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2015
06.20

あの人はもう 私のことを 忘れたかしら

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。   27℃~17℃ 




街は... 後ろ姿の 幸せばかり


【あの人はもう 私のことを 忘れたかしら...】欧米の音楽ばかりでどうして日本のアーティストに目を向けないの そう言われ、しかしマッチする曲がなかなか無く、それは音楽評論家の湯川れい子氏が指摘するように「日本の音楽は一部始終が芸能の域を出ない〝作り物〟で、人の生や世界の様や問題意識にリアルにタッチしない。むしろ避けて通り過ぎる」のがほとんどだから、いつしか縁遠く良い耳ざわりがしなくなっているのが正直な原因、そして理由です。技術的にも「」と首を傾げたくなるものが多く、いってどれも私小説の風景ばかりで、メッセージ力に貧する印象です。
ですが、時はちょうど「にゃんだーガード」の本多明氏の誕生月の折り、付き合いもぴったり一年を迎える2つの時が重なり合う〝エクリプス〟の時節で、本多さんがらみで「日本の音楽を」と何だかんだ探していたら、「愛知県出身の歌手」のキーワード検索で、掃きだめの中にひと際偉才を放つ〝〟を見つけました。
本多さんへのバースデイ・プレゼントは別の曲にしたけれど、ザ・ピーナッツのマジカル・イリュージョン・ボーカルに釣り上げられてしまいました。YouTubeで色んな曲をチェックしたけど、発声の基本も、パフォーマーとしても、コーラス技術も、匹敵する歌手は今の日本には見当たりませんね。「Great」でした。

中で特にひっかかった曲が「ウナ・セラ・ディ東京」。捨て猫の哀愁と歩調を合わせ曲がりくねった道を歩んでいる体験から、「あの人はもう 私のことを 忘れたかしら とても淋しい・・・」と白玉の音符で伸びてゆく歌声に心えぐられグッと来るものがありました。
捨てられ、置き去りにされ、去ってゆく後ろ姿。夕暮れにぽつんと当てもなく残される言い知れぬ心情。
いつの間にか、捨てられた猫たちの憂いと惑いのブルースの響きに変換され、聴こえていたのでした。
ウナ・セラ・ディ」はイタリア語で、ウナ(Una)は英語では「One」に当たり、セラ(Sera)は「たそがれ」や「夕暮れ」を意味し、ディは英語の「Of」に該当する前置詞、「『とある東京のたそがれ』に佇む心模様」と言ったところでしょうか。1964年、東京オリンピックが開かれた年の大ヒット曲だそうです。

この曲から50年、東京は・・・。良くなったのだろうか。悪くなったのだろうか。それとも何も変わらないのだろうか。ネット検索で50年前の東京の街並み画像を出して見比べれば、今の東京はビルの背がぐんぐん伸び景観も整えられそれなりの成長を遂げているのだろうが、刹那の人と刹那の街が重なり合う虚妄の風景は50年の時を繰り越し繰り延べされ、手に負えない大怪獣のように「化け物化」しているようにも思える。

ウナ・セラ・ディ東京」と・・・胸に切なく響く夕暮れ時・・・

ウナ・セラ・ディ東京、今夜も猫待つ街々へスルー・ザ・ナイト、出かけて行く。
捨て猫たちにとって「・・・街はいつでも 後ろ姿の 幸せばかり・・・」の風景が、いつ終わりを告げるのか。



あの人はもう 私のことを 忘れたかしら





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