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2014
04.23

「僕」が犬猫の殺処分に反対する理由

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僕が犬猫の殺処分に反対する理由】4月21日の当ブログ記事。冒頭にYouTubeからDavid Bowieの「Where are we now?」をUPした。
デービッド・ボウイの「Where are we now?」の歌詞の流れにイメージを借りるとするならば、犬猫である「僕」は「奈良保健所駅発の列車に乗るところだった・・・」と始まってゆく。


列車の車窓に次々と流れ消えてゆく景色。「僕」はそこで死に導かれ列をなし行進してゆく犬猫の哀れな群れを見る。
強制捕獲器のトラップにかかり「奈良保健所」駅経由で、何で自分が死んだのか、わけも分からず、首を垂れて橋を渡ってゆく沢山の猫たち。
「09‘茨城県定時定点収集制度」駅から列車に乗せられた雑種犬のベル君は、朝にいつもと同じように一緒に暮らしていた飼い主と散歩に出かけたはずなのに、それが突然みょうちくりんな箱に入れられ倒れちゃって、自分が死んでいるのも虚ろに飼い主を捜し彷徨している。

「Where are we now?」、列車の車窓に浮かんでは消えてゆく。日本の犬猫たちの「殺処分」駅から送り出される長い長い「死の列」が途切れることなく果てしなく続いている。

札幌市で間違って殺された飼い猫の○○君は・・・。愛媛でペット業者に大量遺棄されボロ屑のように処理された犬たちは・・・。

少なくなったと言われているけど・・・。2013年に東京で収容施設から「死出の旅立ち」をさせられた猫たちの数は2000匹に昇るという。2000匹の猫たちの死の行進、長い長い悲惨の列だ。
2012年にサーチすれば、全国の動物収容施設で「亡き者」にされた猫の数は21万匹。気が遠くなるような悲嘆の長蛇の列に絶句し自分の無力を思う。

21万の猫それぞれが物語を持っていた。その一つ一つの物語が二酸化炭素の「死のガス室」で一瞬にして灰と消された。病気でもないのに一瞬のうちに。
21万の死の背後にある人間の社会は一体何なのだろうか。

当ブログ4月22日の記事「安楽と殺」で、アエラの太田記者のレポートをコピーして「殺処分の様子」を載せたが、冷静にかみ砕くにはあまりにもむご過ぎる実際の内容だった。

奈良保健所は「言い訳文書」の中で「安楽殺」と書き記しているが、どう見立てても犬猫の殺処分の実態と中身は「強制による殺し」、つまり「強制殺」なのである。
動物行政のだらしなさを犬猫に責任を取らせる解決法、一瞬にして抹殺する短絡法に身の毛がよだつ。日本にまだ二酸化炭素による「死のガス室」法が導入されていなかった頃は、犬猫一匹一匹撲殺していたというから、これはもう。

町で一市民が犬猫を殺したら「虐待」。公的施設に収容された犬猫を殺すのは合法。これって何か変だと思いませんか?
保健所やセンターと呼ばれる施設に犬猫が持ち込まれる時点で、その犬猫たちは不幸を囲っているわけで、不幸を囲っている犬猫に更なる決定的な暴力を加えるシステムとしての公共って。
更なる暴力とは、すなわち「強制殺」。こんな現実が平然とまかり通っている。

列車の窓に映る犬猫たちの哀しい行進、「僕」は弱い人間だからとてもこんな悲惨な現実を目の当たりに出来ない。だから、そうならないように地域猫活動をやっているし、弱っている猫や赤ちゃん猫は室内に入れる活動をしている。そして公による犬猫の殺処分制度に強いアレルギーを感じている

仕事とは言え、犬猫の殺処分現場に関わっている人たちの心の内がどうしても理解出来ないのだ。
奈良保健所は「強制捕獲器による引取を違法ではない」としているが、ナチス・ドイツの政権下でもユダヤ人やロマの「強制殺」は法の下に違法ではなかった。ユダヤ人は「ユダヤ人法」という法の下で合法的に殺され続けた。
強制による「大量死」、市民生活を束ねる「公」の、法以前の倫理を問いたい。

Where are we now?


 奈良保健所は引取る際に、持ち込む人間に二週間後には「殺すことになりますよ」と告げていたのだろうか? そして、持ち込んだ人間はそれに同意してやっていたのだろうか? その関係が知りたい。
その関係を明らかにしなければ、行政は単なる殺し屋稼業。


99リス

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