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【何が本物で 誰が本物か 分かれば道が定まる】「Mull Of Kintyre」 スコットランドにあるモロキンタイアという霧の岬に思いを馳せた歌。
大意を凝縮すると、「海からの霧に彩色されるモロキンタイアの岬 遠く山々を仰ぐ地や緑なす渓谷を旅し、そして古い絵の具で描かれたような砂漠に落ちる夕日を見ても募るのはモロキンタイア 陽の光の中に笑い雨に中に泣いたこと、数々の名残り・・・記憶の欠片が・・・胸の中で高鳴りどんどん大きな炎となって、何もかも一切合財が集い来て僕をモロキンタイアの岬に誘い止まない」
アニマルライツ(動物の権利)活動に熱心であり、ベジタリアン一家でもあるマッカートニー家。ポール・マッカートニーの声が聴こえると絶対の安心感が部屋に流れる。裏切りがなく、偏見がなく、肩ひじ張ったところがなく、奇をてらうことがなく、凹面鏡型の感受性で世界を映しとっている人。稀で、なおかつ不思議な人、希少生物だ。
こういう感じ方で世界を眺めていれば、戦争が起きることはないし、動物虐待が起きることもないし、イジメもない。それはジョン・レノンに相通じ共通している。
食べ物、生き方、社会を見聞きする物差し、身体感覚に誤差が少ない音楽に包まれているほど気持ちがいいものはない。
自分はビートルズにもハード・ロックにもプログレシップ・ロックにも乗り遅れた世代だけれど、古い倉庫の書棚から埃にまみれて落ちて来た音楽であっても、50年(ビートルズの歴史)の星霜を超え、今なおヴィヴィッドな新しさが全く失われていないのには驚かされる。大概多くは、時間というすっぱい酸に腐るか溶けて跡形もなく無くなっちゃうものだけれど、何十年も前に作られた音楽が時空を無限大に超えるのは、それは彼らが作り物ではなく嘘偽りなく生きていたからだろう。生きて、ありのままの姿をストッパーをかけず自由に音楽表現に映しとっていた。
自由な生き方、自由な感性のはばたき。それがポール・マッカートニーにとってはベジタリアン・ライフの選択だったり、「動物の権利」への好意だったりしたのだろう。ネット検索していたら、動物実験の問題で中国公演をキャンセルしたエピソードが載っていた。
本物か。偽物か。腐るか。生き延びるか。誰もが問われている。自分も問われている。多くの人は初めのモチベーションをいつしか忘れ、本末転倒し自己キッス活動になりがちになる。それが麻薬。気をつけなければ。
キーボードの上の熱さましの大判保冷剤が溶けたのでこれくらいにしよう。栃木県動物愛護施設パワハラ事件にこだわり、思わぬ手首の大負傷アクシデントを「The long and winding road」で乗り切った。
山崎さん、Your long and winding road will never disappear.
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【何が本物で 誰が本物か 分かれば道が定まる】「Mull Of Kintyre」 スコットランドにあるモロキンタイアという霧の岬に思いを馳せた歌。
大意を凝縮すると、「海からの霧に彩色されるモロキンタイアの岬 遠く山々を仰ぐ地や緑なす渓谷を旅し、そして古い絵の具で描かれたような砂漠に落ちる夕日を見ても募るのはモロキンタイア 陽の光の中に笑い雨に中に泣いたこと、数々の名残り・・・記憶の欠片が・・・胸の中で高鳴りどんどん大きな炎となって、何もかも一切合財が集い来て僕をモロキンタイアの岬に誘い止まない」
アニマルライツ(動物の権利)活動に熱心であり、ベジタリアン一家でもあるマッカートニー家。ポール・マッカートニーの声が聴こえると絶対の安心感が部屋に流れる。裏切りがなく、偏見がなく、肩ひじ張ったところがなく、奇をてらうことがなく、凹面鏡型の感受性で世界を映しとっている人。稀で、なおかつ不思議な人、希少生物だ。
こういう感じ方で世界を眺めていれば、戦争が起きることはないし、動物虐待が起きることもないし、イジメもない。それはジョン・レノンに相通じ共通している。
食べ物、生き方、社会を見聞きする物差し、身体感覚に誤差が少ない音楽に包まれているほど気持ちがいいものはない。
自分はビートルズにもハード・ロックにもプログレシップ・ロックにも乗り遅れた世代だけれど、古い倉庫の書棚から埃にまみれて落ちて来た音楽であっても、50年(ビートルズの歴史)の星霜を超え、今なおヴィヴィッドな新しさが全く失われていないのには驚かされる。大概多くは、時間というすっぱい酸に腐るか溶けて跡形もなく無くなっちゃうものだけれど、何十年も前に作られた音楽が時空を無限大に超えるのは、それは彼らが作り物ではなく嘘偽りなく生きていたからだろう。生きて、ありのままの姿をストッパーをかけず自由に音楽表現に映しとっていた。
自由な生き方、自由な感性のはばたき。それがポール・マッカートニーにとってはベジタリアン・ライフの選択だったり、「動物の権利」への好意だったりしたのだろう。ネット検索していたら、動物実験の問題で中国公演をキャンセルしたエピソードが載っていた。
本物か。偽物か。腐るか。生き延びるか。誰もが問われている。自分も問われている。多くの人は初めのモチベーションをいつしか忘れ、本末転倒し自己キッス活動になりがちになる。それが麻薬。気をつけなければ。

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寸前 秋田犬 ホープレス「どれくらい生きたの?楽しいことはあったの?」 OccupyForAnimals
【招き猫スタイルの生活】一つ動くたびに右手が痛い。時に激痛。手が広げられない。ひねれない。手首を回せない。返せない。仕方がないから患部に刺激を与えないように右手を宙に浮かせて生活している。姿はまるで招き猫の恰好。これ、後どれくらい続くのかな。
痛みが長く続くようだと、クセになりインプットされ、思わぬところで無意識に招き猫ポーズをとるようになったら恥ずかしいな。なーんて言うは冗談。
でも、考えようによっては悪くない。招き猫スタイルの人間。この国の動物ボランティアにとっては理不尽な出来事ばかり目にするので、「幸福」や「幸運」には飢え切っているから、今は招き猫スタイルで我慢しよう。
捨て猫をする不埒者がいなくなりますように。犬猫の殺処分制度が即刻廃止されますように(ロイターとOCCUPY FOR ANIMALSの記事を見て、殺処分の現実に生きた心地がしなかった)。
ブランド犬をファッション・グッズのように連れ歩く尻軽女・尻軽男の額にお天道様が「恥」と誰が見ても分かるように刻印されますように。
外猫活動を放棄した輩や多頭飼い崩壊の輩には「生涯に渡って、二度と動物に近づいてはいけない」というペナルティ法律が作られますように。
保健所やセンターに犬猫を持ち込んだ輩には公民権停止と自己破産相当の権利が没収されますように。
廣瀬勝海のような動物虐待人間には量刑に加えてマイクロチップを埋め込むか、耳先V字カットが義務付けられますように。
真面目に働く猫ボラ活動を凶暴な圧力で妨害する奴らにも基本的人権を犯す者として傷害罪などが適用される法体系になりますように。
パピーミルやペット産業、ペット産業と官僚(天下り ex.ジャパンケネルクラブ)や獣医師会や大型愛護団体との癒着(ズブズブの関係)に大ナタが振るわれ、黒船に乗って「国境なき監視団」がやって来ますように(外圧でしか変わらない国だから)。
そう、言わなければならないほどに、この国の動物を取り囲む環境は悲惨を極めている。中には人権論者にクレームをつけられるのもチラホラあるかもしれないけれど、痛みが高じてそう言っているのはなく、熱があってそう言っているのでもなく、かなり真顔でそう思っている。
日本全国各地の犬猫殺処分マシーンは一年中休みなく稼働しているというのに穏やかな気持ちではいられない。
「よくもまぁーみんな、こんな野蛮が、白昼堂々と、税金を使って行われていることに耐えていられるなぁー」と、熱に浮かされた狂人が時に真実の核心にふれることもある。
今、この国がやらなければいけないことは、憲法改正でもなく、集団的自衛権の憲法解釈変更でもなく、残業代ゼロ法案でもなく、戦争でもなく、犬猫の殺処分全面廃止法案の可決と成立と実施。これしかありえない。
環境省のフクシマの動物へのネグレクトという虐待、そして奈良保健所への身内かばいの無責任回答など、国が率先して法を破るなんて、なんとかならんのかねーこの国は。
冒頭ビジュアルの秋田犬は「OCCUPY FOR ANIMALS」から。写真説明には「死ぬのを待つだけ。窓ガラスを引っ掻く秋田パピー・・・ほどなくガス室に連れ去られた」と書いてあった。もう、この世にはいない。
何の為に誰の為に産まれて来たんですかね。パピーにして死の宣告はあまりにもむご過ぎる。
言いようのない感情に・・・絶句し・・・震えた。
これを凝視して心が揺さぶられる人が増えるのならば、この国は何とかなるだろう。でも、平気でいられる人が多いなら、この国には当面救いはないような気がする。
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寸前 秋田犬 ホープレス「どれくらい生きたの?楽しいことはあったの?」 OccupyForAnimals
【招き猫スタイルの生活】一つ動くたびに右手が痛い。時に激痛。手が広げられない。ひねれない。手首を回せない。返せない。仕方がないから患部に刺激を与えないように右手を宙に浮かせて生活している。姿はまるで招き猫の恰好。これ、後どれくらい続くのかな。
痛みが長く続くようだと、クセになりインプットされ、思わぬところで無意識に招き猫ポーズをとるようになったら恥ずかしいな。なーんて言うは冗談。
でも、考えようによっては悪くない。招き猫スタイルの人間。この国の動物ボランティアにとっては理不尽な出来事ばかり目にするので、「幸福」や「幸運」には飢え切っているから、今は招き猫スタイルで我慢しよう。
捨て猫をする不埒者がいなくなりますように。犬猫の殺処分制度が即刻廃止されますように(ロイターとOCCUPY FOR ANIMALSの記事を見て、殺処分の現実に生きた心地がしなかった)。
ブランド犬をファッション・グッズのように連れ歩く尻軽女・尻軽男の額にお天道様が「恥」と誰が見ても分かるように刻印されますように。
外猫活動を放棄した輩や多頭飼い崩壊の輩には「生涯に渡って、二度と動物に近づいてはいけない」というペナルティ法律が作られますように。
保健所やセンターに犬猫を持ち込んだ輩には公民権停止と自己破産相当の権利が没収されますように。
廣瀬勝海のような動物虐待人間には量刑に加えてマイクロチップを埋め込むか、耳先V字カットが義務付けられますように。
真面目に働く猫ボラ活動を凶暴な圧力で妨害する奴らにも基本的人権を犯す者として傷害罪などが適用される法体系になりますように。
パピーミルやペット産業、ペット産業と官僚(天下り ex.ジャパンケネルクラブ)や獣医師会や大型愛護団体との癒着(ズブズブの関係)に大ナタが振るわれ、黒船に乗って「国境なき監視団」がやって来ますように(外圧でしか変わらない国だから)。
そう、言わなければならないほどに、この国の動物を取り囲む環境は悲惨を極めている。中には人権論者にクレームをつけられるのもチラホラあるかもしれないけれど、痛みが高じてそう言っているのはなく、熱があってそう言っているのでもなく、かなり真顔でそう思っている。
日本全国各地の犬猫殺処分マシーンは一年中休みなく稼働しているというのに穏やかな気持ちではいられない。
「よくもまぁーみんな、こんな野蛮が、白昼堂々と、税金を使って行われていることに耐えていられるなぁー」と、熱に浮かされた狂人が時に真実の核心にふれることもある。
今、この国がやらなければいけないことは、憲法改正でもなく、集団的自衛権の憲法解釈変更でもなく、残業代ゼロ法案でもなく、戦争でもなく、犬猫の殺処分全面廃止法案の可決と成立と実施。これしかありえない。
環境省のフクシマの動物へのネグレクトという虐待、そして奈良保健所への身内かばいの無責任回答など、国が率先して法を破るなんて、なんとかならんのかねーこの国は。

何の為に誰の為に産まれて来たんですかね。パピーにして死の宣告はあまりにもむご過ぎる。
言いようのない感情に・・・絶句し・・・震えた。
これを凝視して心が揺さぶられる人が増えるのならば、この国は何とかなるだろう。でも、平気でいられる人が多いなら、この国には当面救いはないような気がする。
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ロイターに報じられた日本の犬猫殺処分 「死を待つだけ ヘルプレス」 Reuters.comより
「でも一番悪いのは、啓発もせず、指導もせず、(多頭飼い崩壊の張本人や処分を行政に持ち込む人たちに)二度と飼わないの念書もとらず、法律を守らせず、殺処分のリピーターを育てているだけの動物行政ではないでしょうか」
この「公益社団法人 日本動物福祉協会 栃木支部」のFacebook4月16日の記事が栃木県動物行政の出鱈目な現実を端的に表している。それは、怠慢と先送りで何もせずでも、後は殺処分でテキトーに処理していた動物行政のずさんさだった。動物愛護指導センターの名が泣く。
【だから犬猫殺処分制度は根絶しなければ】日本全国各地に「動物愛護センター」とか「動物愛護管理センター」とか「動物愛護指導センター」とか名称がついた公共施設が沢山ある。何も知らない一般人はきっと言葉通り単純に「動物愛護」の施設だと思うだろう。だが、事業内容の本丸に「犬猫の殺処分」システムを抱いていて、よく恥ずかしくもなく「動物愛護」などという看板を掲げられるものだと正直思う。これが官お得意の言葉マジック。こうしていつも民をあざむきだまして来た。厚顔無神経とはこのことを言うのだろう。
事業内容通り、「犬猫殺処分センター」としたら、果たして広く一般市民に受け入れられるかどうか、問うてみたい。
「どうせ殺すんだから」とまともな食事すら与えない「人でなし施設」のどこが動物愛護なのさ。へそが茶を沸かす。
一度も動物の悲しみにふれたことがないエリートや管理職が昇進の止まり木で通過運営する犬猫殺処分制度。殺処分の現場は下っ端の社会的弱者がやるのだから痛くも痒くもないだろう。
人ひとり自殺に追い込んでも何とも思わない厚顔で恥知らずな神経はどこから来るのか。「動物愛護」と自称しながら実際にやっていることは犬猫の殺処分という大矛盾は厚顔無恥な神経だけで全てぬぐい去れるものなのだろうか。それとも蛙の面に小便なのか。それとも何も考えていないのか。
犬猫の殺処分制度は動物に冷酷無慈悲な制度なだけではなく、人に対しても罪深いシステムだということを、今回パワハラが引き鉄になって「栃木県動物行政職員・山崎重寿さんが自死した事件」で心底思い知らされた。
犬猫の殺処分制度は実は「人間の差別制度(インドのカースト制度のような)」の上で成り立ちを見ていることを。
戦争と同じだ。貧しい家の子から危ない最前線に送り込まれる。
センター長だって、同席した総括だって、自分の娘・息子を殺処分の現場作業担当へは就職させたくはないだろう。殺した犬猫を炉に放り込む仕事などに。
山崎さんは天涯孤独の身の上だった。それが故に引き受けた仕事だったのだろう。仕事はするから、その中で「一匹でも救い出せる命があったら助け出したい」という気持ちで従事していたのは最後に遺した言葉からうかがい知ることが出来る。しかし、それすら叶わなくされた時、もう生きてゆく価値も気力も失くしてしまったのだと思った。
生きるために必要な荷物をほとんど持たなかった山崎さん。虐待され続けた犬のような生涯だった。だから、最後に飲んだビールがうまかったことをせめて祈りたい。
それでも中級地方公務員たちは何もなかったかのように口裏合わせをして生き延びてゆくのだろうか。犬猫を無下に殺し、人まで殺し、何食わぬ顔で生きて行く。やり切れなさがこみ上げて来る。
山崎さんを見送ろうと会葬会場に現れたボランティアの人たちの姿を見て取ると、急に火葬の時間を早めたという。「急きょ時間を早めて遺体を火葬することなどあるのですか」と東京の火葬場に電話で尋ねてみたら「常識ではありえません」という答えが即座に返って来た。すっきりしない空しさだけが心にポッカリ黒い雲を残した。
権力を持つ者に私たちはいつもされるがまま何も出来ない存在なのだろうか。
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ロイターに報じられた日本の犬猫殺処分 「死を待つだけ ヘルプレス」 Reuters.comより
「でも一番悪いのは、啓発もせず、指導もせず、(多頭飼い崩壊の張本人や処分を行政に持ち込む人たちに)二度と飼わないの念書もとらず、法律を守らせず、殺処分のリピーターを育てているだけの動物行政ではないでしょうか」
この「公益社団法人 日本動物福祉協会 栃木支部」のFacebook4月16日の記事が栃木県動物行政の出鱈目な現実を端的に表している。それは、怠慢と先送りで何もせずでも、後は殺処分でテキトーに処理していた動物行政のずさんさだった。動物愛護指導センターの名が泣く。
【だから犬猫殺処分制度は根絶しなければ】日本全国各地に「動物愛護センター」とか「動物愛護管理センター」とか「動物愛護指導センター」とか名称がついた公共施設が沢山ある。何も知らない一般人はきっと言葉通り単純に「動物愛護」の施設だと思うだろう。だが、事業内容の本丸に「犬猫の殺処分」システムを抱いていて、よく恥ずかしくもなく「動物愛護」などという看板を掲げられるものだと正直思う。これが官お得意の言葉マジック。こうしていつも民をあざむきだまして来た。厚顔無神経とはこのことを言うのだろう。
事業内容通り、「犬猫殺処分センター」としたら、果たして広く一般市民に受け入れられるかどうか、問うてみたい。
「どうせ殺すんだから」とまともな食事すら与えない「人でなし施設」のどこが動物愛護なのさ。へそが茶を沸かす。
一度も動物の悲しみにふれたことがないエリートや管理職が昇進の止まり木で通過運営する犬猫殺処分制度。殺処分の現場は下っ端の社会的弱者がやるのだから痛くも痒くもないだろう。
人ひとり自殺に追い込んでも何とも思わない厚顔で恥知らずな神経はどこから来るのか。「動物愛護」と自称しながら実際にやっていることは犬猫の殺処分という大矛盾は厚顔無恥な神経だけで全てぬぐい去れるものなのだろうか。それとも蛙の面に小便なのか。それとも何も考えていないのか。
犬猫の殺処分制度は動物に冷酷無慈悲な制度なだけではなく、人に対しても罪深いシステムだということを、今回パワハラが引き鉄になって「栃木県動物行政職員・山崎重寿さんが自死した事件」で心底思い知らされた。
犬猫の殺処分制度は実は「人間の差別制度(インドのカースト制度のような)」の上で成り立ちを見ていることを。
戦争と同じだ。貧しい家の子から危ない最前線に送り込まれる。
センター長だって、同席した総括だって、自分の娘・息子を殺処分の現場作業担当へは就職させたくはないだろう。殺した犬猫を炉に放り込む仕事などに。
山崎さんは天涯孤独の身の上だった。それが故に引き受けた仕事だったのだろう。仕事はするから、その中で「一匹でも救い出せる命があったら助け出したい」という気持ちで従事していたのは最後に遺した言葉からうかがい知ることが出来る。しかし、それすら叶わなくされた時、もう生きてゆく価値も気力も失くしてしまったのだと思った。
生きるために必要な荷物をほとんど持たなかった山崎さん。虐待され続けた犬のような生涯だった。だから、最後に飲んだビールがうまかったことをせめて祈りたい。
それでも中級地方公務員たちは何もなかったかのように口裏合わせをして生き延びてゆくのだろうか。犬猫を無下に殺し、人まで殺し、何食わぬ顔で生きて行く。やり切れなさがこみ上げて来る。
山崎さんを見送ろうと会葬会場に現れたボランティアの人たちの姿を見て取ると、急に火葬の時間を早めたという。「急きょ時間を早めて遺体を火葬することなどあるのですか」と東京の火葬場に電話で尋ねてみたら「常識ではありえません」という答えが即座に返って来た。すっきりしない空しさだけが心にポッカリ黒い雲を残した。
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殺処分寸前 OCCUPY FOR ANIMALSより
「中から変えようと思って頑張ってきた。中から変える必要があると思っていた。中に自分がいる意味があると思って頑張ってやってきた。でもダメだった・・・もうダメだ・・・」
4月17日に亡くなった栃木県動物行政職員・山崎重寿さんが遺した最後の言葉です。
彼の自死はパワハラを受けたその日の内に決行された。その日の内に決行したことが「真実の全て」を物語っている。
【だから犬猫殺処分制度は良くない】栃木県動物行政の職員だった山崎重寿さんの死を目の前にして、言葉が出て来ない。次の言葉が思い浮かばない。何をどう考えれば良いのか。何をどう書けば良いのか。心定まることなくPCの前に座っている。
「栃木県動物愛護施設の職員がパワハラで殺される」の件名のメールを受け取った時から、この精神状態が切れ目なくずうーっと続いている。
枠の中で一頭でも多くの命に「命の明り」を灯してやろうと真面目一すじに働いて来た一人の男の非業の死に、手向ける言葉が何も見つからない。
公務員の不祥事や体たらくなど世の中では今更珍しくもなく慣れ切っていて織り込み済みのことだから予想はつく。欺瞞、怠慢、隠ぺい、強腕なねじ伏せ、次にめくるページに何が書かれてあっても特段の驚きはなかった。冷めきっていた。しかし、何かを隠そうとし遮蔽する安普請の目隠し衝立のすき間から零れ落ちて来る光があった。寂しさをたたえた例えようのない悲しい色の光。栃木県動物行政職員だった山崎重寿さんが放つ悲しみに満ちた光の色だった。
そして、それは「長く曲がりくねった道」を歩んで来た男の痛ましい人生の終着の後ろ姿だった。長く曲がりくねった道の終点。
小さな頃から家族的な幸せに縁遠く、親から弾かれ、預けられた親戚から弾かれ、いたぶられて育った山崎さんは、結局その最期もいたぶられ弾かれて終わりを告げた。
泣いて済むことなら人は死なない。感情を高ぶらせて着地する大地があるなら人は死なない。足を降ろす大地を根こそぎ奪われ、帰路に着く山崎さんの足には感覚と言えるものはもうなかったのだろう。犬の花子に会う手立ては完全に閉ざされ、存在の全てを蔑まれ完全否定され、天涯孤独の男を引き留めるものはこの世に何一つなくなってしまった。そう思える。
どうして、県行政管理職の面々は寄ってたかって山崎さんをいたぶったのか。答えは直ぐに分かった。簡単だった。それは山崎さんが社会的弱者の身の上だからです。抵抗が少ない者に加虐的な心理になりエスカレートするのは人間が持つ浅ましい性(さが)。
来る日も来る日も針のむしろに座らされ、四方八方行く手を阻まれ、山崎さんの心の中にはもう天国への階段しか残されていなかった。ついに耐えに耐えていた糸がプツンと切れてしまったのだろう。
学歴がない者、貧しい出の者、昇進のチャンスがない雇用枠で採用された者への事あるごとのバッシング。これを差別意識のなせる業(わざ)と言わずどういう言い訳が成り立つのか。ふと、直感で感じるのは、動物行政を司っているシステム・エネルギーは差別を動力にして動いているのではないかということです。
社会的弱者をダーティな仕事枠で採用し、組み敷き、社会的弱者に汚い仕事をさせて成り立たせているのが、実は「犬猫の殺処分制度」のおぞましい正体なのではないかと、栃木県の動物行政を調べ進むたびに「一人の男の死」は雄弁に「事の本質」を語りかけて来る。(つづく)
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殺処分寸前 OCCUPY FOR ANIMALSより
「中から変えようと思って頑張ってきた。中から変える必要があると思っていた。中に自分がいる意味があると思って頑張ってやってきた。でもダメだった・・・もうダメだ・・・」
4月17日に亡くなった栃木県動物行政職員・山崎重寿さんが遺した最後の言葉です。
彼の自死はパワハラを受けたその日の内に決行された。その日の内に決行したことが「真実の全て」を物語っている。
【だから犬猫殺処分制度は良くない】栃木県動物行政の職員だった山崎重寿さんの死を目の前にして、言葉が出て来ない。次の言葉が思い浮かばない。何をどう考えれば良いのか。何をどう書けば良いのか。心定まることなくPCの前に座っている。
「栃木県動物愛護施設の職員がパワハラで殺される」の件名のメールを受け取った時から、この精神状態が切れ目なくずうーっと続いている。
枠の中で一頭でも多くの命に「命の明り」を灯してやろうと真面目一すじに働いて来た一人の男の非業の死に、手向ける言葉が何も見つからない。
公務員の不祥事や体たらくなど世の中では今更珍しくもなく慣れ切っていて織り込み済みのことだから予想はつく。欺瞞、怠慢、隠ぺい、強腕なねじ伏せ、次にめくるページに何が書かれてあっても特段の驚きはなかった。冷めきっていた。しかし、何かを隠そうとし遮蔽する安普請の目隠し衝立のすき間から零れ落ちて来る光があった。寂しさをたたえた例えようのない悲しい色の光。栃木県動物行政職員だった山崎重寿さんが放つ悲しみに満ちた光の色だった。
そして、それは「長く曲がりくねった道」を歩んで来た男の痛ましい人生の終着の後ろ姿だった。長く曲がりくねった道の終点。
小さな頃から家族的な幸せに縁遠く、親から弾かれ、預けられた親戚から弾かれ、いたぶられて育った山崎さんは、結局その最期もいたぶられ弾かれて終わりを告げた。
泣いて済むことなら人は死なない。感情を高ぶらせて着地する大地があるなら人は死なない。足を降ろす大地を根こそぎ奪われ、帰路に着く山崎さんの足には感覚と言えるものはもうなかったのだろう。犬の花子に会う手立ては完全に閉ざされ、存在の全てを蔑まれ完全否定され、天涯孤独の男を引き留めるものはこの世に何一つなくなってしまった。そう思える。
どうして、県行政管理職の面々は寄ってたかって山崎さんをいたぶったのか。答えは直ぐに分かった。簡単だった。それは山崎さんが社会的弱者の身の上だからです。抵抗が少ない者に加虐的な心理になりエスカレートするのは人間が持つ浅ましい性(さが)。
来る日も来る日も針のむしろに座らされ、四方八方行く手を阻まれ、山崎さんの心の中にはもう天国への階段しか残されていなかった。ついに耐えに耐えていた糸がプツンと切れてしまったのだろう。
学歴がない者、貧しい出の者、昇進のチャンスがない雇用枠で採用された者への事あるごとのバッシング。これを差別意識のなせる業(わざ)と言わずどういう言い訳が成り立つのか。ふと、直感で感じるのは、動物行政を司っているシステム・エネルギーは差別を動力にして動いているのではないかということです。
社会的弱者をダーティな仕事枠で採用し、組み敷き、社会的弱者に汚い仕事をさせて成り立たせているのが、実は「犬猫の殺処分制度」のおぞましい正体なのではないかと、栃木県の動物行政を調べ進むたびに「一人の男の死」は雄弁に「事の本質」を語りかけて来る。(つづく)
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一夜明け発熱。体中のあちこち、患部とは関係ない意外なところから痛みがやって来る。
手から腕へ全体が象さんように腫れている。
早番の外猫活動も遅番の外猫活動も右手は痛くて全く自由が利かず、苦しい活動になったが何とか持ちこたえさせた。
2006年にひき逃げされた時、同じ経験をしているので、体験に学んで「大丈夫」と言い聞かせている。
本当は横になって休みたいとこですが、重要な記事なのでトライしてみます
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一夜明け発熱。体中のあちこち、患部とは関係ない意外なところから痛みがやって来る。
手から腕へ全体が象さんように腫れている。
早番の外猫活動も遅番の外猫活動も右手は痛くて全く自由が利かず、苦しい活動になったが何とか持ちこたえさせた。
2006年にひき逃げされた時、同じ経験をしているので、体験に学んで「大丈夫」と言い聞かせている。
本当は横になって休みたいとこですが、重要な記事なのでトライしてみます
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【大怪我でズキズキ】夕方過ぎ、大怪我をした。箇所は右手の手首の裏と表。今ズキズキと痛んでいる。釘状の鋭い物(?)で、血管を傷つけるくらいの深い傷になった。血があたりに飛び散った。慌てて近くの水場まで走り傷口を洗い流したのだが、勢いよく血がほとばしり出て止まらず、失血するんじゃないかと青ざめた。シャツを脱ぎ、シャツの袖の部分でギリギリっときつく巻いて家に帰ったが、包帯代わりに巻いたシャツの布地に血が直ぐににじみ出して来た。
家に帰り、包帯と抗生剤塗り薬を探し、取りあえず自分で手当てをした。血が止まるように包帯をきつく巻いた。包帯の用意があって良かった。
早番の外猫活動が迫っていたので病院には行けなかった。行かなかった?
指が5本とも動いたので神経が切れてないとひとまずの安心。安心し落ち着いてからあまり痛みが伝わってこなかったのでこれで大丈夫と思った。
しかし、早番の活動に出かけたら、まず自転車のハンドルを全く握れない、心臓より下に手を降ろすと重く鈍い痛みが伝わって来た。
右手を少しでも動かしたり、指を少しでも動かすごとに、電気的な痛みが走り、手首から先が熱を持っているように感じた。
ねじれない。猫缶を開けられない。結局、右腕は全編宙に浮かして作業し、レフティの活動になった。
ブログは休もうと思ったが、大きな保冷バッグの上に手首を乗せ、ゆっくりとでも指だけ動かせば何とかなりそうな気がしたので、時間をかけてこうしてキーボードに向かっている。
怪我する前に書いていた原稿は違うものだったが、途中までしか書けていないので、そして神経を使う内容なので痛みで気が回らない状態では持続不可能と思い断念した。あーついてない。
明日は物凄くはれ上がっているのかな。
アクシデントの原因はカッコ悪いから言わない。ケンカではない。でも、三日前の早朝にシャープ本社が入るビルの真ん前のコンビニに強盗が入ったから「気をつけるように」とお巡りさんに声をかけられた。物騒で危険が一杯の東京風景なのです。
出来たー。間違いながらつっかえながらのタイピングだったけれど、やれば出来る。
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【大怪我でズキズキ】夕方過ぎ、大怪我をした。箇所は右手の手首の裏と表。今ズキズキと痛んでいる。釘状の鋭い物(?)で、血管を傷つけるくらいの深い傷になった。血があたりに飛び散った。慌てて近くの水場まで走り傷口を洗い流したのだが、勢いよく血がほとばしり出て止まらず、失血するんじゃないかと青ざめた。シャツを脱ぎ、シャツの袖の部分でギリギリっときつく巻いて家に帰ったが、包帯代わりに巻いたシャツの布地に血が直ぐににじみ出して来た。
家に帰り、包帯と抗生剤塗り薬を探し、取りあえず自分で手当てをした。血が止まるように包帯をきつく巻いた。包帯の用意があって良かった。
早番の外猫活動が迫っていたので病院には行けなかった。行かなかった?
指が5本とも動いたので神経が切れてないとひとまずの安心。安心し落ち着いてからあまり痛みが伝わってこなかったのでこれで大丈夫と思った。
しかし、早番の活動に出かけたら、まず自転車のハンドルを全く握れない、心臓より下に手を降ろすと重く鈍い痛みが伝わって来た。
右手を少しでも動かしたり、指を少しでも動かすごとに、電気的な痛みが走り、手首から先が熱を持っているように感じた。
ねじれない。猫缶を開けられない。結局、右腕は全編宙に浮かして作業し、レフティの活動になった。
ブログは休もうと思ったが、大きな保冷バッグの上に手首を乗せ、ゆっくりとでも指だけ動かせば何とかなりそうな気がしたので、時間をかけてこうしてキーボードに向かっている。
怪我する前に書いていた原稿は違うものだったが、途中までしか書けていないので、そして神経を使う内容なので痛みで気が回らない状態では持続不可能と思い断念した。あーついてない。
明日は物凄くはれ上がっているのかな。
アクシデントの原因はカッコ悪いから言わない。ケンカではない。でも、三日前の早朝にシャープ本社が入るビルの真ん前のコンビニに強盗が入ったから「気をつけるように」とお巡りさんに声をかけられた。物騒で危険が一杯の東京風景なのです。
出来たー。間違いながらつっかえながらのタイピングだったけれど、やれば出来る。
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27℃~20℃ 


The wild and windy night
That the rain washed away
Has left a pool of tears
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25℃~15℃ 


【鬼畜 ~栃木県動物行政の不都合な真実】大勢の犬たちを手前の無策が高じて殺処分を繰り返し、挙句に人間まで殺してしまった栃木県動物愛護指導センターと栃木県生活衛生課。外部に決して知られたくない不都合な真実とは何だったのか。
栃木県動物愛護センターのトップを頂点とした一味は、何故そこまでして職員の山崎重寿さんを追い込んだのか。ことあるたびに職場内で犯人さがしに明け暮れていたのは何故なのか。
ネット検索していたら正体が簡単に見えて来ました。栃木県の動物愛護指導センターと生活衛生課が隠したい不都合な真実。それは怠慢と無作為と刹那の殺処分と隠ぺいの歴史でした。
探し当てたFacebook「公益社団法人 日本動物福祉協会 栃木支部」の記事の中には「(栃木県の)動物行政に在職している人間には問題を解決する能力もなく、税金を食いつぶしているだけです。動物行政にいる仕事ができない人間によって、いのちが犠牲になるような事態を何度も起こしていいものでしょうか」とまで書かれ、栃木県動物行政トップリーダーたちの無能力と体たらくをズバリ指摘しています。
一度死んで組織を解体し出直しを図らなければいけなかったのは、どっちの方だったのか。Facebook「公益社団法人 日本動物福祉協会 栃木支部」を読めば一目瞭然に分かります。
会葬会場で怒鳴り声を上げた栃木県動物愛護指導センター長。社会通念からして、会葬場にて怒鳴り声を上げるなど一発退場ものです。こうした一般常識のカケラもない人間が部下に同調圧力をかけ権力を振い、自らの腐敗を封じ込めようとしていたのです。
外部に知られては困る不都合な真実。適切な指導を怠り、殺処分対象犬を増やし続けた栃木県動物行政。職員を密室でリンチにかけたところで何になるのだろうか。また一つ知られたくない不都合な真実を増やしただけのような気がします。
公が市民の納税で成り立っている以上、知られてはいけない情報を隠し持つことは市民に対する公の犯罪なのであり、無能力者をその地位につけておくと往々にしてこういうこと(パワハラが引き鉄になった職員の死)が起きてしまうのです。
今、山崎重寿さんの死が栃木県動物行政のあり方の過去・現在・未来を照り返し逆照射しているようです。
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栃木県動物愛護センターのトップを頂点とした一味は、何故そこまでして職員の山崎重寿さんを追い込んだのか。ことあるたびに職場内で犯人さがしに明け暮れていたのは何故なのか。
ネット検索していたら正体が簡単に見えて来ました。栃木県の動物愛護指導センターと生活衛生課が隠したい不都合な真実。それは怠慢と無作為と刹那の殺処分と隠ぺいの歴史でした。
探し当てたFacebook「公益社団法人 日本動物福祉協会 栃木支部」の記事の中には「(栃木県の)動物行政に在職している人間には問題を解決する能力もなく、税金を食いつぶしているだけです。動物行政にいる仕事ができない人間によって、いのちが犠牲になるような事態を何度も起こしていいものでしょうか」とまで書かれ、栃木県動物行政トップリーダーたちの無能力と体たらくをズバリ指摘しています。
一度死んで組織を解体し出直しを図らなければいけなかったのは、どっちの方だったのか。Facebook「公益社団法人 日本動物福祉協会 栃木支部」を読めば一目瞭然に分かります。
会葬会場で怒鳴り声を上げた栃木県動物愛護指導センター長。社会通念からして、会葬場にて怒鳴り声を上げるなど一発退場ものです。こうした一般常識のカケラもない人間が部下に同調圧力をかけ権力を振い、自らの腐敗を封じ込めようとしていたのです。
外部に知られては困る不都合な真実。適切な指導を怠り、殺処分対象犬を増やし続けた栃木県動物行政。職員を密室でリンチにかけたところで何になるのだろうか。また一つ知られたくない不都合な真実を増やしただけのような気がします。
公が市民の納税で成り立っている以上、知られてはいけない情報を隠し持つことは市民に対する公の犯罪なのであり、無能力者をその地位につけておくと往々にしてこういうこと(パワハラが引き鉄になった職員の死)が起きてしまうのです。
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【・・・・・・】誰にでもある他愛ない人生の中の一日。ところが或る日唐突に当然あるべき次の日がすっかり消えて無くなってしまう。 なぜ? どういうこと?
PC受信トレイに新着メール。件名に「栃木県愛護施設の職員がパワハラで殺される」と書かれた報せがあった。
今、自分の胸の中を交錯する情報と湧き上がる気持ちが入り乱れ、交通整理しているところです。
動物愛護指導センターという名の下に収容された動物たちの行く末を案じ親身になって寄り添っていた一人の男が死を選ばなければならなかった。その理由(わけ)と原因。
今のところ、追い込んだ側の言い分は何も聞こえて来ていない。
地元新聞には「職員自殺、県が調査へ/外部から「パワハラ」指摘」と報じられている。
亡くなったのは、栃木県動物愛護指導センターに勤めていた山崎重寿さん。享年50歳。亡くなる寸前に各方面に言葉を遺している。
山崎さんの死を報じる「シーズーレスキュー動物愛護センターからの保護日記」のドキュメントから見えて来る山崎さんが遺した断片的な言葉の端々から、やり切れない寂しさが伝わって来た。道を絶たれた「覚悟の死」だったのだろうか。
山崎さんは4月14日に栃木県動物愛護指導センターの上層部から呼び出され、その日の内に身辺の整理を済ませ、その日の内に駆け抜けるように亡くなっている。彼の身に降りかかった絶望とは・・・。
山崎さんが知り合いに遺した最期の言葉「中から変えようと思って頑張ってきた。中から変える必要があると思っていた。中に自分がいる意味があると思って頑張ってやってきた。でもダメだった・・・もうダメだ・・・」。
この国の動物管理行政をぐるーっと眺め渡してみる時、山崎さんの叫びは激しく痛く悲しく、ナイフのように突き刺さって来る。
呼び出しを受けた山崎さんは動物愛護指導センター長と総括から携帯電話を見せるよう強要され、「外部に情報を流したのはお前だろう」と迫られたという。
そして、それに飽きたらず「ここは動物のためじゃなく、人間のための職場だ。そんなに動物のことがやりたいなら他に行ってやれ」と追い討ちをかけられ罵倒されたというが、屈辱の雨あられはこれにとどまらなかったのだろう。山崎さんに死を決意させたほどだ。センター長と総括の言葉の暴力は明らか。
「シーズーレスキュー動物愛護センターからの保護日記」によれば、14日に山崎さんがいなくなった後にセンターはわざわざ職員を山崎宅に見に行かせている。これから推察出来ることは、山崎さんへの「言葉の暴力」と「いじめ」にセンター長は自覚症状があり、自分たちのパワハラ=犯罪を身を持って証明しているようなものだ。それとも証拠揉み消しの為ですかね?
証拠隠滅は他の手を使ってもやっていますよね。①火葬場を身内職員でかため、山崎さんにお別れの参列をしようとしたボランティア関係者に「会葬案内を出していないお前らが何でくるんだ。帰れ」と暴言を吐き怒鳴ったこと。②山崎さんの死を不審に思い告発しようとしたブログをことごとく削除させていたこと。
証拠隠滅の件も山崎さんを追い詰めたのもセンターの動機は同根です。それは不祥事=不都合な真実が外部の市民に知られては困るからです。
公にされては後ろ暗い沢山の「不都合な真実を隠し持っているのが栃木県動物愛護指導センターの実像」、山崎さんが死を代償にして私たちに見せてくれたのです。
「外部に情報を漏らしたのはお前だろう」って、おい公務員、センター長か総括か知らないけれど、情報はお前たち公務員の占有物ではなく「市民」の物だろう。税金で成り立つ事業で、税金でおまんま食わせてもらっている身分だろ。それをはき違えて自分が特権階級にいると勘違いしている輩(やから)が公務員管理職に非常に多い。
センターに収容された不幸な犬たちの為に親身になっていたばかりに情報漏えいの犯人呼ばわりされた山崎さん。
「ここは動物のためじゃなく、人間のための職場だ。そんなに動物のことがやりたいなら他に行ってやれ」って、“動物愛護指導センター”の一字一句がウソ泣きしている。名称のサブタイトルに「人間のいじめもやります」「センターは人をいじめ差別することで運営されています」と書き加えて置けば完璧だ。まさに鬼畜の業。
山崎さんの遺体が発見されたのは死後の6日後。そして、亡骸は警察に収容され、検死後に荼毘に伏され、死後のちょうど一カ月後の5月14日に、天涯孤独な人生を送った山崎さんは無縁仏として宇都宮市の霊園に納められたということです。痛ましい限りです。動物愛護の気持ちを持つ側の大きな人材の損失です。
山崎重寿さんの死を悼むブログでは栃木県行政へ要望と抗議を提案していますが、メッセージ通りにメールやファックスでの通信は指一つで消されてしまう可能性がありますので、こうした場合に私たち「猫の郵便」はいつも必ず封書にて手紙の形式を選んでいます。
心優しき 山崎重寿さんの冥福を心から祈ります。
誰にでもある他愛ない人生の中の一日。ところが或る日唐突に当然あるべき次の日がすっかり消えて無くなってしまった。山崎重寿さんの人生の次のページが。何故を問えども犬の花子の前に山崎さんが姿を現すことはもう二度とない。
山崎重寿さんが描いた作品
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PC受信トレイに新着メール。件名に「栃木県愛護施設の職員がパワハラで殺される」と書かれた報せがあった。
今、自分の胸の中を交錯する情報と湧き上がる気持ちが入り乱れ、交通整理しているところです。
動物愛護指導センターという名の下に収容された動物たちの行く末を案じ親身になって寄り添っていた一人の男が死を選ばなければならなかった。その理由(わけ)と原因。
今のところ、追い込んだ側の言い分は何も聞こえて来ていない。
地元新聞には「職員自殺、県が調査へ/外部から「パワハラ」指摘」と報じられている。
亡くなったのは、栃木県動物愛護指導センターに勤めていた山崎重寿さん。享年50歳。亡くなる寸前に各方面に言葉を遺している。
山崎さんの死を報じる「シーズーレスキュー動物愛護センターからの保護日記」のドキュメントから見えて来る山崎さんが遺した断片的な言葉の端々から、やり切れない寂しさが伝わって来た。道を絶たれた「覚悟の死」だったのだろうか。
山崎さんは4月14日に栃木県動物愛護指導センターの上層部から呼び出され、その日の内に身辺の整理を済ませ、その日の内に駆け抜けるように亡くなっている。彼の身に降りかかった絶望とは・・・。
山崎さんが知り合いに遺した最期の言葉「中から変えようと思って頑張ってきた。中から変える必要があると思っていた。中に自分がいる意味があると思って頑張ってやってきた。でもダメだった・・・もうダメだ・・・」。
この国の動物管理行政をぐるーっと眺め渡してみる時、山崎さんの叫びは激しく痛く悲しく、ナイフのように突き刺さって来る。
呼び出しを受けた山崎さんは動物愛護指導センター長と総括から携帯電話を見せるよう強要され、「外部に情報を流したのはお前だろう」と迫られたという。
そして、それに飽きたらず「ここは動物のためじゃなく、人間のための職場だ。そんなに動物のことがやりたいなら他に行ってやれ」と追い討ちをかけられ罵倒されたというが、屈辱の雨あられはこれにとどまらなかったのだろう。山崎さんに死を決意させたほどだ。センター長と総括の言葉の暴力は明らか。
「シーズーレスキュー動物愛護センターからの保護日記」によれば、14日に山崎さんがいなくなった後にセンターはわざわざ職員を山崎宅に見に行かせている。これから推察出来ることは、山崎さんへの「言葉の暴力」と「いじめ」にセンター長は自覚症状があり、自分たちのパワハラ=犯罪を身を持って証明しているようなものだ。それとも証拠揉み消しの為ですかね?
証拠隠滅は他の手を使ってもやっていますよね。①火葬場を身内職員でかため、山崎さんにお別れの参列をしようとしたボランティア関係者に「会葬案内を出していないお前らが何でくるんだ。帰れ」と暴言を吐き怒鳴ったこと。②山崎さんの死を不審に思い告発しようとしたブログをことごとく削除させていたこと。
証拠隠滅の件も山崎さんを追い詰めたのもセンターの動機は同根です。それは不祥事=不都合な真実が外部の市民に知られては困るからです。
公にされては後ろ暗い沢山の「不都合な真実を隠し持っているのが栃木県動物愛護指導センターの実像」、山崎さんが死を代償にして私たちに見せてくれたのです。
「外部に情報を漏らしたのはお前だろう」って、おい公務員、センター長か総括か知らないけれど、情報はお前たち公務員の占有物ではなく「市民」の物だろう。税金で成り立つ事業で、税金でおまんま食わせてもらっている身分だろ。それをはき違えて自分が特権階級にいると勘違いしている輩(やから)が公務員管理職に非常に多い。
センターに収容された不幸な犬たちの為に親身になっていたばかりに情報漏えいの犯人呼ばわりされた山崎さん。
「ここは動物のためじゃなく、人間のための職場だ。そんなに動物のことがやりたいなら他に行ってやれ」って、“動物愛護指導センター”の一字一句がウソ泣きしている。名称のサブタイトルに「人間のいじめもやります」「センターは人をいじめ差別することで運営されています」と書き加えて置けば完璧だ。まさに鬼畜の業。
山崎さんの遺体が発見されたのは死後の6日後。そして、亡骸は警察に収容され、検死後に荼毘に伏され、死後のちょうど一カ月後の5月14日に、天涯孤独な人生を送った山崎さんは無縁仏として宇都宮市の霊園に納められたということです。痛ましい限りです。動物愛護の気持ちを持つ側の大きな人材の損失です。
山崎重寿さんの死を悼むブログでは栃木県行政へ要望と抗議を提案していますが、メッセージ通りにメールやファックスでの通信は指一つで消されてしまう可能性がありますので、こうした場合に私たち「猫の郵便」はいつも必ず封書にて手紙の形式を選んでいます。
心優しき 山崎重寿さんの冥福を心から祈ります。
誰にでもある他愛ない人生の中の一日。ところが或る日唐突に当然あるべき次の日がすっかり消えて無くなってしまった。山崎重寿さんの人生の次のページが。何故を問えども犬の花子の前に山崎さんが姿を現すことはもう二度とない。
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【国立市古美術商殺人事件の猫 ~「ねりま・ねこけん」に関心と応援を】国立市古美術商殺人事件の犯人逮捕で、犯人夫婦の住まいで20匹を超える猫たちが虐待状態で飼育されていたことが露見。
ほんのちょっとのテレビ報道映像で、“勘”と“機転”を働かせた練馬を本拠地に活動する「NPO法人ねこけん」がレスキューに入っています。Good job!です。
「ねりま・ねこけん」に救出されて猫たちはこれから栄養失調からの回復や病気の治療を受け、不妊去勢手術の段取りを経て、新たな道を探すことになるのでしょうが、そのためには時間や労力、そしてお金が必然的にかかるようになります。
国立市古美術商殺人事件で露わになった犯人宅の猫虐待飼育事件(多頭飼い崩壊)にトライしている「ねりま・ねこけん」の勇気ある活動に“関心”と“応援”をお願いします。

【ねりま・ねこけんの勘と機転】不届き者がしでかした大きな穴ぼこは、国立市古美術商の73歳を殺し古美術品十数点と財布を奪ったにとどまりませんでした。犯人逮捕で一枚の布をひっぺ返してみたら、そこ(犯人宅)は何と・・・恐るべき「20匹を超える猫たちの凄惨な虐待飼育」のもう一つの事件現場だったのです。
もし犯人が強盗殺人事件を起こしていなかったら・・・。もしこのまま犯人が捕まらないでいたのなら、群馬県みなかみ市のとある家では多頭飼いの猫たちの虐待飼育が果てしなく繰り越し続いて行ったのかと想像すると、背筋が凍りつく思いがします。
66歳と49歳の大人が20匹の猫たちを不妊・去勢手術をほとんどせず、満足な食事もろくすっぽ与えず、猫たちの不幸を拡大再生産していた。その生活感覚、そのモラル。ある種の事件で世の中が輪切りにされると必ずこうした問題が噴出し露わになります。本当にゆるみきった世情です。他への思いやりの感性が一斉なく、自分だけ良ければそれでいい、己の欲望追求にのみ邁進するその姿。さもしい!の限りと言えます。
虐待飼育事件の詳細の報告は当事者の「ねりま・ねこけん」に任せるとして、この事件で特筆すべきなのは「ねりま・ねこけん」の“勘”と“機転”と“行動力”でした。「ねりま・ねこけん」のメンバーの一人の人が何となく見ていたテレビニュース。そこに映し出された「国立市古美術商殺人事件の犯人逮捕」の報。犯人の自宅をとらえる画面には心中をかき乱されるような猫の姿があったという。「この猫はどうなってしまうのだろう?」という鋭敏な感受性。この冴えた感性(気づき)が凄惨な動物虐待飼育事件の“第一発見者”になったのです。
警察や報道のアナウンスやガイドがあったわけではありません。テレビにほんの一瞬ちょこっと映った糸くずを頼りに「ねこけん」のその人は何かを感じたのです。実に“見えたる第六感”です。「Good Job!」と言うほかありません。
「ねりま・ねこけん」と私たち「猫の郵便」は少なからずの縁があるようです。それは、私たち「猫の郵便」が「人猫共生会議」に「社会猫(世の中の枠の外にはじき出された猫たち全てを対象にとらえた活動/地域猫の考え方では収まり切れない猫たちを対象にした活動)」の考えを提案し、人猫共生会議のその「社会猫活動」の趣旨に賛同し「ねこけん」の人たちが共に行動していた経緯(いきさつ)があります。
そう言えば「ねこけん」で外猫用にキャットフードの買い物をしたこともありましたっけね。
プラットホームの前身「シャボット」は、「シャ」が社会猫の「シャ」、「ボ」がボランティアの「ボ」、「ト」がTreeの「T」、三つ言葉の頭の音を合成し「シャボット」と造語していました。
同じ東京同士、少なからずの「ねこけん」さんとの縁、陰ながら応援して行きます。

去年でしたか。渋谷の超高級マンション資産家宅で母子が殺され、男(配偶者? 父?)が失踪し後に自殺体となって発見された事件で、犬が取り残されたという報道を見て、「犬たちはどうなってしまうのだろう」と心配し、警察に問い合わせをしたことがありました。警察は「親戚の人に引き取られた」と言っていましたが、「親戚・・・」と言われ、それ以上立ち入れませんでした。
報道や警察は動物愛護の視点も事件解決に併せ持つべきだと思いました。縦割りで“事件の犬猫たち”が保健所や動物管理センターにゆだねられたら、動物たちはそのまま“死へ直行”の道をたどるのだから。
震災の下の動物たち、災害の下の動物たち、事件で取り残される動物たち、何とかならんのかねーこの国は!
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【国立市古美術商殺人事件の猫 ~「ねりま・ねこけん」に関心と応援を】国立市古美術商殺人事件の犯人逮捕で、犯人夫婦の住まいで20匹を超える猫たちが虐待状態で飼育されていたことが露見。
ほんのちょっとのテレビ報道映像で、“勘”と“機転”を働かせた練馬を本拠地に活動する「NPO法人ねこけん」がレスキューに入っています。Good job!です。
「ねりま・ねこけん」に救出されて猫たちはこれから栄養失調からの回復や病気の治療を受け、不妊去勢手術の段取りを経て、新たな道を探すことになるのでしょうが、そのためには時間や労力、そしてお金が必然的にかかるようになります。
国立市古美術商殺人事件で露わになった犯人宅の猫虐待飼育事件(多頭飼い崩壊)にトライしている「ねりま・ねこけん」の勇気ある活動に“関心”と“応援”をお願いします。

【ねりま・ねこけんの勘と機転】不届き者がしでかした大きな穴ぼこは、国立市古美術商の73歳を殺し古美術品十数点と財布を奪ったにとどまりませんでした。犯人逮捕で一枚の布をひっぺ返してみたら、そこ(犯人宅)は何と・・・恐るべき「20匹を超える猫たちの凄惨な虐待飼育」のもう一つの事件現場だったのです。
もし犯人が強盗殺人事件を起こしていなかったら・・・。もしこのまま犯人が捕まらないでいたのなら、群馬県みなかみ市のとある家では多頭飼いの猫たちの虐待飼育が果てしなく繰り越し続いて行ったのかと想像すると、背筋が凍りつく思いがします。
66歳と49歳の大人が20匹の猫たちを不妊・去勢手術をほとんどせず、満足な食事もろくすっぽ与えず、猫たちの不幸を拡大再生産していた。その生活感覚、そのモラル。ある種の事件で世の中が輪切りにされると必ずこうした問題が噴出し露わになります。本当にゆるみきった世情です。他への思いやりの感性が一斉なく、自分だけ良ければそれでいい、己の欲望追求にのみ邁進するその姿。さもしい!の限りと言えます。
虐待飼育事件の詳細の報告は当事者の「ねりま・ねこけん」に任せるとして、この事件で特筆すべきなのは「ねりま・ねこけん」の“勘”と“機転”と“行動力”でした。「ねりま・ねこけん」のメンバーの一人の人が何となく見ていたテレビニュース。そこに映し出された「国立市古美術商殺人事件の犯人逮捕」の報。犯人の自宅をとらえる画面には心中をかき乱されるような猫の姿があったという。「この猫はどうなってしまうのだろう?」という鋭敏な感受性。この冴えた感性(気づき)が凄惨な動物虐待飼育事件の“第一発見者”になったのです。
警察や報道のアナウンスやガイドがあったわけではありません。テレビにほんの一瞬ちょこっと映った糸くずを頼りに「ねこけん」のその人は何かを感じたのです。実に“見えたる第六感”です。「Good Job!」と言うほかありません。
「ねりま・ねこけん」と私たち「猫の郵便」は少なからずの縁があるようです。それは、私たち「猫の郵便」が「人猫共生会議」に「社会猫(世の中の枠の外にはじき出された猫たち全てを対象にとらえた活動/地域猫の考え方では収まり切れない猫たちを対象にした活動)」の考えを提案し、人猫共生会議のその「社会猫活動」の趣旨に賛同し「ねこけん」の人たちが共に行動していた経緯(いきさつ)があります。
そう言えば「ねこけん」で外猫用にキャットフードの買い物をしたこともありましたっけね。
プラットホームの前身「シャボット」は、「シャ」が社会猫の「シャ」、「ボ」がボランティアの「ボ」、「ト」がTreeの「T」、三つ言葉の頭の音を合成し「シャボット」と造語していました。
同じ東京同士、少なからずの「ねこけん」さんとの縁、陰ながら応援して行きます。


報道や警察は動物愛護の視点も事件解決に併せ持つべきだと思いました。縦割りで“事件の犬猫たち”が保健所や動物管理センターにゆだねられたら、動物たちはそのまま“死へ直行”の道をたどるのだから。
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【私が死んだら~交換の利かない存在として】目は回るわ。目はかすむわ。眠いわ。集中力は続かないわ。歩けば三半規管を取り外したみたいにクラクラするわ。眠気覚ましにコーヒーを飲もうと思ったらコーヒーは切れているわ。腹がへっているのかいないのか分からないわ。やることは山ほどあるわ。外猫活動に出かけなきゃいけないわ。
外に出たら出たでインネンは吹っかけられるわ。自転車はぶっ壊されるわ。
で、暖かくなればなったで湿度は鬱陶しいわ。そして、挙句に夜空をにらめば生冷たい雨つぶに打たれっぱなしの3時間あまり。ほとほと疲れた。
家に帰って椅子に座ったら、雑作なく椅子からずれ落ち、そのまま床にひれ伏し一時間ほど意識不明に寝込んでしまった。これは寝落ちとは言わず“落ち寝”というそうだ。本当に雨の日は疲れが肩に重い。
ふと寝起きにスペアの体があったらいいなと思った。右、左、足のスペア。左、右、腕のスペア。腰痛対策着脱可能な骨盤。ボタン一つで出し入れ可能な「心」のコンパクトディスクも何枚か欲しい。
・・・今日は、疲労度レベル8だからA体の足、右目に炎症があるからB体の目、それらをカートリッジ式にカチッと自分のボディにはめ込んで、最後にクレーマー対応最新版CDをギーガーって心理ボックスに埋め込んで、〇月○日版サイボーグXXXが外猫活動に出かけて行く。
ブログ更新も「10分で原稿起こしから編集まで容易くこなすブログ更新ソフト」電脳CDがやってくれるようになったらありがたい。
でも、そうなったらそれはそれで次の問題が発生しそうだ。外猫活動で現場に着いても、猫さんたちが私だと認識してくれなくなるかもしれない。「君なんか知らない人だよ」ってね。
自転車を新しくした時、何回かそういうことがあった。いつもなら自転車の音を聞き分けて勢い良く飛び出し待ち受けているはずが、物陰に隠れじっくり様子をうかがってからのそのそと警戒心露わに登場したのが一週間ほど続いた。
それが、体の部品着脱可能な時代になったとして、毎日ちがう部品のコンビネーションで外猫活動をするようになったら、もう同一人物とは見なされなくなるかもだね。・・・猫たちは嗅覚に優れた繊細な動物。
「一日くらい時には誰かに代わってもらったら」とアドバイスを受けるが、対面給食で対応している猫さんに関しては完全に無理に決まっている。初めて見る交代要員に地域猫ケイトリンもラジヲくんも夕焼けタラちゃんも静香ちゃんも「はい。分かりました。イエスです」とは恐らく言ってくれないだろう。
家の中の猫だって、公私に余りにも忙しい時、一度友だちに鍵を預けて「輪になって猫の夕食」を頼んだことがあったが、腹がへっているはずなのに猫さん皆引き気味に近寄らず、結局ほとんど何も食べなかったと言われた体験がある。
長年かかって積み重ねたスキンシップや空間シェア感覚やアイコンタクトはカートリッジ式に代替え出来るものではないことがその時分かった。
例えば、もし私が突然死したとしたら、私の家の猫たちや私の受け持ちの地域猫たちの世話を受け継ぐ人は、鉄腕ウンガさんにしろ、リアムにしろ、お互いに馴れ親しみ軌道に乗るまでには相当の時間と苦労を要すると思う。逆のケースもきっとそうだよね。
「愛」の交換は部品を交換するように簡単上手くは行かない。「愛」の交換は利かない。私が死んでいなくなって、猫さんの世話を引き継ぐようになったら、その人は私と同じようにではなく、新しい関係(新しい愛の形)を一から築いて行くことになるのだろう。
だから、人と動物の深い関係、他愛なく当たり前になんとなく見えている光景のようであっても、人の側に重い責任がかかっているのだとしみじみ。交代の利かない存在として、「自分の体を大事にしなければ」と思い知らされた雨の日の疲れが運んで来た心の何処からかの伝言であった。
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外に出たら出たでインネンは吹っかけられるわ。自転車はぶっ壊されるわ。
で、暖かくなればなったで湿度は鬱陶しいわ。そして、挙句に夜空をにらめば生冷たい雨つぶに打たれっぱなしの3時間あまり。ほとほと疲れた。
家に帰って椅子に座ったら、雑作なく椅子からずれ落ち、そのまま床にひれ伏し一時間ほど意識不明に寝込んでしまった。これは寝落ちとは言わず“落ち寝”というそうだ。本当に雨の日は疲れが肩に重い。
ふと寝起きにスペアの体があったらいいなと思った。右、左、足のスペア。左、右、腕のスペア。腰痛対策着脱可能な骨盤。ボタン一つで出し入れ可能な「心」のコンパクトディスクも何枚か欲しい。
・・・今日は、疲労度レベル8だからA体の足、右目に炎症があるからB体の目、それらをカートリッジ式にカチッと自分のボディにはめ込んで、最後にクレーマー対応最新版CDをギーガーって心理ボックスに埋め込んで、〇月○日版サイボーグXXXが外猫活動に出かけて行く。
ブログ更新も「10分で原稿起こしから編集まで容易くこなすブログ更新ソフト」電脳CDがやってくれるようになったらありがたい。
でも、そうなったらそれはそれで次の問題が発生しそうだ。外猫活動で現場に着いても、猫さんたちが私だと認識してくれなくなるかもしれない。「君なんか知らない人だよ」ってね。
自転車を新しくした時、何回かそういうことがあった。いつもなら自転車の音を聞き分けて勢い良く飛び出し待ち受けているはずが、物陰に隠れじっくり様子をうかがってからのそのそと警戒心露わに登場したのが一週間ほど続いた。
それが、体の部品着脱可能な時代になったとして、毎日ちがう部品のコンビネーションで外猫活動をするようになったら、もう同一人物とは見なされなくなるかもだね。・・・猫たちは嗅覚に優れた繊細な動物。
「一日くらい時には誰かに代わってもらったら」とアドバイスを受けるが、対面給食で対応している猫さんに関しては完全に無理に決まっている。初めて見る交代要員に地域猫ケイトリンもラジヲくんも夕焼けタラちゃんも静香ちゃんも「はい。分かりました。イエスです」とは恐らく言ってくれないだろう。
家の中の猫だって、公私に余りにも忙しい時、一度友だちに鍵を預けて「輪になって猫の夕食」を頼んだことがあったが、腹がへっているはずなのに猫さん皆引き気味に近寄らず、結局ほとんど何も食べなかったと言われた体験がある。
長年かかって積み重ねたスキンシップや空間シェア感覚やアイコンタクトはカートリッジ式に代替え出来るものではないことがその時分かった。
例えば、もし私が突然死したとしたら、私の家の猫たちや私の受け持ちの地域猫たちの世話を受け継ぐ人は、鉄腕ウンガさんにしろ、リアムにしろ、お互いに馴れ親しみ軌道に乗るまでには相当の時間と苦労を要すると思う。逆のケースもきっとそうだよね。
「愛」の交換は部品を交換するように簡単上手くは行かない。「愛」の交換は利かない。私が死んでいなくなって、猫さんの世話を引き継ぐようになったら、その人は私と同じようにではなく、新しい関係(新しい愛の形)を一から築いて行くことになるのだろう。
だから、人と動物の深い関係、他愛なく当たり前になんとなく見えている光景のようであっても、人の側に重い責任がかかっているのだとしみじみ。交代の利かない存在として、「自分の体を大事にしなければ」と思い知らされた雨の日の疲れが運んで来た心の何処からかの伝言であった。
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猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。
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そして誰もいなくなった
【路上で出合ったYさん~今では立派な地域猫活動家】そこは色とりどりの猫さんたちの阿鼻叫喚や飢餓を満載して。人々が行き交うしじまの海を、舵を失くした漂流船のようにあてどなく弄(もてあそ)ばれている風景色(かぜげしき)が来る日も来る日も繰り返されていました。
思えば、その一角だけで優に20匹を超える猫さんたちが、七年の間に通り過ぎて行きましたかね。
写真の三匹の猫さんがその最後の世代でした。そして、誰もいなくなった彼の地の脇道は、今はただぼうぼうと草が無造作さに生い茂っているだけになりました。
長い月日の星霜を踏みしめた猫さんたちの光芒後引く新地(さらち)は、今はもうただただ深閑として、誰もふり返り見る人はいません。
「しじま」とは口を閉じて黙りこくっていること。「しじま」に始まり、「しじま」に終わった印象が拭えませんね。彼の一角を通り過ぎるたびに、目の裏を影絵のように思い出の猫さんたちが通り過ぎて行きます。ちょっとした胸をかすめよぎる感傷です。
横浜市神奈川区で「保健所に通報するぞ!」と言いがかりをつけられた事件の当事者のYさんには、写真のジプティ君たちが暮らしたこの辺りで出会いました。あれは2年前、それとも3年前の初夏のことでしたっけ。
路上で「猫について」話しかけられ、それからの付き合いになります。
時の流れが埃を積もらせ、もう影も形も見えなくなった人がほとんどだけれど、その中で時はまた別の光持つ弓矢を放ち、今ではYさんは立派な地域猫活動家になり活躍するようになりました。
Yさんは今年初めの一時期、地域猫活動する横浜で袖ヶ浦ナンバーの男に「猫に車を傷つけられた」と執拗に付け回され、大騒動の中でもみくちゃにされましたが、対策が功を奏し、今は事態が鎮静化した以上のものを手に入れたようです。Yさんの活動は町の回覧板に乗り、人から人へ町をめぐる。
凹みそうになっていた心をジャンピングボードにしてヒョウタンから駒が飛び出したひとまずの大成功と言って良いでしょう。
そのYさんから昨夜「猫守りの心情」がつづられたメールが届き、ブログを読んでくださっている方々へ「お礼を」とメッセージがありましたので、お見せします。
横浜市神奈川区Yさんからのメール 
いつも保護活動ありがとうございます。
先日のブログ記事ありがとうございました。確かに、応援して下さる方がいらっしゃるからこそ、活動が出来るのですね。
1人では決して解決出来ませんでした。私からの感謝も皆様にお伝え頂けますと幸いです。
(中略)お陰様でこの春は子猫が増える事もなく、その後大きな問題も起きずに活動が継続出来ています。
回覧板効果か、話しかけてくる方が増えましたが、悪意を持ったものは無く、好意的なものがほとんどです。不良餌やりには閉口しますが。ただ、気は抜かずにおきます。
昨晩、日本テレビで「猫の殺処分ゼロを目指して」という番組をやっていたので、視てみました。殺処分を劇的に減らしている長野県の事例をとりあげていましたが、それでも行われる実際の殺処分の様子が映し出されて大泣きしてしまいました。
麻袋に押し込まれ、箱に入れられ、炭酸ガスを注入され、絶えていく小さな命。
さっきまで生きていたのに、もう動かない、もう二度と帰らない。小さな命。
犬や猫に何の責任が有るというのでしょうか。本当に悲しい。テレビに向かって手を合わせました。
無責任な飼い主、無責任な生体繁殖・販売のシステム、こんなものが早くなくなるよう、啓蒙を含め、努力していかなくてはと思いました。
テリトリーの子達を守りながら、まずは出来る事からやっていきます。暑くなってきましたので、体調を崩さぬよう、どうぞご自愛下さい。 猫の郵便/横浜ブランチYより
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そして誰もいなくなった
【路上で出合ったYさん~今では立派な地域猫活動家】そこは色とりどりの猫さんたちの阿鼻叫喚や飢餓を満載して。人々が行き交うしじまの海を、舵を失くした漂流船のようにあてどなく弄(もてあそ)ばれている風景色(かぜげしき)が来る日も来る日も繰り返されていました。
思えば、その一角だけで優に20匹を超える猫さんたちが、七年の間に通り過ぎて行きましたかね。
写真の三匹の猫さんがその最後の世代でした。そして、誰もいなくなった彼の地の脇道は、今はただぼうぼうと草が無造作さに生い茂っているだけになりました。
長い月日の星霜を踏みしめた猫さんたちの光芒後引く新地(さらち)は、今はもうただただ深閑として、誰もふり返り見る人はいません。
「しじま」とは口を閉じて黙りこくっていること。「しじま」に始まり、「しじま」に終わった印象が拭えませんね。彼の一角を通り過ぎるたびに、目の裏を影絵のように思い出の猫さんたちが通り過ぎて行きます。ちょっとした胸をかすめよぎる感傷です。
横浜市神奈川区で「保健所に通報するぞ!」と言いがかりをつけられた事件の当事者のYさんには、写真のジプティ君たちが暮らしたこの辺りで出会いました。あれは2年前、それとも3年前の初夏のことでしたっけ。
路上で「猫について」話しかけられ、それからの付き合いになります。
時の流れが埃を積もらせ、もう影も形も見えなくなった人がほとんどだけれど、その中で時はまた別の光持つ弓矢を放ち、今ではYさんは立派な地域猫活動家になり活躍するようになりました。
Yさんは今年初めの一時期、地域猫活動する横浜で袖ヶ浦ナンバーの男に「猫に車を傷つけられた」と執拗に付け回され、大騒動の中でもみくちゃにされましたが、対策が功を奏し、今は事態が鎮静化した以上のものを手に入れたようです。Yさんの活動は町の回覧板に乗り、人から人へ町をめぐる。
凹みそうになっていた心をジャンピングボードにしてヒョウタンから駒が飛び出したひとまずの大成功と言って良いでしょう。
そのYさんから昨夜「猫守りの心情」がつづられたメールが届き、ブログを読んでくださっている方々へ「お礼を」とメッセージがありましたので、お見せします。


いつも保護活動ありがとうございます。
先日のブログ記事ありがとうございました。確かに、応援して下さる方がいらっしゃるからこそ、活動が出来るのですね。
1人では決して解決出来ませんでした。私からの感謝も皆様にお伝え頂けますと幸いです。
(中略)お陰様でこの春は子猫が増える事もなく、その後大きな問題も起きずに活動が継続出来ています。
回覧板効果か、話しかけてくる方が増えましたが、悪意を持ったものは無く、好意的なものがほとんどです。不良餌やりには閉口しますが。ただ、気は抜かずにおきます。
昨晩、日本テレビで「猫の殺処分ゼロを目指して」という番組をやっていたので、視てみました。殺処分を劇的に減らしている長野県の事例をとりあげていましたが、それでも行われる実際の殺処分の様子が映し出されて大泣きしてしまいました。
麻袋に押し込まれ、箱に入れられ、炭酸ガスを注入され、絶えていく小さな命。
さっきまで生きていたのに、もう動かない、もう二度と帰らない。小さな命。
犬や猫に何の責任が有るというのでしょうか。本当に悲しい。テレビに向かって手を合わせました。
無責任な飼い主、無責任な生体繁殖・販売のシステム、こんなものが早くなくなるよう、啓蒙を含め、努力していかなくてはと思いました。
テリトリーの子達を守りながら、まずは出来る事からやっていきます。暑くなってきましたので、体調を崩さぬよう、どうぞご自愛下さい。 猫の郵便/横浜ブランチYより
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何カメラ向けてんの? 瞳の中心で叫ぶ
【世界の中心で 冷たい戦争】「どこかのボラとどこかのボラがドンパチのケンカをした」とか、「どのボラとどのボラが一触即発の犬猿の仲だ」とか。そういう話はどうしてなのか、超感度伝導体を伝って自然に聞こえて来るから不思議だ。そして、親切に教えてくれたりする人がいたりしてね。
でも、私は集団的自衛権(笑)や個別自衛権を積極行使して戦闘に参加する気など“さらさら小川”のようにない。
「春の小川はサラサラ行くよ」で、忙しすぎて無駄なエネルギーを労したくないというのが本当のところ。
一日に3ラウンドの外猫活動遠征サイクリングをして来ればもうヘロヘロ。挙句に、家に帰れば帰ったで、妖精バラタマタンをはじめとした四匹の猫さんたちの補液や投薬や強制給餌の栄養補給タイムの看病が待っている。足元では元気な猫さんが大勢して「看病なんてどうでもいいから、お腹がすいたよ」と鳴きわめく。
それに近ごろ様子が慌ただしくなって来ている黒猫マチュピュチュには、癌の疑いが出ているしね。とても口角泡を飛ばす水かけ戦闘に参加して、どっちかに加勢し返り血を浴びる気力など何処からも湧き上がって来ない。みんな元気でいいなぁーと思う。
でもさぁー。所詮、俺様と俺様の水掛け論だよね。水はやがて凍りつき、冷たい人格戦争(シカトし合い)になって氷結の終結を見るのが落ち。結局お互いに「世界の中心で俺様を叫んでいる」に過ぎない。「自分の方が世界の中心」⇔「いや、自分の方こそが世界の中心」と、我と我が張合う水掛け論争はケリがつかない。
違いをすり合わせ妥協点を探り出して行くむずかしさではなく、人は興奮しやすいドンパチのケンカの方に吸い寄せられてしまうんですね。どうしても。
日本人はホントにケンカが下手だね。永久戦争にしてしまう。自分は考えの違いで、例えば猫ボラのヨーロッパ人の女の人やイギリス人のリアムや人猫共生会議とケンケンガクガクすることがあっても、それはそれ、これはこれで、人間関係が破綻することはなかった。その話はそれで終わりで、次に会った時は「ヤァー」と声かけ合っている。
少ない猫ボラ同士、仲良くしなきゃ。ケンカをするなら、法律とか行政とかもっと大きいものと勝負しなきゃね。自分が踏みしめる領土を狭くするだけ。
こっちは毎日、世界の縁(へり)から落っこちないように気を配って街々の猫さんたちを巡って行く。とても自分を世界の中心などとは思えない。本当に端っこ。世界の外れ。世の中の底辺にしがみついて猫さんたちは生きている。
だから、自分の活動は、世界の片すみで外猫さんたちに身をすり寄せて端っこを一緒に歩くことだと思っている。
何も変えることが出来ない無駄な諍いに浮き身をやつすくらいなら、静かな気持ちで映画一本見る時間を作るか、CD一枚聴いていた方がいい。
自分を世界の中心だと思い込める俺様的なゴーマニズムの喧騒。結局のところ、俺様と俺様の諍いはいつも大事なテーマを取りこぼしているんだよね。
大事なテーマ?
はい。その大事なテーマとは、世の中の底辺でさえ生きることを許されず、丸い瞳を閉じさせられ“死を強要”される犬猫たちのことではないですか? 世界の片隅こそが世界(世の中)の問題点を語りかけている。
【おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。




何カメラ向けてんの? 瞳の中心で叫ぶ
【世界の中心で 冷たい戦争】「どこかのボラとどこかのボラがドンパチのケンカをした」とか、「どのボラとどのボラが一触即発の犬猿の仲だ」とか。そういう話はどうしてなのか、超感度伝導体を伝って自然に聞こえて来るから不思議だ。そして、親切に教えてくれたりする人がいたりしてね。
でも、私は集団的自衛権(笑)や個別自衛権を積極行使して戦闘に参加する気など“さらさら小川”のようにない。
「春の小川はサラサラ行くよ」で、忙しすぎて無駄なエネルギーを労したくないというのが本当のところ。
一日に3ラウンドの外猫活動遠征サイクリングをして来ればもうヘロヘロ。挙句に、家に帰れば帰ったで、妖精バラタマタンをはじめとした四匹の猫さんたちの補液や投薬や強制給餌の栄養補給タイムの看病が待っている。足元では元気な猫さんが大勢して「看病なんてどうでもいいから、お腹がすいたよ」と鳴きわめく。
それに近ごろ様子が慌ただしくなって来ている黒猫マチュピュチュには、癌の疑いが出ているしね。とても口角泡を飛ばす水かけ戦闘に参加して、どっちかに加勢し返り血を浴びる気力など何処からも湧き上がって来ない。みんな元気でいいなぁーと思う。
でもさぁー。所詮、俺様と俺様の水掛け論だよね。水はやがて凍りつき、冷たい人格戦争(シカトし合い)になって氷結の終結を見るのが落ち。結局お互いに「世界の中心で俺様を叫んでいる」に過ぎない。「自分の方が世界の中心」⇔「いや、自分の方こそが世界の中心」と、我と我が張合う水掛け論争はケリがつかない。
違いをすり合わせ妥協点を探り出して行くむずかしさではなく、人は興奮しやすいドンパチのケンカの方に吸い寄せられてしまうんですね。どうしても。
日本人はホントにケンカが下手だね。永久戦争にしてしまう。自分は考えの違いで、例えば猫ボラのヨーロッパ人の女の人やイギリス人のリアムや人猫共生会議とケンケンガクガクすることがあっても、それはそれ、これはこれで、人間関係が破綻することはなかった。その話はそれで終わりで、次に会った時は「ヤァー」と声かけ合っている。
少ない猫ボラ同士、仲良くしなきゃ。ケンカをするなら、法律とか行政とかもっと大きいものと勝負しなきゃね。自分が踏みしめる領土を狭くするだけ。
こっちは毎日、世界の縁(へり)から落っこちないように気を配って街々の猫さんたちを巡って行く。とても自分を世界の中心などとは思えない。本当に端っこ。世界の外れ。世の中の底辺にしがみついて猫さんたちは生きている。
だから、自分の活動は、世界の片すみで外猫さんたちに身をすり寄せて端っこを一緒に歩くことだと思っている。
何も変えることが出来ない無駄な諍いに浮き身をやつすくらいなら、静かな気持ちで映画一本見る時間を作るか、CD一枚聴いていた方がいい。
自分を世界の中心だと思い込める俺様的なゴーマニズムの喧騒。結局のところ、俺様と俺様の諍いはいつも大事なテーマを取りこぼしているんだよね。
大事なテーマ?
はい。その大事なテーマとは、世の中の底辺でさえ生きることを許されず、丸い瞳を閉じさせられ“死を強要”される犬猫たちのことではないですか? 世界の片隅こそが世界(世の中)の問題点を語りかけている。
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【犬猫目線で「Be My Love」を訳出】「猫の郵便プラットホーム」になってから約一年が過ぎました。疲労で目を悪くし、一年ぶりのネット環境への復帰と新しいブログ開設でしたから、去年の今頃は非常に不安な危なっかしいブログの再スタートでしたね。「また目を悪くするんじゃないか」とか「毛色が違う自分が受け入れてもらえるかどうか」とか、根は臆病な対人恐怖型の獣型(猫型)人間です。
しかし、何とか「プラットホーム」は猫活動と並走しながら一年を乗り切ることが出来ました。だから、今日はこれまで協力やサポートをして頂いた方々への、そのお礼のブログです。
冒頭のYouTubeはホセ・カレーラス(Jose Carreras)の「Be My Love」。これを訳してみました。一番得意なジャンルでのお礼です。
でも、歌詞の上っ面だけをなぞったのでは、時代背景が全然違うかなり昔に作られた曲なので、古色蒼然とした物凄く陳腐な仕上がりになってしまうと思い、切り口を変え目線を変え、訳出することにしました。
オーケストラの音色に見合うように、声質の格調に見合うように、直接的な意味訳ではなく、曲が醸し出している空気感を日本語に置き換えたつもりです。
訳で一番苦労するのは、日食や月食のように文化や言語が必ずしも対応する意味同士がぴったりと合致しない点にあります。だから、例えば歌詞の中にある「Love」という言葉は「愛」とか「愛して」と直接/直線的には訳さず、“そうである”状態を翻訳する手法を取りました。
Be My Love、曲をそらんじ外猫活動の最中に湾岸に広がる夜空を眺めていたら、ラブソングは人と人の間に生まれる「愛」や「恋」を歌っているものだけれど、この曲のピュアーさは人と動物の関係にまで押し広げても成り立つんじゃないかなと。ふと、そういう思いが胸を横切り、見つめる夜景の視界の中に外で暮らす大勢の猫たちの記憶や捨てられた犬猫の悲しげな瞳たち、そして救いの手もなく殺処分を待つ不安げな犬猫たちの気持ち、諸々が浮雲のように現れてはかき消えて行ったのです。
商売ではない、個人の自由ブログだから出来る“犬猫目線”を含み入れた奔放な翻訳手法です。人と人、人と動物、生き物同士の間に普遍的に横たわる「Love」という不思議な感情。向かい合うのが、人だけではなく、そばで暮らす自分の犬猫たちだけではなく、捨てられた犬猫、公共施設で死を待つ犬猫たちへも思いを馳せて、聴いて頂けたらうれしく思います。歌っているのが男性なので主語は「ぼく」にしました。
Be My Love 
ぼくに微笑みかけるそのままでいて
あこがれ見つめる 眼差しの行き先を 誰がとめることなどできよう
思いが届くのは 君と君の内なる寂しさが深まりゆく所で
空っぽの腕に中に抱きしめる宙(そら)
夢の中はいつも 君に焦がれる思いであふれ来るよう
ぼくを君にそそのかす甘いチカラ 体中を駆けめぐっている
ぼくの瞳の真ん中にいて
ぼくを炎と燃やす その唇で
一が千を語るよう 一つのキスが 千の孤独を呟くぼくの唇を やわらかく封じ込め・・
そしてふたり 手に手を取り
約束の大地に 踏み出してゆく時・・
握りしめる手は 君のほかに誰もいない
変わることなく ぼくに微笑みかける そのままでいてくれたなら
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【犬猫目線で「Be My Love」を訳出】「猫の郵便プラットホーム」になってから約一年が過ぎました。疲労で目を悪くし、一年ぶりのネット環境への復帰と新しいブログ開設でしたから、去年の今頃は非常に不安な危なっかしいブログの再スタートでしたね。「また目を悪くするんじゃないか」とか「毛色が違う自分が受け入れてもらえるかどうか」とか、根は臆病な対人恐怖型の獣型(猫型)人間です。
しかし、何とか「プラットホーム」は猫活動と並走しながら一年を乗り切ることが出来ました。だから、今日はこれまで協力やサポートをして頂いた方々への、そのお礼のブログです。
冒頭のYouTubeはホセ・カレーラス(Jose Carreras)の「Be My Love」。これを訳してみました。一番得意なジャンルでのお礼です。
でも、歌詞の上っ面だけをなぞったのでは、時代背景が全然違うかなり昔に作られた曲なので、古色蒼然とした物凄く陳腐な仕上がりになってしまうと思い、切り口を変え目線を変え、訳出することにしました。
オーケストラの音色に見合うように、声質の格調に見合うように、直接的な意味訳ではなく、曲が醸し出している空気感を日本語に置き換えたつもりです。
訳で一番苦労するのは、日食や月食のように文化や言語が必ずしも対応する意味同士がぴったりと合致しない点にあります。だから、例えば歌詞の中にある「Love」という言葉は「愛」とか「愛して」と直接/直線的には訳さず、“そうである”状態を翻訳する手法を取りました。
Be My Love、曲をそらんじ外猫活動の最中に湾岸に広がる夜空を眺めていたら、ラブソングは人と人の間に生まれる「愛」や「恋」を歌っているものだけれど、この曲のピュアーさは人と動物の関係にまで押し広げても成り立つんじゃないかなと。ふと、そういう思いが胸を横切り、見つめる夜景の視界の中に外で暮らす大勢の猫たちの記憶や捨てられた犬猫の悲しげな瞳たち、そして救いの手もなく殺処分を待つ不安げな犬猫たちの気持ち、諸々が浮雲のように現れてはかき消えて行ったのです。
商売ではない、個人の自由ブログだから出来る“犬猫目線”を含み入れた奔放な翻訳手法です。人と人、人と動物、生き物同士の間に普遍的に横たわる「Love」という不思議な感情。向かい合うのが、人だけではなく、そばで暮らす自分の犬猫たちだけではなく、捨てられた犬猫、公共施設で死を待つ犬猫たちへも思いを馳せて、聴いて頂けたらうれしく思います。歌っているのが男性なので主語は「ぼく」にしました。


ぼくに微笑みかけるそのままでいて
あこがれ見つめる 眼差しの行き先を 誰がとめることなどできよう
思いが届くのは 君と君の内なる寂しさが深まりゆく所で
空っぽの腕に中に抱きしめる宙(そら)
夢の中はいつも 君に焦がれる思いであふれ来るよう
ぼくを君にそそのかす甘いチカラ 体中を駆けめぐっている
ぼくの瞳の真ん中にいて
ぼくを炎と燃やす その唇で
一が千を語るよう 一つのキスが 千の孤独を呟くぼくの唇を やわらかく封じ込め・・
そしてふたり 手に手を取り
約束の大地に 踏み出してゆく時・・
握りしめる手は 君のほかに誰もいない
変わることなく ぼくに微笑みかける そのままでいてくれたなら
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【世界の中心で俺を叫ぶ 視野狭窄人格障害】「やられたぁー」と記事を書いてから日を置かずして、またまたまたやられちゃいました。今度は被害妄想の言いがかり。
相手は首にタオルをぶら下げ、大きな末広がりを足首の所で絞ったズボンをはいた労務者風の出で立ちの男。「アレレレレのレレ」という完全なインネンでしたね。
早番の外猫活動で、風に押されて現場に到着すると、お馴染みの作業現場をふさぐように自転車がチェーンで括りつけられていたので、「困ったなー」とほんの僅かの間、立ち往生していたら、男が突如現れ、いきなり「何だお前! ハァー! お前、俺のチャリンコに何する気だ! 盗むつもりだったんだろう!」とケンカ腰。
世の中、みな被害者意識で凝り固まっていて、世界の中心で“俺”だけを叫ぶかのように、ささくれ立っているのを感じました。世界の中心には「俺様」だけしか存在せず、「俺」だけが正義で後はみんな悪者か唯の風景なんですね。
彼の頭の中身は・・・。その世界観は・・・。
男は「いや、盗もうとしていた!」と言ったきり一歩も引かなかった。
「俺はちゃんと見てたんだぞー」。思い込んだら自分が正義の中心。これを「世界の中心で俺を叫ぶ」って言うんだなと、思いました。視野狭窄人格障害ですね。
前後に一杯の荷物を積み自転車で来て、体格がまるでちがうオシャレ自転車をどうやって持ち去れば良いんだと静かに言い含めたけど、猫のラジオくんはびっくりして走り去ってしまった。
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【世界の中心で俺を叫ぶ 視野狭窄人格障害】「やられたぁー」と記事を書いてから日を置かずして、またまたまたやられちゃいました。今度は被害妄想の言いがかり。
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早番の外猫活動で、風に押されて現場に到着すると、お馴染みの作業現場をふさぐように自転車がチェーンで括りつけられていたので、「困ったなー」とほんの僅かの間、立ち往生していたら、男が突如現れ、いきなり「何だお前! ハァー! お前、俺のチャリンコに何する気だ! 盗むつもりだったんだろう!」とケンカ腰。
世の中、みな被害者意識で凝り固まっていて、世界の中心で“俺”だけを叫ぶかのように、ささくれ立っているのを感じました。世界の中心には「俺様」だけしか存在せず、「俺」だけが正義で後はみんな悪者か唯の風景なんですね。
彼の頭の中身は・・・。その世界観は・・・。
男は「いや、盗もうとしていた!」と言ったきり一歩も引かなかった。
「俺はちゃんと見てたんだぞー」。思い込んだら自分が正義の中心。これを「世界の中心で俺を叫ぶ」って言うんだなと、思いました。視野狭窄人格障害ですね。
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いつも玄関で出迎えてくれるのはイリニフ
【生命線としてのブログ更新】時々ブログを休んでのんびりしたいと思うことがある。でも、そうはしない。何故なら「猫の郵便プラットホーム」は更新しないとランキング・ポイントが入らなくなると学習しているからです。
他のブログと違い当ブログは更新しなければポイントがガタガタッと落ちる。活動対象の99%は内と外の猫さんたち相手。猫さんの数が100匹居ようが、猫さんはPCを持っていないから「ポチッとクリックして」と、お願いは当然できない。
ゲゼルシャフト(利益社会)的な組織票もない。ゲマインシャフト的(共同社会)後ろ盾もない。対人顧客商売ではないからアポイントメントも取れない。ただ真面目にブログ更新するしか方法を知らないから、こうして忙しい日々が続いている。
ブログ更新がむずかしいのは私の言語能力の問題がありますね。言葉を知らない。言葉の意味を知らない。だから、間違いがないように正しい意味や正しい言い回しをコトバンクやWikipediaで調べて文章を作るので、どうしても時間がかかってしまう。通じないこと、出鱈目は書けないから、仕方がない。
テレビ乗りのおふざけやおちゃらけや下ネタでお茶を濁すのは柄じゃないし、なれ合いの“お友だち幻想”を虚構の中にねつ造し悦に入るのも激しく空しくなることだし、それもキックアウト。簡単➡脆くも➡崩れ去ってしまわないしっかりした建物を作るためには、虚勢やはったりではなく、レンガ職人が一個ゝ丹念にレンガを積み上げるように、ただ真面目に猫さんたちと向かい合い、ただ真面目に活動し、ただ真面目にブログ更新の日々を重ねる以外にどんなやり方もないようです。
昨日も書いた通り、私たちがブログを開設し「にほんブログ村」に参加した動機は、当時激しい嫌がらせや妨害に遭っていた為に、活動継続の安全策として取った方法です。世の中に私たちの活動を見えるようにしておけば、私たちへの「Yes or No」は妨害者でなく世間が決めてくれる。
皆さんが少なからずブログ村などのランキングで「猫の郵便」を見目の良い所に押し上げてくれたので、たとえば今年3月に起きた横浜市神奈川区の「保健所に通報するぞ!」と言いがかりをつけられた事件は警察や行政との話し合いの中で効力を発揮することが出来ました。非常に助かりました。
横浜市のYさんは警察や区役所から「どこの馬の骨か分からない奴」扱いを受けることなく、「猫の郵便」メンバーの社会貢献活動として対応してもらえたのです。独りよがりで手前勝手にやっている“わたくしごと”ではなく、皆さんの支持があるから、そこから勇気をもらって、社会の中で活動を続けられているのだと思っています。
言うならば、ブログは活動を守るアドバルーンであり、大事な生命線。おごりや怠慢でバルーン(風船)がしぼんでしまわないように、だから今日もポンプでブログに空気を吹き込んでいるのです。
【おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。



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【生命線としてのブログ更新】時々ブログを休んでのんびりしたいと思うことがある。でも、そうはしない。何故なら「猫の郵便プラットホーム」は更新しないとランキング・ポイントが入らなくなると学習しているからです。
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ブログ更新がむずかしいのは私の言語能力の問題がありますね。言葉を知らない。言葉の意味を知らない。だから、間違いがないように正しい意味や正しい言い回しをコトバンクやWikipediaで調べて文章を作るので、どうしても時間がかかってしまう。通じないこと、出鱈目は書けないから、仕方がない。
テレビ乗りのおふざけやおちゃらけや下ネタでお茶を濁すのは柄じゃないし、なれ合いの“お友だち幻想”を虚構の中にねつ造し悦に入るのも激しく空しくなることだし、それもキックアウト。簡単➡脆くも➡崩れ去ってしまわないしっかりした建物を作るためには、虚勢やはったりではなく、レンガ職人が一個ゝ丹念にレンガを積み上げるように、ただ真面目に猫さんたちと向かい合い、ただ真面目に活動し、ただ真面目にブログ更新の日々を重ねる以外にどんなやり方もないようです。
昨日も書いた通り、私たちがブログを開設し「にほんブログ村」に参加した動機は、当時激しい嫌がらせや妨害に遭っていた為に、活動継続の安全策として取った方法です。世の中に私たちの活動を見えるようにしておけば、私たちへの「Yes or No」は妨害者でなく世間が決めてくれる。
皆さんが少なからずブログ村などのランキングで「猫の郵便」を見目の良い所に押し上げてくれたので、たとえば今年3月に起きた横浜市神奈川区の「保健所に通報するぞ!」と言いがかりをつけられた事件は警察や行政との話し合いの中で効力を発揮することが出来ました。非常に助かりました。
横浜市のYさんは警察や区役所から「どこの馬の骨か分からない奴」扱いを受けることなく、「猫の郵便」メンバーの社会貢献活動として対応してもらえたのです。独りよがりで手前勝手にやっている“わたくしごと”ではなく、皆さんの支持があるから、そこから勇気をもらって、社会の中で活動を続けられているのだと思っています。
言うならば、ブログは活動を守るアドバルーンであり、大事な生命線。おごりや怠慢でバルーン(風船)がしぼんでしまわないように、だから今日もポンプでブログに空気を吹き込んでいるのです。
【おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。
猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。
22℃~19℃ 


【やられたぁー】今までにあれこれ思い出すのが億劫になるくらい現場や身辺などで嫌がらせや妨害や中傷やねつ造にさらされ猫活動をして来たので、今更何が起こってもいちいちもう驚きはしなくなった。
またか。よくやるよ。馬鹿馬鹿しい。相手にしていられない。反応は冷めたシビアなものなって来ている。
そして、昨夜もまたやられた。
真似や愉快犯を誘発したくないから詳しくは書かないけれど、自転車に細工された。現場活動でどうしても死角になる場所に自転車を止めて置かなければならず、約10分間目を放している隙にそれは起きた。
その現場の作業を終え、自転車のハンドルを握り走らせてみると、直ぐに異変が伝わって来た。
去年の暮れに新品の自転車に乗り代えてからこれで二回目。(08年~10年にはもっと嫌がらせは頻発していた)
自転車を押して活動を続け家路を帰ったのだが、驚きもショックも怒りも覚えなかった。もう慣れてしまっているのだ。現場で何があっても感情を激しく起伏させたり、一喜一憂して気持ちを乱さないようにしている。
通りすがりとサラリーマンの大都会。自分が住む町じゃない無責任がクロスする街々。軽い出来事なら、ちょっとした隙にハンドルに掛けて置いた傘を持ち逃げされたり、前カゴにゴミを放り込まれたりすることはしょっちゅう起きる。行きずりの言いがかり言葉の石つぶてなどは、朝飯前だと思ってなければやっていられない。
外猫活動はそういうものだと、身構えも免疫力もこうして備わってしまった。
外吹く風に身をさらさなければ外猫活動は出来ない。風のえり好みなどしていられない。甘んじて吹く風まかせの中にいる。
時代や世相を輪切りにすれば、吹いて来る風などおおよそこんなものだろう。
時代の輪切りは、格差社会、いじめ、虐待、DV、ネグレクト、労働過重に、論文不正に、金をつぎ込んだ一部のスポーツ選手やセレブに無理筋な虚像ストーリーを仕立て上げ湯水の如く垂れ流すスター・システムへの食傷。
出鱈目な事件と出鱈目な政治。背中合わせの出鱈目なマスコミ報道。恥知らずな御用学者たちに、ネットにはびこるネトウヨたちの言葉の堕落。等々。
どこかにはけ口やストレス解消=憂さ晴らしを求めなければやってられない➡やり切れない、それが叩きという現象になって現れるのだろうか。
ストレス、うつ、多動性、自閉症、そしてモンスター。世相の切り口から吹き荒れる風は箒で押し出すかのように社会の外にはじき出された犬猫たちの不幸も同時に運んで来る。社会の病理(病む人)は、不幸にあえぐ者(犬猫を含む)たちを助ける方向に向かうのではなく、むしろ助けようとする人たちに刃(やいば)が向けられる例が顕著だ。
しかし、長い経験が達観することを教えてくれた。だから、何が起きても、物品や心身のバックアップ態勢を整え備えている。スペア、二枚腰、シビアでニヒルなおかつアイロニカルな性格。
悪さを仕掛ける相手の心の内など考えるだけ今は鬱陶しい。
ブログを始めたのも活動のセーフティーネットを作るためだった。忙しくてもなるべく更新するようにしているのはその為。だから、「猫の郵便プラットホーム」にポチッとクリックで客観的な社会的位置を与えてくれているサイレンスの中に住む人たちには本当に心から感謝している。支えをいつもどうもありがとう。
あれこれ慌ただしく、そして忙しく。写真やヴィジュアルまで手が回りません。ごめんなさい。
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そして、昨夜もまたやられた。
真似や愉快犯を誘発したくないから詳しくは書かないけれど、自転車に細工された。現場活動でどうしても死角になる場所に自転車を止めて置かなければならず、約10分間目を放している隙にそれは起きた。
その現場の作業を終え、自転車のハンドルを握り走らせてみると、直ぐに異変が伝わって来た。
去年の暮れに新品の自転車に乗り代えてからこれで二回目。(08年~10年にはもっと嫌がらせは頻発していた)
自転車を押して活動を続け家路を帰ったのだが、驚きもショックも怒りも覚えなかった。もう慣れてしまっているのだ。現場で何があっても感情を激しく起伏させたり、一喜一憂して気持ちを乱さないようにしている。
通りすがりとサラリーマンの大都会。自分が住む町じゃない無責任がクロスする街々。軽い出来事なら、ちょっとした隙にハンドルに掛けて置いた傘を持ち逃げされたり、前カゴにゴミを放り込まれたりすることはしょっちゅう起きる。行きずりの言いがかり言葉の石つぶてなどは、朝飯前だと思ってなければやっていられない。
外猫活動はそういうものだと、身構えも免疫力もこうして備わってしまった。
外吹く風に身をさらさなければ外猫活動は出来ない。風のえり好みなどしていられない。甘んじて吹く風まかせの中にいる。
時代や世相を輪切りにすれば、吹いて来る風などおおよそこんなものだろう。
時代の輪切りは、格差社会、いじめ、虐待、DV、ネグレクト、労働過重に、論文不正に、金をつぎ込んだ一部のスポーツ選手やセレブに無理筋な虚像ストーリーを仕立て上げ湯水の如く垂れ流すスター・システムへの食傷。
出鱈目な事件と出鱈目な政治。背中合わせの出鱈目なマスコミ報道。恥知らずな御用学者たちに、ネットにはびこるネトウヨたちの言葉の堕落。等々。
どこかにはけ口やストレス解消=憂さ晴らしを求めなければやってられない➡やり切れない、それが叩きという現象になって現れるのだろうか。
ストレス、うつ、多動性、自閉症、そしてモンスター。世相の切り口から吹き荒れる風は箒で押し出すかのように社会の外にはじき出された犬猫たちの不幸も同時に運んで来る。社会の病理(病む人)は、不幸にあえぐ者(犬猫を含む)たちを助ける方向に向かうのではなく、むしろ助けようとする人たちに刃(やいば)が向けられる例が顕著だ。
しかし、長い経験が達観することを教えてくれた。だから、何が起きても、物品や心身のバックアップ態勢を整え備えている。スペア、二枚腰、シビアでニヒルなおかつアイロニカルな性格。
悪さを仕掛ける相手の心の内など考えるだけ今は鬱陶しい。
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【保護猫マチュピュチュ暗中模索】原因が分からない病気の中にいる保護猫マチュピュチュは「溶血性の貧血ならステロイドで止まるかもしれない」と、ステロイド + 抗生剤治療+皮下輸液を受け様子を看ている。
帰宅後、マチュピュチュはステロイドの効き目で過ぎたる食欲を発揮し、この時とばかりに各種キャットフードと焼き魚もろもろを要求通りに上げてみた。
普段なら「あれは食べない、これも食べない」と困り果てるところだが、ステロイド効用のせいで何でも食べた。他の猫たちが近づくものなら唸り声を上げて食べていた。その様子は「ガブリガブリ」かぶりついて食べたと言った方がいいかもしれない。
猫のマチュピュチュが食べたというより、マチュピュチュの中のステロイド怪獣がむさぼり食ったという感じだった。しかし、下痢症状は一夜明けても改善は見られなかった。
こうして暗中模索し、マチュピュチュの闘病物語は続いている。
マチュピュチュを拾ったのは7年前の初夏に差し掛かろうとしていた6月の終わりのこと。生後二か月くらいの姿形だった。それはTNRを全てやり終えた10匹を超える外猫が暮らす生息地。
そこにひょこり藪の中から小さな黒猫が顔を出した。「折角、苦労してTNRを全部終えたのに、またー!」と。
大きな幹線道路と水路に閉ざされた場所は子猫一匹が自力で迷い込める所ではなかった。捨て猫だった。相当お腹が空いているように見えた。
無論、通常の外猫活動にキャリーや捕獲器など持ち歩かない。だが、捕まえられる時に捕まえなければ永遠に取り逃がしてしまうかもしれないという思いが走り、食べ物でだまし“むんず”と捕まえ、小さな体を片手で抑えながら、バックパックの荷物を地面に叩き落し、それに子猫マチュピュチュを押し込んで家に連れ帰ったっけね。・・・遠い思い出。
マチュピュチュに譲渡先が決まりかけたこともあったけれど、条件が合わずに直ぐにその話は流れた。今にして思えば気難しいマチュピュチュ、若いカップルで木造のアパートでは無理だったろう。
気難しく独立独歩のスタイルで人馴れしないマチュピュチュ、結果的にここで良かった。
捨てられた運命。里親が決まらなかった運命。こうして7年間近からず遠からず共に暮らして来た運命。そして、治すのが難しい病気になった宿命。マチュピュチュの物語の先に何が待ち受けているのか。外猫、保護猫、それぞれの命が問いかけている瞳がある。優しくあろうと思っている。
人間である自分もそうだが、「どう生きるかは、どう死ぬのか」ということ。猫についても同じで、「どう生きさせて上げるかは、どう死を迎えさせて上げるのか」ということだと思う。このことをいつも頭と心の中に置いて「猫たちの福祉活動」をしている。
猫に曳かれ遥々と・・・
手探りの暗夜行路が続いている。
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【保護猫マチュピュチュ暗中模索】原因が分からない病気の中にいる保護猫マチュピュチュは「溶血性の貧血ならステロイドで止まるかもしれない」と、ステロイド + 抗生剤治療+皮下輸液を受け様子を看ている。
帰宅後、マチュピュチュはステロイドの効き目で過ぎたる食欲を発揮し、この時とばかりに各種キャットフードと焼き魚もろもろを要求通りに上げてみた。
普段なら「あれは食べない、これも食べない」と困り果てるところだが、ステロイド効用のせいで何でも食べた。他の猫たちが近づくものなら唸り声を上げて食べていた。その様子は「ガブリガブリ」かぶりついて食べたと言った方がいいかもしれない。
猫のマチュピュチュが食べたというより、マチュピュチュの中のステロイド怪獣がむさぼり食ったという感じだった。しかし、下痢症状は一夜明けても改善は見られなかった。
こうして暗中模索し、マチュピュチュの闘病物語は続いている。
マチュピュチュを拾ったのは7年前の初夏に差し掛かろうとしていた6月の終わりのこと。生後二か月くらいの姿形だった。それはTNRを全てやり終えた10匹を超える外猫が暮らす生息地。
そこにひょこり藪の中から小さな黒猫が顔を出した。「折角、苦労してTNRを全部終えたのに、またー!」と。
大きな幹線道路と水路に閉ざされた場所は子猫一匹が自力で迷い込める所ではなかった。捨て猫だった。相当お腹が空いているように見えた。
無論、通常の外猫活動にキャリーや捕獲器など持ち歩かない。だが、捕まえられる時に捕まえなければ永遠に取り逃がしてしまうかもしれないという思いが走り、食べ物でだまし“むんず”と捕まえ、小さな体を片手で抑えながら、バックパックの荷物を地面に叩き落し、それに子猫マチュピュチュを押し込んで家に連れ帰ったっけね。・・・遠い思い出。
マチュピュチュに譲渡先が決まりかけたこともあったけれど、条件が合わずに直ぐにその話は流れた。今にして思えば気難しいマチュピュチュ、若いカップルで木造のアパートでは無理だったろう。
気難しく独立独歩のスタイルで人馴れしないマチュピュチュ、結果的にここで良かった。
捨てられた運命。里親が決まらなかった運命。こうして7年間近からず遠からず共に暮らして来た運命。そして、治すのが難しい病気になった宿命。マチュピュチュの物語の先に何が待ち受けているのか。外猫、保護猫、それぞれの命が問いかけている瞳がある。優しくあろうと思っている。
人間である自分もそうだが、「どう生きるかは、どう死ぬのか」ということ。猫についても同じで、「どう生きさせて上げるかは、どう死を迎えさせて上げるのか」ということだと思う。このことをいつも頭と心の中に置いて「猫たちの福祉活動」をしている。
猫に曳かれ遥々と・・・
手探りの暗夜行路が続いている。
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拾ってから60日あたりの子猫時代 ’09
【猫の病気 病院との付き合い方】猫の病気について、口を開けば「病院! 病院!」と騒いでいる人たちがいる。でも、今の犬猫医療事情を考えると、それもどうなのかなと考え込むことがしばしある。犬猫病院に行って何もかも解決するのならば、それも良かろう。
だが、全てを病院に依存するほど、今のというか、日本のというか、動物医療は技術的にも倫理的にも獣医師と患者の意思疎通に於いてもレベルが高いとは言えないのを、歯ぎしりするほど経験して来た。
犬猫病院は人間の病院のように内科とか外科とか小児科とか専門別になってはいない。多くは一人の獣医師が全科の病気を診察する。専門を明らかにしている先生はほとんどいない。
各病院の技術にも備えている医療機器にもかなりのバラツキがある。外猫は診察しないと明示している病院もあったりしてね。
では、東京大学家畜病院などの大学病院なら絶対の信用を置けるかというと、あながちそうとも言い切れない。それには苦い思いを幾度か経験している。(いつか「猫の病気+病院=悪徳医者編」カテゴリーで書こうと思っている)
結局は病に伏せる猫を見守る一番の方法は、飼い主の愛情と決断と判断に尽きるということだ。どう獣医師と付き合うのか。どう病院を使いこなすのか。100%、犬猫病院に任せっきりにはしなくなった。
ましてや、体調不良で不安の中にいる猫を病院に入院させたっきりにして、見知らぬ所で独りっきりで死なせるなんて自分の中では言語道断。治療の見込みがないのならば、勝手知った我が家で看取ってあげたい、この考えがいつからか揺るぎない自分の動物を見守る倫理観になって行った。大事な節目は、共に暮らした飼い主であるこの私がそばにしっかり寄り添い決めて上げなければと。
人間の病気でも病気を特定し、適切な治療に行き着くまでは、かなり紆余曲折する。それとて更にセカンドオピニオンや転院などの経過を経ることなど多々あり、病気と医療(病院)の関係は薄氷を踏む悩ましいものだ。世に名が知れた名医と言えども、相性が悪ければ町の唯の医者より悪い闘病生活になるということは今では通説になっている。
幸い、今付き合っている獣医師の先生とはコミュニケーションが上手く行っている。分からないことに関しては分からないとはっきり言ってくれるし、お為ごかしを言わない。適当な病名を付けて、気休めの大量の薬を押しつけるようなこともしない。今まで、専門外のことについては別の獣医師の先生を紹介してくれた。
今回の保護猫マチュピュチュの診察でも、ありのままを伝えてくれている。
妖精バラタマタンの皮下補液を自分でするように促してくれたのも、この先生だ。
さて、これから難病のマチュピュチュの病気とどう向かい合って行けば良いのか。それは、これまでの、そして今を生きる普段のマチュピュチュとの対話=コミュニケーションから探り出して行こうと思っている。
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拾ってから60日あたりの子猫時代 ’09
【猫の病気 病院との付き合い方】猫の病気について、口を開けば「病院! 病院!」と騒いでいる人たちがいる。でも、今の犬猫医療事情を考えると、それもどうなのかなと考え込むことがしばしある。犬猫病院に行って何もかも解決するのならば、それも良かろう。
だが、全てを病院に依存するほど、今のというか、日本のというか、動物医療は技術的にも倫理的にも獣医師と患者の意思疎通に於いてもレベルが高いとは言えないのを、歯ぎしりするほど経験して来た。
犬猫病院は人間の病院のように内科とか外科とか小児科とか専門別になってはいない。多くは一人の獣医師が全科の病気を診察する。専門を明らかにしている先生はほとんどいない。
各病院の技術にも備えている医療機器にもかなりのバラツキがある。外猫は診察しないと明示している病院もあったりしてね。
では、東京大学家畜病院などの大学病院なら絶対の信用を置けるかというと、あながちそうとも言い切れない。それには苦い思いを幾度か経験している。(いつか「猫の病気+病院=悪徳医者編」カテゴリーで書こうと思っている)
結局は病に伏せる猫を見守る一番の方法は、飼い主の愛情と決断と判断に尽きるということだ。どう獣医師と付き合うのか。どう病院を使いこなすのか。100%、犬猫病院に任せっきりにはしなくなった。
ましてや、体調不良で不安の中にいる猫を病院に入院させたっきりにして、見知らぬ所で独りっきりで死なせるなんて自分の中では言語道断。治療の見込みがないのならば、勝手知った我が家で看取ってあげたい、この考えがいつからか揺るぎない自分の動物を見守る倫理観になって行った。大事な節目は、共に暮らした飼い主であるこの私がそばにしっかり寄り添い決めて上げなければと。
人間の病気でも病気を特定し、適切な治療に行き着くまでは、かなり紆余曲折する。それとて更にセカンドオピニオンや転院などの経過を経ることなど多々あり、病気と医療(病院)の関係は薄氷を踏む悩ましいものだ。世に名が知れた名医と言えども、相性が悪ければ町の唯の医者より悪い闘病生活になるということは今では通説になっている。
幸い、今付き合っている獣医師の先生とはコミュニケーションが上手く行っている。分からないことに関しては分からないとはっきり言ってくれるし、お為ごかしを言わない。適当な病名を付けて、気休めの大量の薬を押しつけるようなこともしない。今まで、専門外のことについては別の獣医師の先生を紹介してくれた。
今回の保護猫マチュピュチュの診察でも、ありのままを伝えてくれている。
妖精バラタマタンの皮下補液を自分でするように促してくれたのも、この先生だ。
さて、これから難病のマチュピュチュの病気とどう向かい合って行けば良いのか。それは、これまでの、そして今を生きる普段のマチュピュチュとの対話=コミュニケーションから探り出して行こうと思っている。
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【猫の病気 人の強さ弱さが問われる時】保護猫マチュピュチュは昨日の記事でも書いた通り、独立独歩の超気難しい猫さん。これまでもコントロール不能の猫さんでした。
室内猫であっても、人・猫双方に親和性がなく、捕まえキャリーに入れ病院遠征などという気配を少しでも見せたものならば、スーパー・エキセントリックな反応を示し逃げ回るばかりで、しかし急激に痩せて行くのを黙って静観してはいられず、意を決して強引に捕まえ、やっとのことで犬猫病院に行って来ました。
悲しいかな、捕まえられたのは体力が落ちていたのが功を奏したようです。キャリーに入れる時に激しい抵抗に合い多少引っ掻かれましたが。
犬猫病院に着いたマチュピュチュは色んな検査を受けましたが、深刻なことにレントゲン検査でマチュピュチュのお腹の臓器は影も形も映らなかったのです。この原因を先生は、皮下脂肪が薄すぎるせいなのか、腹水がたまっているためなのか、二つの点を指摘し首をかしげました。
次に血液検査の結果は白血球の数値が異常に高く、体内のどこかで炎症が起きているということだが、エコー検査やMRI撮影しなければ分からないという判断でした。
たとえ精密な検査で体内の炎症場所が分かったとしても、適合治療が見つかるかどうか、これも不明。体重1.9キロ、脱水もあり、熱もあり、口内炎もあり、黄だん症状もあり、下痢症状が止まらない。しかし、全ての検査数値が悪い出方をしているこんな状態にも関わらず、僅かではあっても食欲がマチュピュチュに残っているのが驚きだと先生はおっしゃっていました。
医学に万能はなく、打つ手なし。
今は、僅かに残っている食欲にすがるしか対処法がなく、毎回毎回マチュピュチュの気のおもむく嗜好を手探りで探す日々。・・・前回、刺身を食べたからと言って、次に同じように食べてくれるとは限らず。マチュピュチュの食のおもむきは、気まぐれな空模様のように次々と“住み家”を移りかえて行き、定まりがなく、あの手この手だましだましの命の糸がいつまで続いてくれるものなのか。
外猫活動との掛け持ちの看病、人間の方の死生観の深さと忍びが問われているようです。
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【猫の病気 人の強さ弱さが問われる時】保護猫マチュピュチュは昨日の記事でも書いた通り、独立独歩の超気難しい猫さん。これまでもコントロール不能の猫さんでした。
室内猫であっても、人・猫双方に親和性がなく、捕まえキャリーに入れ病院遠征などという気配を少しでも見せたものならば、スーパー・エキセントリックな反応を示し逃げ回るばかりで、しかし急激に痩せて行くのを黙って静観してはいられず、意を決して強引に捕まえ、やっとのことで犬猫病院に行って来ました。
悲しいかな、捕まえられたのは体力が落ちていたのが功を奏したようです。キャリーに入れる時に激しい抵抗に合い多少引っ掻かれましたが。
犬猫病院に着いたマチュピュチュは色んな検査を受けましたが、深刻なことにレントゲン検査でマチュピュチュのお腹の臓器は影も形も映らなかったのです。この原因を先生は、皮下脂肪が薄すぎるせいなのか、腹水がたまっているためなのか、二つの点を指摘し首をかしげました。
次に血液検査の結果は白血球の数値が異常に高く、体内のどこかで炎症が起きているということだが、エコー検査やMRI撮影しなければ分からないという判断でした。
たとえ精密な検査で体内の炎症場所が分かったとしても、適合治療が見つかるかどうか、これも不明。体重1.9キロ、脱水もあり、熱もあり、口内炎もあり、黄だん症状もあり、下痢症状が止まらない。しかし、全ての検査数値が悪い出方をしているこんな状態にも関わらず、僅かではあっても食欲がマチュピュチュに残っているのが驚きだと先生はおっしゃっていました。
医学に万能はなく、打つ手なし。
今は、僅かに残っている食欲にすがるしか対処法がなく、毎回毎回マチュピュチュの気のおもむく嗜好を手探りで探す日々。・・・前回、刺身を食べたからと言って、次に同じように食べてくれるとは限らず。マチュピュチュの食のおもむきは、気まぐれな空模様のように次々と“住み家”を移りかえて行き、定まりがなく、あの手この手だましだましの命の糸がいつまで続いてくれるものなのか。
外猫活動との掛け持ちの看病、人間の方の死生観の深さと忍びが問われているようです。
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【今の心境を表せばこういう気持ち Radiohead「Creep」】「スーツを着た猫~ぶちゃけトーク7」をタイトルにブログ更新を予定していましたが、生き物と向かい合う活動、予定は未定、何事も思うようには運んでくれません。不治の病で療養中の保護猫バラタマタンを追い越すかのように、同僚の保護猫マチュピュチュの容態が風雲急を告げ、思わしくないのです。犬猫病院の診察結果は原因不明。しかし、それでもマチュピュチュが生きてゆくためには、とにかく栄養補給をと。あの手この手を使って食べさせるのに苦心しているところです。かかりっきりです。
妖精バラタマタンは適合する療法が見つかり“妖精”になったまま延命を続けていてくれるけれど・・・。病魔の原因が不明だと言われているマチュピュチュに、果たして適合する療法が見つかるかどうかは不透明で、見通しが全く立ちません。
黒猫マチュピュチュは“超”がつくほど陰にこもるキャラクターで独立独歩。さわったり抱っこしたりするが大変にむずかしい猫さんなので、今まで十分なことをして上げられていたかどうか。
気持ちを言い表すならば、イギリスのロックバンドRadioheadの「Creep」の心境です。内容は「自分にはこの世界に居場所がなく」、自分を「弱虫で情けない奴」だと歌う、曲全編に喪失の思いがあふれ漂っています。
大サビの「She runs runs runs」の声の響きを聞き取ってくれれば、“喪失の思い”の空間把握が出来ると思います。いつかブログ上で翻訳します。
命が綾なす光と影のつづれ織り、猫の郵便リビングルームの事情、取りあえず取り急ぎのブログ更新でした。
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【今の心境を表せばこういう気持ち Radiohead「Creep」】「スーツを着た猫~ぶちゃけトーク7」をタイトルにブログ更新を予定していましたが、生き物と向かい合う活動、予定は未定、何事も思うようには運んでくれません。不治の病で療養中の保護猫バラタマタンを追い越すかのように、同僚の保護猫マチュピュチュの容態が風雲急を告げ、思わしくないのです。犬猫病院の診察結果は原因不明。しかし、それでもマチュピュチュが生きてゆくためには、とにかく栄養補給をと。あの手この手を使って食べさせるのに苦心しているところです。かかりっきりです。
妖精バラタマタンは適合する療法が見つかり“妖精”になったまま延命を続けていてくれるけれど・・・。病魔の原因が不明だと言われているマチュピュチュに、果たして適合する療法が見つかるかどうかは不透明で、見通しが全く立ちません。
黒猫マチュピュチュは“超”がつくほど陰にこもるキャラクターで独立独歩。さわったり抱っこしたりするが大変にむずかしい猫さんなので、今まで十分なことをして上げられていたかどうか。
気持ちを言い表すならば、イギリスのロックバンドRadioheadの「Creep」の心境です。内容は「自分にはこの世界に居場所がなく」、自分を「弱虫で情けない奴」だと歌う、曲全編に喪失の思いがあふれ漂っています。
大サビの「She runs runs runs」の声の響きを聞き取ってくれれば、“喪失の思い”の空間把握が出来ると思います。いつかブログ上で翻訳します。
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ピーポくん
【検問、そして職務質問に抗して】「猫の郵便」は3人で活動するボランティア・グループ。それぞれに役割分担の違いはあるが、外猫活動は共通して皆がしている。外猫活動は当然至極「外で暮らす猫の世話をする」活動だから、毎日が屋外での作業になる。
その内の一人が一日に1時間半~2時間、もう一人が2時間~2時間半、そして猫の郵便フーテンの私は“言い出しっぺ”だから一日通算4時間強の外猫活動を受け持っている。
パトカーや警官が多い東京・港区の街々。猫活動で街行く往来にはひっきりなしに警察の姿が行き来している。街の随所に警官の姿が何時でも何処にでもあって「安心安全」な側面はあるが、それが同時にストレスにも時にはなる。
何故ならば、先を急ぐ外猫活動、職務質問や自転車の登録確認で呼び止められる時間ロスが痛いのだ。
一回のラウンドで2回も3回も引っかけられると「もううんざり」してしまう。
同じ質問、同じ答え、口の中に再生テープを仕込んで置くか、法で定め「特定地域猫活動通行許可証」でも発行してもらいたくなるくらいだ。
猫の郵便の3人の中では私がダントツで警察の網の目に引っかかる。それは単純に私が外気に触れている時間が一番長いからだが、それにしても余りにも多すぎる。単なる自転車の登録チェックだけならいいけれど、身辺にあらぬ予見を持たれ「何をしている」「何をしに行く」となると厄介になる。
それはそれぞれほとんどのお巡りさんが、ボランティアに対する知識が無く、法に対する知識にも乏しく、ましてや捨て猫問題/野良猫問題に至っては一般の市民と同等レベルの認識しか持ち合わせていず、時に事情説明を長引かせる原因になっている。
だから、毎度毎回、猫活動Q&Aの一から説明をし始めなければならない。それで用意したのが、自分たちで作った「目でわかる地域猫ガイド」をプリントアウトしたステッカー、そして名刺と携帯ストラップの“ピーポくん(警察のマスコットキャラクター)”。これらは猫の郵便の外猫活動「三種の神器」、ほぼ毎日持ち歩いている。
ステッカーは、言うまでもなく「私たちの活動が社会貢献活動である “実際”」を目で見て確認してもらうようにするため。名刺には「猫の郵便」の前口上に「動物愛護法推進グループ」と謳ってからは各お巡りさんに抜群の効果があった。そして、携帯ストラップのピーポくんは胸ポケットから垂れるようにしてぶら下げ「物騒な街だから・・・」と指さすと、お巡りさんに手早く信用してもらえる一つのキッカケになった。中には「気をつけて」と送り言葉をかけてくれるジェントルなポリスマンも今ではいる。
自転車の登録も個人名ではなくボラ・グループ名でしている。全ては経験がもたらしてくれたもの。職務質問には個人の身分を前面に打ち出すのではなく、していること/やっていることの社会的意義を強調するようにしている。
警察が対面している法を犯す者と、私たちの猫活動が対面している悪い奴をシンクロさせ、警察をリスペクトしながら、共に悪い奴らと相対している心理的共鳴を呼ぶためだ。
呼び止められた時、警察官と対等に話し合うためには、とにかく非を作らないような行動を心がけている。携帯をいじりながらや無灯火で自転車を走らせない。信号無視をしない。路上でのケンカ腰の挑発には決して乗らない。区役所・地元・警察署などに活動報告書を提出している合法的な活動であること等々。
ボランティアが悪いことをしたら命取りになることを話し始めで必ずする。警察は人を疑う職業だから、怪しさや非があればどんどん攻め込まれる。攻め込まれないためには、自らの活動を堂々とさらけ出しても良い状態にして置くのが全てかもしれない。オープンセサミ、何でも見て下さいってね。
疑いの眼差しには「していません」と打消し法で答えるのではなく、愛護法や環境省という言葉を効果的に散りばめ動物福祉活動(地域猫)が正当なものであることを、サッカーボールを長く高く蹴り上げる具合にオーバーラップ手法で説明する方が効果的だということを最近になって分かりかけて来た。
投げられた小さな言葉のボールを小競り合いしているようでは話がややこしくなり押し問答を引き起こす。
猫に関して警察は素人、こちらは玄人。玄人の立場で説明するようになってから、事態を簡単にクリア出来ている。

ただし、これらの方法は活動が真面目で正当なものでなければ使えない。行政や法と連動性がなければ強い説得力には中々ならない。
まずは一人で活動している人でも、「人猫共生会議」とか「猫の郵便」という風に活動名を付けてから世の中に舟をこぎ出すことが何より大事な大前提。
名無しの活動では「個人の一心情」と一笑にふされ、大海のもくずと消えゆく運命にされかねないしね。
だから、横浜市神奈川区で言いがかり事件に巻き込まれたYさんには、「猫の郵便・横浜ブランチ」と名乗ってもらうことになり、名刺の原版を渡してある。活動名/団体名の前に「動物愛護法推進グループ」と謳っているのがツボであり、肝心です。「法」を脱字しては効果なし。
【おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。



ピーポくん
【検問、そして職務質問に抗して】「猫の郵便」は3人で活動するボランティア・グループ。それぞれに役割分担の違いはあるが、外猫活動は共通して皆がしている。外猫活動は当然至極「外で暮らす猫の世話をする」活動だから、毎日が屋外での作業になる。
その内の一人が一日に1時間半~2時間、もう一人が2時間~2時間半、そして猫の郵便フーテンの私は“言い出しっぺ”だから一日通算4時間強の外猫活動を受け持っている。
パトカーや警官が多い東京・港区の街々。猫活動で街行く往来にはひっきりなしに警察の姿が行き来している。街の随所に警官の姿が何時でも何処にでもあって「安心安全」な側面はあるが、それが同時にストレスにも時にはなる。
何故ならば、先を急ぐ外猫活動、職務質問や自転車の登録確認で呼び止められる時間ロスが痛いのだ。
一回のラウンドで2回も3回も引っかけられると「もううんざり」してしまう。
同じ質問、同じ答え、口の中に再生テープを仕込んで置くか、法で定め「特定地域猫活動通行許可証」でも発行してもらいたくなるくらいだ。
猫の郵便の3人の中では私がダントツで警察の網の目に引っかかる。それは単純に私が外気に触れている時間が一番長いからだが、それにしても余りにも多すぎる。単なる自転車の登録チェックだけならいいけれど、身辺にあらぬ予見を持たれ「何をしている」「何をしに行く」となると厄介になる。
それはそれぞれほとんどのお巡りさんが、ボランティアに対する知識が無く、法に対する知識にも乏しく、ましてや捨て猫問題/野良猫問題に至っては一般の市民と同等レベルの認識しか持ち合わせていず、時に事情説明を長引かせる原因になっている。
だから、毎度毎回、猫活動Q&Aの一から説明をし始めなければならない。それで用意したのが、自分たちで作った「目でわかる地域猫ガイド」をプリントアウトしたステッカー、そして名刺と携帯ストラップの“ピーポくん(警察のマスコットキャラクター)”。これらは猫の郵便の外猫活動「三種の神器」、ほぼ毎日持ち歩いている。
ステッカーは、言うまでもなく「私たちの活動が社会貢献活動である “実際”」を目で見て確認してもらうようにするため。名刺には「猫の郵便」の前口上に「動物愛護法推進グループ」と謳ってからは各お巡りさんに抜群の効果があった。そして、携帯ストラップのピーポくんは胸ポケットから垂れるようにしてぶら下げ「物騒な街だから・・・」と指さすと、お巡りさんに手早く信用してもらえる一つのキッカケになった。中には「気をつけて」と送り言葉をかけてくれるジェントルなポリスマンも今ではいる。
自転車の登録も個人名ではなくボラ・グループ名でしている。全ては経験がもたらしてくれたもの。職務質問には個人の身分を前面に打ち出すのではなく、していること/やっていることの社会的意義を強調するようにしている。
警察が対面している法を犯す者と、私たちの猫活動が対面している悪い奴をシンクロさせ、警察をリスペクトしながら、共に悪い奴らと相対している心理的共鳴を呼ぶためだ。
呼び止められた時、警察官と対等に話し合うためには、とにかく非を作らないような行動を心がけている。携帯をいじりながらや無灯火で自転車を走らせない。信号無視をしない。路上でのケンカ腰の挑発には決して乗らない。区役所・地元・警察署などに活動報告書を提出している合法的な活動であること等々。
ボランティアが悪いことをしたら命取りになることを話し始めで必ずする。警察は人を疑う職業だから、怪しさや非があればどんどん攻め込まれる。攻め込まれないためには、自らの活動を堂々とさらけ出しても良い状態にして置くのが全てかもしれない。オープンセサミ、何でも見て下さいってね。
疑いの眼差しには「していません」と打消し法で答えるのではなく、愛護法や環境省という言葉を効果的に散りばめ動物福祉活動(地域猫)が正当なものであることを、サッカーボールを長く高く蹴り上げる具合にオーバーラップ手法で説明する方が効果的だということを最近になって分かりかけて来た。
投げられた小さな言葉のボールを小競り合いしているようでは話がややこしくなり押し問答を引き起こす。
猫に関して警察は素人、こちらは玄人。玄人の立場で説明するようになってから、事態を簡単にクリア出来ている。

ただし、これらの方法は活動が真面目で正当なものでなければ使えない。行政や法と連動性がなければ強い説得力には中々ならない。
まずは一人で活動している人でも、「人猫共生会議」とか「猫の郵便」という風に活動名を付けてから世の中に舟をこぎ出すことが何より大事な大前提。
名無しの活動では「個人の一心情」と一笑にふされ、大海のもくずと消えゆく運命にされかねないしね。
だから、横浜市神奈川区で言いがかり事件に巻き込まれたYさんには、「猫の郵便・横浜ブランチ」と名乗ってもらうことになり、名刺の原版を渡してある。活動名/団体名の前に「動物愛護法推進グループ」と謳っているのがツボであり、肝心です。「法」を脱字しては効果なし。
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猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。
27℃~17℃ 

【妖精パックに粉かけられて】ブログ原稿を下書きにしたままUPしないで寝込んでしまった。大失態だー。眠りの精“妖精パック”に粉ふりかけられた。真夏でもないのに「真夏の夜の夢」の妖精パックの登場?
でも、原作「真夏の夜の夢」の舞台は五月祭の頃と夏至の頃の二つの説があるから、眠りに誘う粉ふりまき妖精パックがいま現れてもあながち不思議ではない季節だ。「春眠暁を覚えず」とも言うし。
妖精バラタマタンの闘病生活“三種の神器”の一つ、スキンシップであやしている内にいつの間にかコックリコックリ眠りの森の奥深く迷い込んでしまったようだ。それは多分、バラタマタンの病状が今は張りつめた緊張を告げるものではなく、落ち着いた状態を保てているので、ついついリラックスしまうことがなせる業なのだろう。
バラタマタンの病床ケージの前にゴロンと横になり、名前を呼びかけるとバラタマタンは必ずゴロゴロ喉を鳴らし喜んでくれる。その安堵感が心地良き睡魔のベールの幕引き係になって、どこからともなく眠りの精を連れて来たのだろうか、ブログはさぼってしまったけれど、幸せな眠りだった。忙しい生活の中で、言葉では言い表せない幸福感を一杯に満喫した休息になった。
時計を見て「外猫活動に行かなくちゃ」と大慌てて飛び起き、月を抱く夜空に出かけて行ったけれど、夢の記憶は結局どこにも探し出せなかった。きっと夢はバラタマタンが妖精パックからもらって食べてしまったのだろう。そう思うことにした。真夏の夜の夢のミステリーとはそういうものだ。
病院の先生はバラタマタンが生きているのが信じられないと言ってくれているけれど、輸液と薬という科学の舟だけではなく命には目には見えないもう一つの舟があるような気がしている。
写真は猫パンチTVの某ブログが撮ったもの。7年前の冬。11月? 12月初め? 手前がバラタマタン。横にいるのはお母さん? 後ろにいるのはセージくん。寒くて体をふくらませている。写真の中にある紙皿はこうしてこの頃あっちこっちにポンポン散乱していた。この当時の抵抗勢力の主なるおばさんたちは全員すっかり姿を消した。
後ろのセージくんは12月の終わりに神隠しに会うようにスパンと姿を消した。そして、翌年の5月に自分よりもっと小さい子を従えて出戻っていた。誰かが冬の間、家の中に入れて、春になったら二匹にして捨てた。活動当初はこういう奇怪なことが次々に起こった。セージくんと赤ちゃん相棒はその時すぐに室内に保護した。キャリーに入れると過呼吸になるセージくんにはトラウマが埋め込まれたようだった。
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【妖精パックに粉かけられて】ブログ原稿を下書きにしたままUPしないで寝込んでしまった。大失態だー。眠りの精“妖精パック”に粉ふりかけられた。真夏でもないのに「真夏の夜の夢」の妖精パックの登場?
でも、原作「真夏の夜の夢」の舞台は五月祭の頃と夏至の頃の二つの説があるから、眠りに誘う粉ふりまき妖精パックがいま現れてもあながち不思議ではない季節だ。「春眠暁を覚えず」とも言うし。
妖精バラタマタンの闘病生活“三種の神器”の一つ、スキンシップであやしている内にいつの間にかコックリコックリ眠りの森の奥深く迷い込んでしまったようだ。それは多分、バラタマタンの病状が今は張りつめた緊張を告げるものではなく、落ち着いた状態を保てているので、ついついリラックスしまうことがなせる業なのだろう。
バラタマタンの病床ケージの前にゴロンと横になり、名前を呼びかけるとバラタマタンは必ずゴロゴロ喉を鳴らし喜んでくれる。その安堵感が心地良き睡魔のベールの幕引き係になって、どこからともなく眠りの精を連れて来たのだろうか、ブログはさぼってしまったけれど、幸せな眠りだった。忙しい生活の中で、言葉では言い表せない幸福感を一杯に満喫した休息になった。
時計を見て「外猫活動に行かなくちゃ」と大慌てて飛び起き、月を抱く夜空に出かけて行ったけれど、夢の記憶は結局どこにも探し出せなかった。きっと夢はバラタマタンが妖精パックからもらって食べてしまったのだろう。そう思うことにした。真夏の夜の夢のミステリーとはそういうものだ。
病院の先生はバラタマタンが生きているのが信じられないと言ってくれているけれど、輸液と薬という科学の舟だけではなく命には目には見えないもう一つの舟があるような気がしている。

後ろのセージくんは12月の終わりに神隠しに会うようにスパンと姿を消した。そして、翌年の5月に自分よりもっと小さい子を従えて出戻っていた。誰かが冬の間、家の中に入れて、春になったら二匹にして捨てた。活動当初はこういう奇怪なことが次々に起こった。セージくんと赤ちゃん相棒はその時すぐに室内に保護した。キャリーに入れると過呼吸になるセージくんにはトラウマが埋め込まれたようだった。
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今はもうこの地上のどこにもいないリリタン
【猫並みの頭 ~ぶっちゃけトーク6】お前の頭は猫並みだ。今まで活動中に路上で何度も言われた言葉だ。これを翻訳すれば、つまり「お前は馬鹿だ」、「猫の頭並みに馬鹿だ」と言っているのだ。
人間を最高のランクに見立て動物を馬鹿呼ばわりする立派な人たち。ある者はベンツに乗りさっそうと去って行った。又ある者はハイグレードな釣竿を肩に乗せ肩怒らせて違法釣り場から帰って行った。又ある者は時の皺を顔に刻んだ立派なお寺の住職だった。
こうして「僕」は猫になった。彼らとは真逆の生き方を選んで生きている。
そして、猫になった「僕」は、朝な夕な仲間の猫たちにせっせと弁当を運ぶ暮しをしている。猫のガーデンを毎日毎日めぐっているうちに世間は増々遠ざかって行った。
行きずりに「何故そういうことをしているんだ」と何度も聞かれた。でも、人生の価値を異にする人に話が通じるわけはなかった。「猫」はいつも「はぁ~」と両手を広げ息をもらし、首をかしげた。
お金もうけをし、立派な肩書を身に付け、ピカピカに磨いた車を自慢する人生のチャンネル(水路)を「僕」は選ばなかった。
チャンネルが違えば話は平行蛇行しほとんど通じない。「野良猫なんかせいぜいその辺で野垂れ死にして当たり前だろ」と言われた時は耳鳴りがした。
路上のクレーマーに毒づかれ、戦時中「特高」だったと名乗るジジイからは三階から水をぶっかけられ、若いサラリーマンにすれ違いざまに腕を殴られ「あっ間違った」と笑われ、不良エサやりおばさんに捨て台詞を吐かれ、役所からはポスターの取り外しを命令され「外さなければマスキングの紙を貼りに行く」と催促された。
「殺すぞ」と言われたこともあった。坊主には「毛唐」と罵られたこともあったっけね。連戦連敗の負けの武勇伝だ。
毛唐? 仕方がない。だって、「僕」は「猫並み」と言われる身分なんだもんね。猫に毛は大事な宿命の友。自分についた毛を身ぐるみ剥がして「人のふり」して人並み気取りで生きて行こうとは思わない。何でも言ってくれ。
何を言われたからといって、「僕」は君たち(猫たち)を見捨てたりはしないということを自分の救いとしよう。
そんなある日のこと、猫ガーデンで問題が巻き起こり、とある晴れた日の午後、「僕」は猫の毛がついてないか気にしながら、猫にしては上等なスーツを着て出かけたのであった。
大きなビルにたどり着いた時、いつもと違う「僕」を見て、シド君やジプティやリリタンが道すがらケゲンそうな顔を浮かべていたっけ。
審問で「活動を差し止められるのかな?」と心配だったが、そうなればなったで法の網の目をかいくぐる痛快劇的な方法はもう考え付いていたので、堂々と会議室に入って行った。(つづく 近々に「スーツを着た猫 ~ぶっちゃけトーク7」UP予定)
冒頭写真は「リリタン/とらちゃん猫孤児基金」の元気だった頃のリリタン。上手い写真です。これが「猫パンチTV」の某ブログに突如掲載されていて、びっくりしたのは何年前のこと? 光陰矢のごとし。
今はもう誰もいなくなったリリタンのかつての場所は草がボウボウと生い茂るだけになった。
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今はもうこの地上のどこにもいないリリタン
【猫並みの頭 ~ぶっちゃけトーク6】お前の頭は猫並みだ。今まで活動中に路上で何度も言われた言葉だ。これを翻訳すれば、つまり「お前は馬鹿だ」、「猫の頭並みに馬鹿だ」と言っているのだ。
人間を最高のランクに見立て動物を馬鹿呼ばわりする立派な人たち。ある者はベンツに乗りさっそうと去って行った。又ある者はハイグレードな釣竿を肩に乗せ肩怒らせて違法釣り場から帰って行った。又ある者は時の皺を顔に刻んだ立派なお寺の住職だった。
こうして「僕」は猫になった。彼らとは真逆の生き方を選んで生きている。
そして、猫になった「僕」は、朝な夕な仲間の猫たちにせっせと弁当を運ぶ暮しをしている。猫のガーデンを毎日毎日めぐっているうちに世間は増々遠ざかって行った。
行きずりに「何故そういうことをしているんだ」と何度も聞かれた。でも、人生の価値を異にする人に話が通じるわけはなかった。「猫」はいつも「はぁ~」と両手を広げ息をもらし、首をかしげた。
お金もうけをし、立派な肩書を身に付け、ピカピカに磨いた車を自慢する人生のチャンネル(水路)を「僕」は選ばなかった。
チャンネルが違えば話は平行蛇行しほとんど通じない。「野良猫なんかせいぜいその辺で野垂れ死にして当たり前だろ」と言われた時は耳鳴りがした。
路上のクレーマーに毒づかれ、戦時中「特高」だったと名乗るジジイからは三階から水をぶっかけられ、若いサラリーマンにすれ違いざまに腕を殴られ「あっ間違った」と笑われ、不良エサやりおばさんに捨て台詞を吐かれ、役所からはポスターの取り外しを命令され「外さなければマスキングの紙を貼りに行く」と催促された。
「殺すぞ」と言われたこともあった。坊主には「毛唐」と罵られたこともあったっけね。連戦連敗の負けの武勇伝だ。
毛唐? 仕方がない。だって、「僕」は「猫並み」と言われる身分なんだもんね。猫に毛は大事な宿命の友。自分についた毛を身ぐるみ剥がして「人のふり」して人並み気取りで生きて行こうとは思わない。何でも言ってくれ。
何を言われたからといって、「僕」は君たち(猫たち)を見捨てたりはしないということを自分の救いとしよう。
そんなある日のこと、猫ガーデンで問題が巻き起こり、とある晴れた日の午後、「僕」は猫の毛がついてないか気にしながら、猫にしては上等なスーツを着て出かけたのであった。
大きなビルにたどり着いた時、いつもと違う「僕」を見て、シド君やジプティやリリタンが道すがらケゲンそうな顔を浮かべていたっけ。
審問で「活動を差し止められるのかな?」と心配だったが、そうなればなったで法の網の目をかいくぐる痛快劇的な方法はもう考え付いていたので、堂々と会議室に入って行った。(つづく 近々に「スーツを着た猫 ~ぶっちゃけトーク7」UP予定)

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By Liber: 「時間」を具象の何かに例えるなら螺旋階段 365DAYS×7YEARSのめまい
【破れかぶれ抵抗勢力 ~ぶっちゃけトーク5】逃げ場のない密封空間。50匹を超える猫たちの流浪と乞食暮らし。そこは歴代数世代に渡ってTNR(不妊・去勢手術)の手が入らず、自社ビルに勤める“ろくでなし”たちの戯れに遊ばれるがまま黙殺され続けていた所である。
限界点はとうの昔に超えていた。
しかし、誰も何もしようとはしなかった。そして、人が作り出した猫たちの地獄だった。
中には猫がいるだけでキャンディ・ストアの子供のように喜々としてはしゃぎ回る者たちがいて、その数は引きも切らなかった。
専属警備会社をビルトインしていながら捨て猫放題、され放題。「無政府主義動物園」さながらに不良エサやり行為が野放図の王道を行く日常風景。捨て猫防止ポスターが張られていたわけではなし、弁解の余地なく対策は何ひとつ講じられていなかったと言っていい。
二つの巨大会社を冠に頂き、昼間は余裕で一万以上の人口が綾なし構成される街に、何十年に渡り人のモラルと良識は何ら機能せず、野良猫たちの生き地獄だけがコントラスト鮮やかに浮かび上がっていた。
そこにあったのは人の世のモラル崩壊と痛みさ迷う猫たちの阿鼻叫喚をむさぼり食う緩み切った人々の行き来の他に何もなかった。何か食べ物を投げると一目散に駆け寄ってゆく哀れな猫たちの姿とそれを楽しむ人々の絵柄。見てはいられなかった。
一万人オーバーの人×365日×数十年の倫理不毛の大地、憂うつな大地に歯止めをかけなければと思ったのだ。
50匹を超える猫たちをまずTNRを皮切りにして適正管理しなければどうなってしまうのか、誰にも想像力が無さ過ぎた。無責任の極みだった。人も。企業も。区役所も。何もかもが。
猫ネタでサイトを運営する「猫パンチTV」の某ブログが物見遊山に写真をかっさらいに来て、面白おかしく、問題意識のカケラもなく、ネット掲載していたのを見た時はこの目を疑い、本当に悲しかった(ブルータスお前もか! 証拠あり)。これがあの街を取り囲む民度そのものだった。
ところが猫の郵便フーテンが「何とかしよう」とあれこれやり始めたら、鵜の目鷹の目に抵抗勢力が次から次へ現れ出した。自分たちの方が「先に面倒を見ていた」という不良エサやりの一団の抵抗。一旦は承認印を押したが唐突にポスター内容の検閲を始めた敷地管理会社からのアゲインストの風。警備員の風当たり。
「区長に手紙を出すぞ」と脅かされて戦々恐々とする区役所職員のポスター取り外しへの妄執。
これらと並行して、執拗な嫌がらせや妨害や中傷も同時に始まっていた。
それまで何もしてこなかった人たちが「猫の郵便」目がけて一斉に弓を引き始めたのだ。
でも、誰も彼も猫のことなどこれっぽっちも思っていなかった。それぞれ“自分たちの立場”、メンツのようなものばかり主張し、口角泡を飛ばしていた。
ポスターでは「虐待行為をする不審者を見たら警察に連絡して下さい」と「この地の猫問題を解決するために少額で良いので、ご寄付をお願いします」の二行が大問題にされた。
今でも何が問題だったのか、さっぱり分からない。
それまで何十年も猫問題と真剣に取り組んで来なかった人たちが、猫の郵便の存在とはがっぷり四つに真剣に取り組もうとする可笑しさ。猫問題に不作為一途だった人たちが必死で私たちの活動をコントロールしようとする滑稽さ。
それを不正に対する正義だと言うのだから笑い転げる。
問題に手を汚さず汗を流さず口だけ出す身体感覚の軽さが、結局クレーマーの一挙手一投足に振り回される結果になって行った。
私たちはそれまでに既に六本木から海岸に至るまでの野良猫たち100匹近くに及ぶ不妊・去勢手術諸経費に大枚はたき自腹を切っていたし、医療費や保護猫運営費や猫の食費合わせ月々20万円以上のお金が自分の財布から消えるのは当たり前のことだった。
日本の風土で寄付を求めても不正をできるほどのお金は集まるものではなく、「不特定多数の人からカンパを求めるのは不正行為に相当する」と聞かされた時は鳩が豆鉄砲を喰らったような気分になった。
「企業や役所が不正行為の片棒を担いで良いのか?!」。企業と役所は共にこの言葉に過剰反応し右往左往したようだった。しかし、2014年の今、あの地の猫の数は50匹超いたのを15匹にまで減らすことが出来ている。
私たちが時間とお金を費やし、TNR➡日々の給食活動、ある猫たちは病弱や幼すぎで保護収容し、ある猫は交通事故や病死にて丁重に見送り、ここまで漕ぎつけている。
まだブログを始めていない頃は、寄付などほとんど集まらず、全体の1%~3%くらいだったと記憶している。
それでも、あの地の猫問題に気持ちを寄せ「手助けしたい」と思ってくれた人たちには本当に感謝している。「手助けしたい」と思う双方向性の分かち合いの何がいけないのだろう。
「手助けしたい」と思う気持ちを、自分たちは何もしないで、「不正」とみなすその神経、その見識、その倫理観。
どこでどう勉強したら、そういう頭になれるのか、私の「猫並み」の頭では信じがたい抵抗がやって来たのだった。
私たちを不正の咎で追い出したとて、その後に彼らに何が出来たのだろう。自分だけが良ければそれでいい人たちに。
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【破れかぶれ抵抗勢力 ~ぶっちゃけトーク5】逃げ場のない密封空間。50匹を超える猫たちの流浪と乞食暮らし。そこは歴代数世代に渡ってTNR(不妊・去勢手術)の手が入らず、自社ビルに勤める“ろくでなし”たちの戯れに遊ばれるがまま黙殺され続けていた所である。
限界点はとうの昔に超えていた。
しかし、誰も何もしようとはしなかった。そして、人が作り出した猫たちの地獄だった。
中には猫がいるだけでキャンディ・ストアの子供のように喜々としてはしゃぎ回る者たちがいて、その数は引きも切らなかった。
専属警備会社をビルトインしていながら捨て猫放題、され放題。「無政府主義動物園」さながらに不良エサやり行為が野放図の王道を行く日常風景。捨て猫防止ポスターが張られていたわけではなし、弁解の余地なく対策は何ひとつ講じられていなかったと言っていい。
二つの巨大会社を冠に頂き、昼間は余裕で一万以上の人口が綾なし構成される街に、何十年に渡り人のモラルと良識は何ら機能せず、野良猫たちの生き地獄だけがコントラスト鮮やかに浮かび上がっていた。
そこにあったのは人の世のモラル崩壊と痛みさ迷う猫たちの阿鼻叫喚をむさぼり食う緩み切った人々の行き来の他に何もなかった。何か食べ物を投げると一目散に駆け寄ってゆく哀れな猫たちの姿とそれを楽しむ人々の絵柄。見てはいられなかった。
一万人オーバーの人×365日×数十年の倫理不毛の大地、憂うつな大地に歯止めをかけなければと思ったのだ。
50匹を超える猫たちをまずTNRを皮切りにして適正管理しなければどうなってしまうのか、誰にも想像力が無さ過ぎた。無責任の極みだった。人も。企業も。区役所も。何もかもが。
猫ネタでサイトを運営する「猫パンチTV」の某ブログが物見遊山に写真をかっさらいに来て、面白おかしく、問題意識のカケラもなく、ネット掲載していたのを見た時はこの目を疑い、本当に悲しかった(ブルータスお前もか! 証拠あり)。これがあの街を取り囲む民度そのものだった。
ところが猫の郵便フーテンが「何とかしよう」とあれこれやり始めたら、鵜の目鷹の目に抵抗勢力が次から次へ現れ出した。自分たちの方が「先に面倒を見ていた」という不良エサやりの一団の抵抗。一旦は承認印を押したが唐突にポスター内容の検閲を始めた敷地管理会社からのアゲインストの風。警備員の風当たり。
「区長に手紙を出すぞ」と脅かされて戦々恐々とする区役所職員のポスター取り外しへの妄執。
これらと並行して、執拗な嫌がらせや妨害や中傷も同時に始まっていた。
それまで何もしてこなかった人たちが「猫の郵便」目がけて一斉に弓を引き始めたのだ。
でも、誰も彼も猫のことなどこれっぽっちも思っていなかった。それぞれ“自分たちの立場”、メンツのようなものばかり主張し、口角泡を飛ばしていた。
ポスターでは「虐待行為をする不審者を見たら警察に連絡して下さい」と「この地の猫問題を解決するために少額で良いので、ご寄付をお願いします」の二行が大問題にされた。
今でも何が問題だったのか、さっぱり分からない。
それまで何十年も猫問題と真剣に取り組んで来なかった人たちが、猫の郵便の存在とはがっぷり四つに真剣に取り組もうとする可笑しさ。猫問題に不作為一途だった人たちが必死で私たちの活動をコントロールしようとする滑稽さ。
それを不正に対する正義だと言うのだから笑い転げる。
問題に手を汚さず汗を流さず口だけ出す身体感覚の軽さが、結局クレーマーの一挙手一投足に振り回される結果になって行った。
私たちはそれまでに既に六本木から海岸に至るまでの野良猫たち100匹近くに及ぶ不妊・去勢手術諸経費に大枚はたき自腹を切っていたし、医療費や保護猫運営費や猫の食費合わせ月々20万円以上のお金が自分の財布から消えるのは当たり前のことだった。
日本の風土で寄付を求めても不正をできるほどのお金は集まるものではなく、「不特定多数の人からカンパを求めるのは不正行為に相当する」と聞かされた時は鳩が豆鉄砲を喰らったような気分になった。
「企業や役所が不正行為の片棒を担いで良いのか?!」。企業と役所は共にこの言葉に過剰反応し右往左往したようだった。しかし、2014年の今、あの地の猫の数は50匹超いたのを15匹にまで減らすことが出来ている。
私たちが時間とお金を費やし、TNR➡日々の給食活動、ある猫たちは病弱や幼すぎで保護収容し、ある猫は交通事故や病死にて丁重に見送り、ここまで漕ぎつけている。
まだブログを始めていない頃は、寄付などほとんど集まらず、全体の1%~3%くらいだったと記憶している。
それでも、あの地の猫問題に気持ちを寄せ「手助けしたい」と思ってくれた人たちには本当に感謝している。「手助けしたい」と思う双方向性の分かち合いの何がいけないのだろう。
「手助けしたい」と思う気持ちを、自分たちは何もしないで、「不正」とみなすその神経、その見識、その倫理観。
どこでどう勉強したら、そういう頭になれるのか、私の「猫並み」の頭では信じがたい抵抗がやって来たのだった。
私たちを不正の咎で追い出したとて、その後に彼らに何が出来たのだろう。自分だけが良ければそれでいい人たちに。
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【相撲取りでもないのに仕切り直し】毎月末の「今月のありがとう」をまだやってないと、鉄腕ウンガさんから怒られ、急きょ5月4日付けにスネークインさせました。
遅れて大変に申し訳ありませんでした。猫の郵便の活動を支えてくれているアンパンマンさんたちの皆さん、本当にごめんなさいでした。お詫び申し上げます。
鉄腕ウンガさんから強烈な雷を落とされました。
その余波を受け、「ぶっちゃけトーク5」は少し延期です。
5月5日の深夜。麻布十番の新一の橋交差点で信号待ちをしている時、はじめは5メートル先にいて何の動きも見せないから「職務質問がなくて良かった」とホッとしていたら、その若いお巡りさんが少しずつ少しずつ右後方からにじり寄って来る気配がして、気がついた時には横にぴったり。忍者のようでした。
そして、「日本語わかりますか?」と突然話しかけられ。
見た目で得したことと損したこと両方ありますね。この日は得した部類で、警官一人一人の頭の中の内容物/個人差で待遇/取り扱われ方に大きな差がある。
このことも多少影響し「ぶっちゃけトーク5」を修正する気持ちになり。後で書き直し。相撲取りでもないのに仕切り直し。
これは「お知らせ」記事なので削除しようと思っていたが、これも活動の一端が見える一部でありサイドビューでもあるので、恰好つけずにこのままにします。
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【相撲取りでもないのに仕切り直し】毎月末の「今月のありがとう」をまだやってないと、鉄腕ウンガさんから怒られ、急きょ5月4日付けにスネークインさせました。
遅れて大変に申し訳ありませんでした。猫の郵便の活動を支えてくれているアンパンマンさんたちの皆さん、本当にごめんなさいでした。お詫び申し上げます。
鉄腕ウンガさんから強烈な雷を落とされました。
その余波を受け、「ぶっちゃけトーク5」は少し延期です。
5月5日の深夜。麻布十番の新一の橋交差点で信号待ちをしている時、はじめは5メートル先にいて何の動きも見せないから「職務質問がなくて良かった」とホッとしていたら、その若いお巡りさんが少しずつ少しずつ右後方からにじり寄って来る気配がして、気がついた時には横にぴったり。忍者のようでした。
そして、「日本語わかりますか?」と突然話しかけられ。
見た目で得したことと損したこと両方ありますね。この日は得した部類で、警官一人一人の頭の中の内容物/個人差で待遇/取り扱われ方に大きな差がある。
このことも多少影響し「ぶっちゃけトーク5」を修正する気持ちになり。後で書き直し。相撲取りでもないのに仕切り直し。

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猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。
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【捨て猫の後ろにまた捨て猫】3月28日に当ブログで報告した「捨て猫二匹」の件。あれから日が長くなり、陽気は冬から完全な春へと移り変わった。当然、成長期の元気闊達な猫たちの行動は勢い活発になる。
一カ月前は暗がりの中で大きさにして生後6か月くらいの子猫がちょこちょこするのを確認するだけだった。灰色の猫と白黒模様の猫、二匹。一カ月の時の流れが子猫たちを随分近くの距離まで運んで来てくれた。そして時間は子猫たちを大きくした。
ところが一週間前にその現場に片づけに行くと、白黒猫の背後に同じ色柄のもう一匹の子猫。そして、灰色の猫の後ろにはシッポが長い真っ黒な子猫がもう一匹、子猫らしい細い声でピューと鳴いた。
でも、まだ黒猫子猫の後ろに影を見たような気がして。回り込んでみたら、大人の体格の全身キジ猫がゆっくりと歩いていた。
あー、全部で5匹だー。3月28日の記事で触れている通り、辺りはビジネスビルや大きな公共施設に埋め尽くされているロケーションで、住宅と言っても遠目にノッポのマンションタワーがポツンポツンとあるのみ。
午前5時前。白みかけてゆく生垣の中に、肉眼で5匹の猫たちの姿をしっかり確かめ、しゃがみ込んだ都会の死角で憂うつな気分になった。
隙あればどこにでも、切りがなく繰り広げられる“猫捨ての風習”。とめどなく低く落ちぶれてゆくモラルのハードルはもう石ころの嵩の高さもない。
しかし、事態はこれだけでは終わらなかった。数日後にそのあたりで見かけるホームレスのおじさんに尋ねてみたら、おじさんは場所を指さし「あそこにもいるよ。母猫が子供を産んだよ」と、片手で仔猫の大きさを示すそぶりをして「こんなにちっちいの」と罪ない笑顔で教えてくれた。ホームレスのおじさんが一緒に暮らしている猫だという。
目の前が薄暗くなるのを感じた。かなり高齢のホームレスのおじさんと猫の暮らし。・・・おじさんはちゃんとできるだろうか。
果てしなく繰り広げられる猫たちの不幸・・・。猫たちの地獄が、人の戯れの指先から絶え間なくこぼれ落ちて来る。全てを支え切るには私たちにも力の限界というものがある。ただただ悩ましい。
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一カ月前は暗がりの中で大きさにして生後6か月くらいの子猫がちょこちょこするのを確認するだけだった。灰色の猫と白黒模様の猫、二匹。一カ月の時の流れが子猫たちを随分近くの距離まで運んで来てくれた。そして時間は子猫たちを大きくした。
ところが一週間前にその現場に片づけに行くと、白黒猫の背後に同じ色柄のもう一匹の子猫。そして、灰色の猫の後ろにはシッポが長い真っ黒な子猫がもう一匹、子猫らしい細い声でピューと鳴いた。
でも、まだ黒猫子猫の後ろに影を見たような気がして。回り込んでみたら、大人の体格の全身キジ猫がゆっくりと歩いていた。
あー、全部で5匹だー。3月28日の記事で触れている通り、辺りはビジネスビルや大きな公共施設に埋め尽くされているロケーションで、住宅と言っても遠目にノッポのマンションタワーがポツンポツンとあるのみ。
午前5時前。白みかけてゆく生垣の中に、肉眼で5匹の猫たちの姿をしっかり確かめ、しゃがみ込んだ都会の死角で憂うつな気分になった。
隙あればどこにでも、切りがなく繰り広げられる“猫捨ての風習”。とめどなく低く落ちぶれてゆくモラルのハードルはもう石ころの嵩の高さもない。
しかし、事態はこれだけでは終わらなかった。数日後にそのあたりで見かけるホームレスのおじさんに尋ねてみたら、おじさんは場所を指さし「あそこにもいるよ。母猫が子供を産んだよ」と、片手で仔猫の大きさを示すそぶりをして「こんなにちっちいの」と罪ない笑顔で教えてくれた。ホームレスのおじさんが一緒に暮らしている猫だという。
目の前が薄暗くなるのを感じた。かなり高齢のホームレスのおじさんと猫の暮らし。・・・おじさんはちゃんとできるだろうか。
果てしなく繰り広げられる猫たちの不幸・・・。猫たちの地獄が、人の戯れの指先から絶え間なくこぼれ落ちて来る。全てを支え切るには私たちにも力の限界というものがある。ただただ悩ましい。
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【A Thank-You Note To Our Friends】また「今月のありがとう」記事が遅れてしまいました。私たちの活動を強く支えてくれているアンパンマンさんの皆さんには、至らなくて申し訳なさでいっぱいです。
弱小零細ボラグループの割には仕事量が多く。分母に相当する人の手が少なく、その割には上に乗っかる“分子”の仕事量があまりにも多過ぎ、積み荷オーバーを繰り越している毎月です。
目黒区MNさん 練馬区SHさん 港区KKさん 港区MTさん 港区YMさん 東久留米市HYさん 横浜市IMさん 中野区YTさん 品川区IMさん (4月中にゆうちょ銀行から通知で確認した方々です)
皆さんからは長期間に渡りコンスタントに変わらぬご支援をいただいています。深く感謝しています。心からお礼の言葉を申し述べます。本当にありがとうございます。
品川区のIMさんからは、捨て猫され二回の記録的な大雪の中で生き延びた子猫イリニフの成長へお気づかいいただき「手術費用」のためにと、そして放浪時代の子猫イリニフのサバイバルを助けていた伝説の猫“夕焼けタラちゃん”への思いを託され・・・大きな羽根付きの馬車を仕立てて下さったような・・・高額のご支援をいただきました。
ありがとうございます。役立てます。
練馬区のSHさんと東久留米市のHYさんからも上乗せご支援を頂いています。ありがとうございます。
モラル力が低下している世の中。猫の福祉活動の宿命かもしれませんが、春先は猫の受難にめぐり合うことが多く、頭の中で活動各地に捨て猫された猫たち/子猫たちを数えてみたら両手十本の指では足りませんでした。
これから夏までTNRに奔走する季節になりそうです。
保護猫の病気リストに新たに黒猫のマチュピチュが加わりました。原因不明です。何か体内に深刻な事情を抱えているようです。食欲は旺盛なのにどんどん痩せ衰えてゆきます。
しかし、命に光が翳る時、万能に効く薬はなく、万能の病院はなく、永遠の命はなく、見守る「人の側」の“死生観”が同時に試されていると感じる活動でもあります。「心身共に強くあらねば」と思っています。
【今月の買物ラプソディ】日本経済は不調のようです。それは街の景色を見れば一目瞭然です。同調圧力が効いている昼間の景色は上げ底のヒールの高さが付いていて見えにくくなっているけれど、人の本音がむき出しになる夜の景気は増税や円安不況のあおりで可処分所得が目減りし・・・小ざっぱりした金の動きを街並みがはっきり反映しています。
今年のゴールデン・ウィークは地方からの観光客も少なく、道行く人も少なく、走るタクシー台数も少なく、空車タクシーが空走りしていた麻布・六本木・主要幹線道路。静かな街並みは、猫活動には決して悪いことでも災い事でもないけれど、大勢の猫たちの世話を切り盛りする“台所事情”の方は、増税前や製造中止前にストックして置いた在庫が少しずつ目減りしてゆくたびに“政治の悪さ”をボディブローのように実感/体感することになるのでしょうか。
お金の苦労知らずのお坊ちゃん政治家は心を病んだまま引きこもっていてくれた方が良かったかもね。ボンボンは政治の世界でも芸術の世界でも使い物にならない。ましてや友だちになどなりたくもない。
P.S. さんざん甘やかされて育てられ、ろくすっぽ勉強もまともにしなかったバカ息子は、それを隠そうと何にでも脊髄反射の怒りをあらわにするエゴ丸出し人間になり、首相になり、そのツケは一般国民が支払うことになった。
無関心という名の・・・、お金で支払う代価の内ならまだ良いけれど、命で代価を求められる国にモデルチェンジしたら、こんなことはもう書けなくなるのだろうか。
動物の格差社会、犬猫たちは政治・行政の無策で、とっくに命で代償を支払わされている。
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弱小零細ボラグループの割には仕事量が多く。分母に相当する人の手が少なく、その割には上に乗っかる“分子”の仕事量があまりにも多過ぎ、積み荷オーバーを繰り越している毎月です。
目黒区MNさん 練馬区SHさん 港区KKさん 港区MTさん 港区YMさん 東久留米市HYさん 横浜市IMさん 中野区YTさん 品川区IMさん (4月中にゆうちょ銀行から通知で確認した方々です)
皆さんからは長期間に渡りコンスタントに変わらぬご支援をいただいています。深く感謝しています。心からお礼の言葉を申し述べます。本当にありがとうございます。
品川区のIMさんからは、捨て猫され二回の記録的な大雪の中で生き延びた子猫イリニフの成長へお気づかいいただき「手術費用」のためにと、そして放浪時代の子猫イリニフのサバイバルを助けていた伝説の猫“夕焼けタラちゃん”への思いを託され・・・大きな羽根付きの馬車を仕立てて下さったような・・・高額のご支援をいただきました。
ありがとうございます。役立てます。
練馬区のSHさんと東久留米市のHYさんからも上乗せご支援を頂いています。ありがとうございます。
モラル力が低下している世の中。猫の福祉活動の宿命かもしれませんが、春先は猫の受難にめぐり合うことが多く、頭の中で活動各地に捨て猫された猫たち/子猫たちを数えてみたら両手十本の指では足りませんでした。
これから夏までTNRに奔走する季節になりそうです。
保護猫の病気リストに新たに黒猫のマチュピチュが加わりました。原因不明です。何か体内に深刻な事情を抱えているようです。食欲は旺盛なのにどんどん痩せ衰えてゆきます。
しかし、命に光が翳る時、万能に効く薬はなく、万能の病院はなく、永遠の命はなく、見守る「人の側」の“死生観”が同時に試されていると感じる活動でもあります。「心身共に強くあらねば」と思っています。
【今月の買物ラプソディ】日本経済は不調のようです。それは街の景色を見れば一目瞭然です。同調圧力が効いている昼間の景色は上げ底のヒールの高さが付いていて見えにくくなっているけれど、人の本音がむき出しになる夜の景気は増税や円安不況のあおりで可処分所得が目減りし・・・小ざっぱりした金の動きを街並みがはっきり反映しています。
今年のゴールデン・ウィークは地方からの観光客も少なく、道行く人も少なく、走るタクシー台数も少なく、空車タクシーが空走りしていた麻布・六本木・主要幹線道路。静かな街並みは、猫活動には決して悪いことでも災い事でもないけれど、大勢の猫たちの世話を切り盛りする“台所事情”の方は、増税前や製造中止前にストックして置いた在庫が少しずつ目減りしてゆくたびに“政治の悪さ”をボディブローのように実感/体感することになるのでしょうか。
お金の苦労知らずのお坊ちゃん政治家は心を病んだまま引きこもっていてくれた方が良かったかもね。ボンボンは政治の世界でも芸術の世界でも使い物にならない。ましてや友だちになどなりたくもない。
P.S. さんざん甘やかされて育てられ、ろくすっぽ勉強もまともにしなかったバカ息子は、それを隠そうと何にでも脊髄反射の怒りをあらわにするエゴ丸出し人間になり、首相になり、そのツケは一般国民が支払うことになった。
無関心という名の・・・、お金で支払う代価の内ならまだ良いけれど、命で代価を求められる国にモデルチェンジしたら、こんなことはもう書けなくなるのだろうか。
動物の格差社会、犬猫たちは政治・行政の無策で、とっくに命で代償を支払わされている。
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【ビフォア&アフター ~ぶっちゃけトーク4】記事タイトルを柄じゃない「ぶっちゃけトーク」にしたのは、気持ちにストッパーをかけないためだが、それでも自分に抑制をかけ制限して書いている。
何で大勢の猫たちを不幸の真っ只中に落とし込んだ人たちに気を使わなければいけないのか馬鹿馬鹿しくなるが、仕方がない。問題がまだ何もかもクリアに解決したわけではない。
あの地で活動を始めてから7年。最終コーナーを回り切って、フィニッシュラインのゴールが見えて来るまでは冷静さが大切だ。
ふり返れば、あの地の猫たちの悲劇に出会ってから、自分の中の何かが確実に変わった。人を見る目、世間を見る目、雨の一粒すら重く感じたことがあった。
普通に暮し、街を行き来する人には傘をさせば何でもないことでも、雨のひと降りが命の分かれ目になることも経験した。
屋根なし暮らしに容赦なく襲いかかる天の気まぐれ。管轄行政の気まぐれ。敷地管理会社の気まぐれ。警備員が気まぐれに吐く心無い言葉。行きずりのコミューターが猫たちにする気まぐれやたわむれ。
ビフォア&アフター、それまでは凡庸に見えていた世界が、大勢の外暮らしの猫さんたちの目線に姿勢を落とすことで、否が応でも見せつけられる世界があった。
そして、「僕」は猫になった。多くの仲間の猫さんたちに弁当を配って歩く大きな猫。不幸な猫が産まれ悲劇が大きくならないようにTNRをする猫。大きな穴ぼこが出来た所はそこの猫さんたちが困らないように砂利をいっぱい運んで工事をする猫(行政に頼んでいたらいつになるか分からない)。
具合が悪い猫は「猫である僕」が家に連れて帰った。猫になることで猫さんたちに信用してもらえた。信用を得られるようになった。
一日に2回、「猫」になって猫さんガーデンを周回する。7年×365日と2カ月、ずる休みをしたことは一度もなかった。そして、猫さんたちの気持ちに近づけば近づくほど、世間はぼんやり遠ざかって行った。
ビフォア&アフター、以前は他愛なくころがっていた言葉たち、しかし活動を始めた時から、どんなに相手の目の中をのぞき込んでも言葉が全く通じない人がいるのだということをしみじみ感じさせられる日々があった。
ポスターを外せ。ポスターをはがせ。何としてでも撤去しろ。東京・港区江南支所の執拗な要求に根負けし、とうとう行政と敷地管理会社との三者会談で審問されることになった。
「猫」はスーツを着て出かけて行った。連戦連敗の「猫」には気が重くなる審問だった。(つづく)
【おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。




何で大勢の猫たちを不幸の真っ只中に落とし込んだ人たちに気を使わなければいけないのか馬鹿馬鹿しくなるが、仕方がない。問題がまだ何もかもクリアに解決したわけではない。
あの地で活動を始めてから7年。最終コーナーを回り切って、フィニッシュラインのゴールが見えて来るまでは冷静さが大切だ。
ふり返れば、あの地の猫たちの悲劇に出会ってから、自分の中の何かが確実に変わった。人を見る目、世間を見る目、雨の一粒すら重く感じたことがあった。
普通に暮し、街を行き来する人には傘をさせば何でもないことでも、雨のひと降りが命の分かれ目になることも経験した。
屋根なし暮らしに容赦なく襲いかかる天の気まぐれ。管轄行政の気まぐれ。敷地管理会社の気まぐれ。警備員が気まぐれに吐く心無い言葉。行きずりのコミューターが猫たちにする気まぐれやたわむれ。
ビフォア&アフター、それまでは凡庸に見えていた世界が、大勢の外暮らしの猫さんたちの目線に姿勢を落とすことで、否が応でも見せつけられる世界があった。
そして、「僕」は猫になった。多くの仲間の猫さんたちに弁当を配って歩く大きな猫。不幸な猫が産まれ悲劇が大きくならないようにTNRをする猫。大きな穴ぼこが出来た所はそこの猫さんたちが困らないように砂利をいっぱい運んで工事をする猫(行政に頼んでいたらいつになるか分からない)。
具合が悪い猫は「猫である僕」が家に連れて帰った。猫になることで猫さんたちに信用してもらえた。信用を得られるようになった。
一日に2回、「猫」になって猫さんガーデンを周回する。7年×365日と2カ月、ずる休みをしたことは一度もなかった。そして、猫さんたちの気持ちに近づけば近づくほど、世間はぼんやり遠ざかって行った。
ビフォア&アフター、以前は他愛なくころがっていた言葉たち、しかし活動を始めた時から、どんなに相手の目の中をのぞき込んでも言葉が全く通じない人がいるのだということをしみじみ感じさせられる日々があった。
ポスターを外せ。ポスターをはがせ。何としてでも撤去しろ。東京・港区江南支所の執拗な要求に根負けし、とうとう行政と敷地管理会社との三者会談で審問されることになった。
「猫」はスーツを着て出かけて行った。連戦連敗の「猫」には気が重くなる審問だった。(つづく)
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【「無慈悲物語」 ~ぶっちゃけトーク3】上の写真は成長したJ太郎くん。下の小窓にJ太郎くんの赤ちゃんの頃の写真がある。J太郎くんはその地でその春に生まれた赤ちゃん猫10匹前後の中の一匹だった。
J太郎は捨て猫ではなく、TNRの手が入らずに産まれた野良猫の仔。
毎日顔を合わせるようになった清掃会社で長年働く人たちが「毎年シーズンごとに仔猫が沢山産まれていた」と教えてくれた。
50匹を超える野ざらしの猫たちが一つのエリアをラウンドしていた。あれをあのまま見て見ぬふりをしていたら今頃どうなっていたのか。考えるだけで恐ろしくなる。
ポスターを貼り、協力を呼びかけたのは、資金を募るためではなかった。やること(TNR)をやるために協力を仰ぎたかっただけだった。情報(猫の年齢・性別etc)・TNR時の立ち合い・TNR作業事前のエサやりは「しないで下さい」という申し入れ。
しかし、待ち伏せ作戦で出合った人たちは、一度は合意した約束をいとも容易く電話一本でひるがえした。
「この話はなかったことにして下さい」と。お口ポカーンの手の平返しだった。
何でも、ポスターに書いてあった「猫たちが適正管理されていない」とか「TNRの責任を負わない給餌は猫たちを更なる地獄に追い込むことになる」という文言が気に入らず、逆鱗に触れたらしい。
「私たちが何年も面倒を見て来たのに横入りして。前にもTNRを薦められたけれど、ワクチンをして欲しいと頼んだら拒否されたから断ったのよ(人猫共生会議に聞いたが、その人には会ったことがないと答えが返って来た)」と風の伝聞で聞こえて来た。
後にその女たちは〇〇のTNRを全部やったのは自分たちだと吹聴していたそうだ。ヘソが茶を沸かす。
「15年間、重い水を運んで来たのに滅茶苦茶にして・・・」って、15年あれば問題は解決していただろう。
やらなかった累積は、私が散歩で見かけた衝撃、猫たちの阿鼻叫喚、あれが全てを語っていた。
東京・港区は「野良猫から地域猫へ」のTNR助成金システムは誰にでもトビラを開いている。区外に住む人にでも。敷地管理会社にでも。
前に一つ踏み出せば良いものを、長きに渡り誰一人それをしようとしなかった。
後は野となれ山となれ。猫たちはシーズンごとに悲嘆の中で仔を産み、悲嘆の中で“生き死に”を繰り返していた。これを地獄と言わず何と言おう。
不幸の連鎖を食い止める目的で「TNRの協力」をお願いすれば、自分のプライドを優先させる不遜な野太さ。
そして、オーナー管理会社の不見識と体たらく。
活動当初、すぐに分かったのは、週末やロングバケーション・シーズンには猫たちには一切の食べ物が途絶える残酷物語が何年も何年も繰り広げられていたということだった。
ある女が言った。「土日はお稽古事がありますから」。また別の女が言った。「お正月はゆっくりしたいですもの」。
こういう奴やにこそ、「F〇〇K YOU,HUH」という言葉があるのだと、正直思った。
「ぶっちゃけトーク1」の写真のジュライはいつもそこで待ち人を待つのが習慣になっていた。だから、決っして来ない人を休みの日にもこうして待っていた。
写真は2007年12月24日。月曜日だったけれど、天皇誕生日が日曜日だったため、24日は振り替え休日になった。猫のジュライに振り替え休日など知る由もない。
じっと待つジュライを見て鉄腕ウンガさんは涙がこぼれたという。
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【「無慈悲物語」 ~ぶっちゃけトーク3】上の写真は成長したJ太郎くん。下の小窓にJ太郎くんの赤ちゃんの頃の写真がある。J太郎くんはその地でその春に生まれた赤ちゃん猫10匹前後の中の一匹だった。
J太郎は捨て猫ではなく、TNRの手が入らずに産まれた野良猫の仔。
毎日顔を合わせるようになった清掃会社で長年働く人たちが「毎年シーズンごとに仔猫が沢山産まれていた」と教えてくれた。
50匹を超える野ざらしの猫たちが一つのエリアをラウンドしていた。あれをあのまま見て見ぬふりをしていたら今頃どうなっていたのか。考えるだけで恐ろしくなる。
ポスターを貼り、協力を呼びかけたのは、資金を募るためではなかった。やること(TNR)をやるために協力を仰ぎたかっただけだった。情報(猫の年齢・性別etc)・TNR時の立ち合い・TNR作業事前のエサやりは「しないで下さい」という申し入れ。
しかし、待ち伏せ作戦で出合った人たちは、一度は合意した約束をいとも容易く電話一本でひるがえした。
「この話はなかったことにして下さい」と。お口ポカーンの手の平返しだった。
何でも、ポスターに書いてあった「猫たちが適正管理されていない」とか「TNRの責任を負わない給餌は猫たちを更なる地獄に追い込むことになる」という文言が気に入らず、逆鱗に触れたらしい。
「私たちが何年も面倒を見て来たのに横入りして。前にもTNRを薦められたけれど、ワクチンをして欲しいと頼んだら拒否されたから断ったのよ(人猫共生会議に聞いたが、その人には会ったことがないと答えが返って来た)」と風の伝聞で聞こえて来た。
後にその女たちは〇〇のTNRを全部やったのは自分たちだと吹聴していたそうだ。ヘソが茶を沸かす。
「15年間、重い水を運んで来たのに滅茶苦茶にして・・・」って、15年あれば問題は解決していただろう。
やらなかった累積は、私が散歩で見かけた衝撃、猫たちの阿鼻叫喚、あれが全てを語っていた。
東京・港区は「野良猫から地域猫へ」のTNR助成金システムは誰にでもトビラを開いている。区外に住む人にでも。敷地管理会社にでも。
前に一つ踏み出せば良いものを、長きに渡り誰一人それをしようとしなかった。
後は野となれ山となれ。猫たちはシーズンごとに悲嘆の中で仔を産み、悲嘆の中で“生き死に”を繰り返していた。これを地獄と言わず何と言おう。
不幸の連鎖を食い止める目的で「TNRの協力」をお願いすれば、自分のプライドを優先させる不遜な野太さ。
そして、オーナー管理会社の不見識と体たらく。
活動当初、すぐに分かったのは、週末やロングバケーション・シーズンには猫たちには一切の食べ物が途絶える残酷物語が何年も何年も繰り広げられていたということだった。
ある女が言った。「土日はお稽古事がありますから」。また別の女が言った。「お正月はゆっくりしたいですもの」。
こういう奴やにこそ、「F〇〇K YOU,HUH」という言葉があるのだと、正直思った。
「ぶっちゃけトーク1」の写真のジュライはいつもそこで待ち人を待つのが習慣になっていた。だから、決っして来ない人を休みの日にもこうして待っていた。
写真は2007年12月24日。月曜日だったけれど、天皇誕生日が日曜日だったため、24日は振り替え休日になった。猫のジュライに振り替え休日など知る由もない。
じっと待つジュライを見て鉄腕ウンガさんは涙がこぼれたという。
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