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2014
11.04

枯葉の街 「I’M SORRY...」

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。   20℃~12℃ 

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【枯葉の街I‘m sorry...最低気温が12℃まで落ちて来た。街並の道行く木々は葉を落とし色を失くし、吹く風に枯葉がカラカラと乾いた音を立てあてどなく彷徨っている。わびしさに首をすぼめる季節がとうとうやって来た。北風が吹き出せば、これからドンドン寒くなってゆくのだろう。
朝晩は時に風が冷たく身にしみる。琴ピッちゃんのこと、悔やむ気持ちや惜しむ気持ちはいっぱいあるけれど、「あれで良かったんだ。これからのきびしい季節にあんな体で耐えるのはあんまりにもむご過ぎた。あれで良かったんだ」と傍らで「ごめんね」と思いつつ安堵する気持ちが同時に胸の中で働いている。

この寒々としたわびしい季節がそこかしこに漂い始めると、現場活動では「ごめんね」という言葉が何かにつけて口からついて出るようになる。「寒くてごめんね。雨が降ってごめんね。雪が降って冷たくてごめんね。遅くなって待たせてごめんね。もう行かなきゃいけないけど長居できなくてごめんね、明日必ず来るからね」と色々な胸の内。
この臨場感は外猫と日常的に接する活動をしている人にならリアルに分かって頂けると思う。

本当なら「外猫全員を室内に保護したい」と外猫活動をする誰しもが思いの丈の中に秘めていることだろうが、だけど保護収容には「人員・スペース・金」と絡んで、色んな意味でのキャパシティ(受け入れ収容能力)に限界があり、あえなく地域猫活動で代替させている苦い現実がある。
この負い目が「ごめんね」とわびる心理的要因になっているのだと思う。
さびしい思いをさせてごめんね。つらい境遇を我慢させていてごめんね」と、世話している外猫みんなを室内保護できたのなら、猫にとっても人にとっても、こんなに良く楽なことはないけれど、それが叶わない。
それができていないジレンマがある。次々と供給される人の世の捨て猫問題もある。唯々わびるばかりの地域猫活動の現場模様なのである。

こうして外気が冷えてゆく時、捨て猫した人たちや現場放棄をした人たちは、あったかい毛布の中で何を思うのだろうか。




虐待を受けた猫たち。訳もなくある日忽然と失踪した猫たち。助けられなかった猫たち。交通事故などで非業の死を遂げた猫たち。誤診で死んだ数匹の猫たち。普通に病死した猫たちにも。幾度となく「ごめんね」と繰り返している。

力が足りなくてごめんね。「十分にしてやれたのかな・・・」と自分に問いかける気持ちで言う「ごめんね」と。

遺体を安置している猶予の時間に。花入れの時の折にふれてその都度に。火葬炉の前で手を合わせる時に。遺骨を抱いて帰る道すがらの景色に。
それぞれの猫たちが生きた現場を通り過ぎる時に「ごめんね」カラーが唇にしみついてしまったようだ。


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