FC2ブログ
2015
06.08

外猫に並々ならぬ敵がい心を燃やす人たち

Category: 地域猫活動
猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。  25℃~17℃  

DSCN7738.jpg
捨て猫犯 虐待犯 不良エサやりは 闇に逃され 地域猫ボラだけがやり玉に上げられ 裁かれる 


敵がい心燃やすなら もっと勉強して 問題核心にふれてみろ


捨て猫に甘い法律捨て猫する人間に文句を言え


【外猫に並々ならぬ敵がい心を燃やす人たち】猫の存在にクレームを言う人には、目に入った猫が迷い猫であろうが、適正管理されている地域猫であろうが、これからTNR予定の外猫であろうが、捨て猫であろうが、興味の対象外で全々関係ない。要は、猫は彼らの目には石くれ、虫ころ程度の害虫にしか映っていないからだ。
猫など、生きようが死のうが、どうなろうと知ったこっちゃーない、血を通わせられない対象、存在なのだ。
同じものを見てもこれだけ感じ方や価値観がへだたる。もはや、この価値観の乖離は「種の起源と進化」が違うと言い切ってしまうほかない。
しかし、悩めるのは彼らが自説を披露する時、決まって旧来従来の〝市民の縁取り〟から攻撃の矢を放つことにある。善良な一市民の肩書を背にして、被害を大げさに言いつのり、権利を叫び、自称〝善玉砲火〟の言葉の暴力を雨アラレと浴びせる、そして市民社会に害毒をもたらす者は「排除されてしかるべきだ」との論を結ぶ。
まち猫問題のクレーマーたちは「この論法」で終始一貫している。彼らは目の前の猫を自分と同じ生命とはみなさず、慈悲の心が舞い降りることはついぞなかった。あくまでも自分が玉座にすわる王であり、自分が一番正しいのである。

この一か月間、外暮らしの猫たちの写真につけた題字の言葉など、彼らには何の意味もないだろう。路上で風に吹かれ踏みにじられる哀れなチラシの破れ紙みたいなものである。👉 👉 👉 ☟ 
外猫たちは・・・ 好き好んで外で暮らしているわけじゃない。好き好んで捨て猫になったわけじゃない。無視できない現実があり、助けを必要としている猫たち(存在)がいる。地域猫ボラは市民社会の敵なのか。地域猫のID住所を持たなかったら今頃は・・・ ☟ ☟ ☟ 
まさに踏みにじられる紙屑である。猫一匹に敵がい心を燃やす酸素不足社会、因習をすり込まれた世代が何回りすれば新しい空気に一掃されるのか。永遠の平行線にほとほとくたびれ果てている。

大衆市民社会を背にした砲台から敵を撃つ。無辜の民の義勇軍。無辜の民とは「罪のない人々 罪なき民衆」とある。されど、ここまで善悪の見境なく金まみれ欲まみれに入り乱れ汚れ切った時代に、胸を張り「無辜の民」と自称できる人間など本当に果たしているのだろうか。
誰もが多少の後ろめたさに手を染め、誰もが大小の罪を手垢にして生きている。無辜の民≓善良な一般市民のアイデンティティーを盾にして〝千のナイフ〟で攻め込まれたとて、大前提となる「無辜の民」が初っ端から身分詐称の虚偽なのだから相手するのも空しくなるのだ。
えっ、誰が汚れなき無辜の民なの ってね・・・
言ってしまえば、ただやっつけたいだけ。問題の原因である「捨て猫」する行為に事の良し悪しのモラルの欠片すら宿さない見識に、猫が「どこで野垂れ死にしようが知ったこっちゃない」とうそぶける見識に、同意できるはずはなく、共感の足場を共有し得ない天と地の関係に似た遠い隔たりを見るのです。

善良なる一般市民の〝善良〟と〝一般〟とは、その下心が「排除と冷血のことですか」と薄々見えて来た今日この頃、市民とか一般とか善良とか無辜の民とか、そうした曖昧模糊とした〝ふりかざし〟で甲高く物言いする人たちにある種の危なっかしさをひしひしと感じている。人間性って何なんだろうね。「港区貼り紙事変」を促したおばさんへの接近取材報告は次回です。



活動向上のため 新規サポーターを 募っています


DSCN8189xb_20150530222222ad9.jpg

おねがい】多くの人に知られ、多くの人に読まれ、広がるようにポチット・クリックお願いします。

にほんブログ村 猫ブログ 猫 ボランティア・保護活動へ
にほんブログ村

スポンサーサイト



back-to-top