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2014
04.22

安楽と殺

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。    20℃~12℃ 


安楽と殺】「安楽」と「殺し」、水と油の関係にある言葉だ。しかし、矛盾し合う性質の二つの言葉、「安楽」と「殺」が同一線上にぴったりとくっついて並び立ち一つの熟語になり、「安楽殺」となる。殺処分の別名である。
これを近々では、奈良保健所の「言い訳文書」の中に見た。あまりの奇異さ漂う言葉に目に強く残った。
「殺」だけでは身も蓋もなくあられもない姿なので、「殺」の前に正反対の言葉を与え、「殺」の実際を中和しているつもりなのだろうか。

行政の言葉は行政高官の間で大抵考え出される。言葉でだます。造語でリアル感を失わせ、事の真実の衝撃を緩和させる。官僚国家の慣わし、我々の前に披露される時にはソフト化され受け入れられやすく洗練された「取り繕い」となって現れる。
中身は変わらないのに言葉だけが美麗に装丁される。老人➡後期高齢者、国民総背番号制➡マイナンバー法、フクシマ原発の爆発事故➡爆発的事象、障害者に負担を求める法律➡障害者自立支援法など、表面の言葉で中身が増々見えにくくされる。だましの手口。だまし絵の言葉版。世間ではこれを永田町文学とも霞が関文学とも呼んでいる。

他に永田町文学は「てにをは」を変えることや句点を入れる/外すなどして文脈を変えたり、文意を曖昧模糊にしたりするスーパー・テクニックを備えている。この永田町文学のテクニックを習得するために、入省した新人官僚は数年間に渡りみっちり鍛え上げられるそうだ。

安楽+殺=安楽殺、自らの罪の意識を軽くする効果も狙ってのことだろうが、机上で物事を動かす人にしか考えられない芸当、言葉のセンスだ。血も涙もない。冷血な感覚だ。



これから引用するのは、アエラ‘09年4月13日号に掲載された太田記者のレポートです。殺処分の様子です。
「・・・9時30分、いつものように犬舎の壁が動き始め、この日は柴犬やビーグルなど9匹の犬が殺処分機に追い込まれた。処分機の広さは約3立方メートル。うっすらと明かりがともっている。そのなかを、犬たちは所在なげにうろうろとし、何匹かは側面にある小窓から、外の様子をうかがう。

処分機の入り口が閉じられると、すぐに二酸化炭素の注入が始まる。犬たちはまずガタガタと震え、息づかいが荒くなる。処分機上部に取り付けられた二酸化炭素の濃度を示すメーターの数値が上がっていくと、苦しいのだろう、次第に頭が下がってくる。1分もすると、ほとんどの犬は立っていられなくなり、ゆっくりと折り重なるように倒れていく。(「▲殺処分機で10分、絶命」より)」

これのどこが、何が、安楽なのだろうか? 10分で死にきれなかった子たちは生きたまま焼かれるというエピソードも随分聞いている。

処分機に追い込まれる過程、ガタガタと震える様子、安楽殺とは殺す人間の側が容易く楽に始末できることのように思えて来る。
でも、「安楽殺」と聞くと、聞く側の人間は動物が何の苦痛もなく死ぬと大抵ならとらえるだろう。でも、問いただせば「いいえ、動物がノーペインで死ねるなんて言ってませんよ」と開き直りの行政テクニック・レトリックがオウム返しに返って来そうで、やっぱり、「安楽殺」という言葉は衆目をだますテクニックに思えてならない。


 時間がある人は「猫の郵便プラットホーム2013・5・19号」の「犬猫たちは行政施設でこうして死んでゆく」をお読み下さい。

奈良保健所で強制捕獲器丸ごと連続受取/殺処分の猫たちもこうして死んで行ったのです。いや、殺されたのです。
何の罪もなく、ヘイトたちの気ままと保健所の不見識で。これって犯罪でしょう。殺しが日常業務化していると何にも感じなくなるのかな? 失態の責任は誰が取ったの? ペコリでは済まされない。


99リス

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