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2013
07.09

君をはじめて見た時

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。  高温多湿35℃

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口を開けたとたんに言葉を失う「やり切れなさ」が空気のように漂う時代。新聞、テレビ、政治、社会、どこを見ても眺めの良い窓など見当たらず、蒸し暑く寝苦しい夏の夜を過ごすあなたに。
ロバータ・フラックの「The First Time Ever I Saw Your Face」を届けます。
増上寺の七夕まつりの、数え切れない灯篭が形作る天上の川の流れを見ていたら、どこからともなく“この曲”が胸の内奥にしみ込んできたのです。
この時代の音楽は、みな素手で作られていたため、音とメロディと詞のすき間から、聴く者の想像力をかき立てるような色んな音が譜面を超えて聴こえてきます。

ある者にはドアのきしむ音。ある者には夜更けのほのかなコーヒーのにおい。ある者には行きすぎる雲の流れにカーテンがひるがえる様(さま)。ある者には階上の床に猫が一匹「トン」と小さな音を立てて降り立った音。
それらが遠い木霊のように重なり合って聴こえてくる。
アナログ時代のかつての音には、聴き手の内面を浮かび上がらせる力があった。形にできずにもがいている幻や憧憬を引き出す力があった。
それは、かつてアナログ時代の演奏家たちは血を流して技術を習得していた過程があった為に、音に自然と魂を乗せることができていたのです。しかし、今の時代はコンピュータで音程でも効果でも修正でも何でも制御できるようになったので、血のにじむような練習をしなくても、上手くならなくても、「はい一丁上がり」で作品はどんどん簡易に仕上げられるようになってしまって・・・
こうして、音楽はパワーを失っていった。創造の翼をもがれて行ったのです。
もう、二度とこの曲「The First Time Ever I Saw Your Face」が醸し出している音空間がこの地上に生まれることはないでしょう。永遠に。

「君をはじめて見た時」、その顔、時刻、光の具合、風のかげん、道の様子、町の様子。何もかもをいつでも鮮やかに胸に呼び戻すことができます。あの日、あの時・・・
テクノロジーが発達し、アナログがデジタルに何でもかんでも置き換えられて行っても、生き物をめぐる活動にデジタル化はありえず。
作業もモチベーションも感情も考え方も記憶も・・・プリミティブなまま。
ロバータが歌うように「はじめて会った時の輝きが永遠を思わせ」・・・しかし歌は言外に「この世には永遠がない」ことを黙示し、出会いと別れを宿命づけられたこの活動の「光と影の切なさ」を言い当てている、そんな気持ちに包まれ・・・言葉にできない無上の美しさを感じたのです。

誰の目にも留まらないこの活動。穴の開いたバケツで水を運搬するようなこの活動。落ち込むこともあります。徒労だと思うこともあります。壁にぶち当たることもあります。迷うことあります。
でも、はじめて出合った時のそれぞれの瞳/顔を思い起こせば、また歩を前にさし出せるのです。
ふりだしのモチベーションを維持する、できるようで出来ない。

君をはじめて見た時、そのイメージが活動の疲れを洗い落してくれ、背中をそよ吹き、送り風で押してくれているような気がします。死んで行った猫たち、今生きている猫たち。君をはじめて見た時。


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