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2014
12.02

なるようにしかならない

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。  14℃~10℃   

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【なるようにしかならない】イスラム国の野蛮で西欧人5人目のさらし首となり殺害されたピーター・カッシング氏の両親は「我が子の命を奪ったイスラム国の戦闘員たちを『許す』努力をしたい」と記者会見し表明した。
そして、AFPBBニュースによると、表明には「息子は暗闇に打ちのめされるよりも善良さを自分自身を他人を信じることを選びました1人の人間が違いを生み出すこともできるのです」と心情が付け加えられている。

もし自分がこの立場に置かれたなら「果たしてこういう態度をとれるのだろうか」と自問自答が心の中で渦巻いた。

耐えがたいことを目の当たりにする時、多くは怒りの激情にかられる。しかし、起こってしまった現実を怒りの激情で変えられるわけではない。不帰の人を呼び戻すことはできない。ピーター・カッシング氏の両親の心の選択と対処、果たして自分ならこの立場に置かれたらどうするのか。



見渡す限りの憎悪(Hate)と苦渋(Bitterness)がはびこる世界ではそこに至福の時は来ないと知る」と歌われる11月26日にUPした「My Heart and I」を何度も口の中で噛みしめてみた。
」を運ぶ「」というもの。心のあり方で人は賢者にもなれば愚者にもなる。堕ちもすれば昇りもする。激した怒りの情念で身を滅ぼすことさえある。心どうあるべきなのか、できるかどうか分からないが、ピーター・カッシング氏の両親の強く清い声明の中から例えどんな運命の仕打ちに打ちのめされたとしても「心静かにたたずむ」美しさのようなものが足元を洗うさざ波のように伝わって来た。

一方、同一線上のさざ波の上で11月28日に亡くなった「菅原文太氏の生き方と死」を思い浮かべている。どう生きるのか。どう死ぬのか。どう生きたのか、どう死んでいったのかを。
遺族は「小さな種を蒔いて去りました」と声明を発表している。
菅原文太さんは癌と寄り添いながら、しかし病床に臥せることなく最後の最後まで意思の四肢を十二分に伸ばして生きていた。魂失われることなく、老いさらばえることなく。
亡くなるほんのわずか前11月1日には沖縄の地に立ち、沖縄の風に吹かれ、一万人の聴衆を前に「政治の役割は二つあります。一つは国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これがもっとも大事です。絶対に戦争をしないこと」と静かな口調でスピーチしている。
菅原文太さんは数年前から「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」の心境で日々過ごしていたという。
噛み砕けば「朝に人としてどう生きるべきか道を悟れば夕に死んだとしても後悔はない」のホライズン(境地)に達していたのです。それは彼の生業外の足跡を追えばクリアにうなずける。

自分に死の影がひたひたと忍び寄る中、果たして私はあたふたすることなく「こういう生き方」ができるだろうか。


今、自分の手の中にある猫たちへの福祉活動。日々に押し寄せる難問、鬼門。・・・闇の手に猫を捨てられ、闇の手に猫を奪い取られ、闇の手に哀れ猫たちを弄ばれ、誤診され、変なメールが舞い込み、量産される動物の不幸を横目に何も変わらないこの国の動物福祉のあり方👉膿み方。

切り抜けはいつも「なるようにしかならない」と唇に。

精いっぱい努力はしているつもりなのだが、「なるようにしかならない」と唇にする情けなさが、吹き始めた冷たい冬の風をよりいっそう胸の奥底まで引きずり込むような心中でいる。人間ができていず。力足りず。力及ばず。心のあり方、いまだ道半ばにいる。

「菅原文太氏とピーター・カッシング氏の清らかな冥福を心から祈ります」

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