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2015
06.19

こんなにゃんこに誰がした👉 捨て猫文化を斬る

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。   21℃~19℃ 

画像 セイジとレンガ 043
好き好んでここに来たんじゃない 猫問題のキーパーソンは捨て猫人間と罪を放置する政治


【こんなにゃんこに誰がした👉 捨て猫文化を斬る】屋根なしに天涯孤独に暮らす猫たち。それを多くはためらいなく「ノラ猫」と呼ぶ。一匹一頭、いつどうして生まれ、なぜ野ざらし暮らしの運命になったのか。道ゆく誰もそれを気にも止めず通り過ぎて行く。路傍の街路樹や石ころや草木が漠然と何気なく目の中を流れ過ぎて行くように、外歩く猫たちの徘徊を悲劇として心に映す者はほとんどいない。皆無に近い。
外暮らしの猫たちがいること、それは誰の経験にも生まれ育った時から当たり前に目にしている見慣れた光景、だから自然の一部と透過し行き過ぎる。「勝手気ままに生き」野垂れ死の運命を辿ろうと、「ノラ猫なんかそんなもの」と痛みなくそう言い切れるのが、外暮らしを運命とする猫たちを包囲する大方の世の中の空気なのだろう。

路傍の一匹の猫が、いつどうして生まれ、なぜ〝ここ〟でこうしているのか。その不幸に深く痛み入る人間はついぞいない。なぜ外で生きる猫がいるのか。なぜ飼い主のいない猫があまた野ざらしに徘徊しているのか。
一匹一頭のストーリーをさかのぼれば、野に町に捨てられた顔のない人の手がありありと見えて来る。捨て猫である。脈々と続く「捨て猫風習」の成れの果てである。
それが例えノラ猫の子として産まれたとしても、生んだ親のルーツの元々を手繰って行けば、人の悪しき習慣「捨て猫をする風習」にぶち当たる。
捨てられてノラ猫へ。ノラ猫の子として産み落とされノラ猫へ。束の間に人の情けにすがり生き延びても気まぐれエサやりは長続きせずやがて憐れなノラ稼業に突き落とされる。不妊去勢をしない人に限って放し飼い、そして野放図な放し飼いはノラ猫の種子を際限なくまき散らす。果てない外猫残酷物語である。

捨て猫を手軽気軽にする〝悪習〟にギザギザ棘つきの強力な〝縛り”をかけない限り、「まち猫問題」の蛇口は永遠に閉まらない。「エサも水もやるな」と怒鳴ったところで、糧を絶たれた猫たちは延命のゴミあさりをするだけ。
猫たちを野良化させる悪しき文化に大ナタのメスを入れない限りは真の解決にはならない。
だから、捨てられた猫たちにTNRをして命の保障をとりつける私たちの地域猫活動は、世の中にはびこる「猫をめぐる悪しき文化や悪しき習わし」との本当に激しい格闘だった。捨て猫する顔のない闇の手との闘いだった。

結局、猫問題を煎じつめれば、すべて何もかも「捨て猫風習」に行き当たる。野に捨てる。町に捨てる。引っ越しで置き去りに捨てる。動物愛護センターや保健所に捨てる。ペット業者の売れ残りの処分法も「捨てる意識 排除の精神」を内々にしてのこと。「いなくなっちゃった」というネグレクト(飼育放棄)が作り出している捨て方もそう。TNRをしないで次々と子を産ませ、音を上げて現場放棄する捨て方もそう。
エサも水もやるな」と管理されている猫を問題と取り組んでいる人から引き剥がすのも市民エゴによるある種二段階の〝捨て猫〟である。
東日本大震災で置き去りにされた無数の猫たちは飼い主や町から捨てられたばかりではなく、環境省()からも見捨てられた格好だ。
動物の命にせめてのも「情けや倫理」がまるで発動しない文化、捨てられた猫たちとその数少ない世話人だけが重い十字架と足かせをはめられ歩かされている、こんなのってあり 外猫の存在は、断じて自然が自然に作り出しているものじゃない それは人が犯した罪 捨てる罪を犯すなら不妊手術をしろ 不妊手術をする金が惜しいなら初めから犬猫を飼うな



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