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2014
07.18

長野 👉猫虐殺男 書類送検 逮捕なし

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。   28℃~23℃   


長野県大町署 👉白猫虐殺男 書類送検 逮捕なし】6月末、長野県小谷村の川で、捕獲した猫をトラップごと水に沈め殺害する〝進行プロセス〟をインターネット生中継した男、アルバイト暮らしの29歳、服部冬樹が動物愛護法違反容疑などで地検松本支部に7月18日に在宅送検された。マスコミ用語でいう書類送検である。

結局、逮捕はされなかった。

この処置で長野県大町署司法警察官の動物虐待への姿勢が示されたと言って良いでしょう。猫を意図的に殺害した犯罪への意識は警察内で軽く見られ、殺す様子をネット配信した公序良俗への罪の大きさも軽く扱われた。
予想通りのこの「大したことじゃない」扱いが、後に社会と人心にどんな影響を及ぼすのか、警察への信頼は増々希薄なものになって行くだろう。余罪の取り調べすらあったのかどうか定かではない。

動物を簡単に始末する者のトラップの所持が気になるところである。

他方、マスコミのこの事件の扱いも非常に軽く手薄く終始した。無感動なスポーツ中継の類いか、傍観者の軽い一筆である。大手新聞各社が記者クラブ制度の中でぬくぬくとあぐらをかき、警察情報をトコロテン方式に垂れ流すだけの機関であることを今回も如実に示した。もはや官の垂れ流しスピーカーシステムであり、官の怠慢や傲慢をただすジャーナリズムの誇りはどこにもない。
結果的に報道した新聞は容疑者・服部冬樹の言い分を垂れ流すのに利用される格好になった。服部冬樹の手前勝手な発言を論評も加えずつないだ記事手法は容疑者の主張に好意的にすら受け取れた。

毎日新聞は書類送検の記事の中で「・・・同村内の川に沈めて死なせ、川に捨てた・・・」と犯行内容を和らげる形で伝えている。怯える動物をむりやり「殺害」した事実が「死なせ・・・」とソフトに置き換えられることにより、受ける印象は随分ちがう。
そして、記事は、最後の段落一つ手前の文末に「反省している」と容疑者の主張で結び、最終段落の最終行でまたもや念押しするように「虐待するつもりはなかった」と容疑者を利する印象操作で締めくくっている。
その毎日新聞は「人間と動物の共存という意味で割り切ってやった」とまで言わせ、容疑者にレッドカーペットの上を歩かせるごとくの扱いをしているのに、記事中には最後まで無残に殺された猫への一行の配慮もなされていなかった

容疑者・服部冬樹の意識の中で動物の命は窒息させ簡単に殺せる軽いもの、警察で動物虐待事件は早く右から左に流してしまいたい軽いもの、マスコミはもうお上に盾つけない軽い存在。かくして「おためごかし」の手打ちとなった。
「おためごかし」とは「表面は人のためにするように見せかけて、実は自分の利益を図ること。『じょうずごかし』とも言う」と辞書に出ていた。三者三様の「おためごかし」、「お前も悪よのー」と顔見合わせる時代劇中の悪人同士の高笑いが聞こえてくるようではないか。
結局、この国はちょんまげ・裃(かみしも)・羽織ハカマの時代から何も変わっていない。封建の価値観のまま、近代への脱皮も図れず、図体だけでかくなった巨体社会、モラル乱れ、国乱れ、身を持ち崩してゆく、アリに食われ蝕まれ溶けて行くダリの絵の世界が想い浮かんだ。

間違った男をただせない社会システム。官とマスコミの責任ある者のなれ合い。殺された猫が不憫でならない。

少なくても男が新聞社の取材に言い放った「殺処分のつもりだった」という権限はこのアルバイト男に与えられてはいないし、私刑=リンチを事なかれ主義で安易に見逃す公(おおやけ)からは腐臭すら漂って来る。「人間と動物の共存という意味で割り切ってやった」とうそぶく言い逃れに、何ら批評を加えないで垂れ流しにするマスコミも常軌を失しどうかしている。感情の劣化と教養の劣化が果てしなく止まらない。腐っている。

殺害された猫の瞳に最期に映った〝恐怖の情景〟がこの社会の本質を全て言い当てている。

腹がへった猫にはとりあえずの食べ物を、やせて外を彷徨う猫には助けの手を差し伸べる、それがあるべき人の道ではないか。

警察やマスコミの胸の内にある日頃の「動物に対する本音」は、動物虐待者・服部冬樹の〝視線の源〟を共有しているような気がしてならない。それが問題だ。本音がそのまま出た事件処理になった。


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