などと表現してきました。確かな愛がなく、不確実な食べ物頼りで生きるしかなかった猫たちに出会うと、決まって彼らは毛並は汚れるだけ汚れ、目つき形相はすさみにすさみ切り、・・・しかし活動を重ね・・・足しげく通っているうちに顔見知りになると、だんだんと毛並の汚れは取れ、顔立ちも柔らかくなり、綺麗になってゆくから不思議です。

やはり、どんな命にも魂があり、魂は風に揺れるキャンドルのように儚く壊れやすく、愛という名の守り篭がなくしては“魂”は痩せて消えてゆくものなのでしょうか。

外猫時代のアテニャン君は、背中をなでても櫛けずっても木馬のように硬直し、表情は寡黙に無表情でそれを崩すことはありませんでした。同じく外猫時代のジゼルニコとミケランとコスモ君(去年、天国へ)は「もう行っちゃうの? どこに行くの?」とすがるように追いかけて来ました。みんなみんな、外で生きる子たちは少なからず大きな屈折感を胸に宿し、風に揺らめくキャンドルのように生きています。
誰かがちょっとした“守り篭”で守って上げないと、簡単に吹き消されてしまうのが命というものなのかもしれません。

この青い青い小さな星が太陽風という暴威から守られているのは、「磁場」という“守り篭”があるから。
私たち人間は、その“守り篭”という「ゆりかご」に守られ生きているのです。


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