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2014
06.11

にゃんだーガードへの支援声明の裏側

Category: Friendship
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にゃんだーガードへの支援声明の裏側】「にゃんだーガード動物救護隊へ東京から愛を込めて」で、ブログ上で初めて支援声明を出したのが6月4日の日付。しかし、勘のいい人はそれ以前の記事タイトルからこの動きは予想がついたでしょう。
「何が本物で 誰が本物か 分かれば道が定まる」「果てしないヘイト行為」「流言飛語:嫌な記憶がよみがえる」、どのタイトルもにゃんだーガードへのラブコールを暗喩し仄めかしたものでした。
その意思は近々の記事「否定の力に魅せられる人たち」「高みの見物では分からないこと」と続いています。

支援声明は、だから突発的衝動からではなく、考え精査し熟慮し助走路をつけて行いました。一時の感情任せではありません。
にゃんだーガードへの支援声明の最大重要な決め手になったのは、言葉の背後の身体性でした。そこには言葉の裏打ちとして体験して来た動かしがたい身体感覚がぴったりと寄り添い染みついていましたね。何度も言うけど、これは言葉のプロフェッショナルとしての経験知からの判断です。

他人に横領の罪を広く問う(押し付ける)のならば、材料を整えて司直の手にゆだねるべきでしたね。それをすっ飛ばして、どうしてネット空間で虚々を垂れ流しフケが空に舞うような風聞を煽るのか、何もかもが常軌を逃していて、その意図を怪しむばかりでした。運動力学から応用すると、相手を指弾する力を加えようとするのであれば、一方でそれに反する逆ベクトルを同時に用意発生させるのが健全まともな人間の姿です。
もし、自分が間違っていたなら、相手を社会的に傷つけてしまうかもしれない、社会的に致命傷を負わせ抹殺してしまうかもしれない、という危惧心理(配慮)も働かせるべきでした。人を殺してからでは修復不能、それを電子井戸端会議でやる思惑をはかりかねます。人間は針一本でも死ぬのです。

弱小ボランティア団体が支援声明を出したところで何の力にもならないことは重々承知しています。しかし、同じ動物福祉活動に身を捧げる者として、社会活動に参加している❝生きる態度❞を示す意味でそうせざるを得ませんでした。にゃんだーガードに降りかかる痛みは私自身の痛み、素通りすることは出来ませんでした。
もし、私が間違っているのであれば、結果が分かり次第に、ブログは完全閉鎖しFacebookは無論持たずTwitterのアカウントも持たず日本語ネット言論の全てから完璧に立ち去るつもりです。どこかの誰かのブログがやったような、名前を変えて、ランキングサイトのカテゴリーを変えて、などという卑怯な立ち回りはしません。
本当に完全撤退になります言葉の責任とはそういうことです

でも、ここまで書いて来て、ふと思うのは、ブログを止めたら物凄く楽になるだろうなぁーと思いました。下手くそな日本語長文の世界から完全解放です。
ここでちょっとジョークを言わせてもらおうかな。「隊長、お願いだから300円誤魔化していたと嘘でもいいから一言言ってよ。そしたら赤っ恥で顔を真っ赤にしてインターネット界隈から撤収するからさ。撤収! 撤収! よくも恥をかかせてくれたな」って。それは火炎放射器から笑いのガスが大噴射されるってことだね。


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