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2014
12.11

絶望の山から〝希望の石〟を切り出す

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。   16℃~5℃   

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                                      地続き

【絶望の山から〝希望の石〟を切り出す】自分たちは自分たちの活動に精を出す傍らに「犬猫救済の輪」や「にゃんだーガード」を尊敬する気持ちがある。暑い夏に疲れ果て見上げる現場活動で、冷たい冬の北風に凍える活動途中で、「救済の輪」の結さんや「にゃんだーガード」の隊長の苦労を胸に思えば、マッチ売りの少女の〝一本のマッチ〟のように、突如温もりが降りて来て思わず目頭が熱くなることがあった。それで魔法がかかり「何だ これしき」と現場作業の苦しい気持ちを打ち破って来た心の歴史がある。

地域猫活動は傍観(はた)から見ている程、そんなに容易なものではありません。悪天でも決行する地域猫活動は時に〝土方〟と言われる労働よりきついかもしれない。

寝静まった夜更けの街、社会のすり鉢の底を行く地域猫活動。時に心に一杯の水を。時に真っ暗な心に微かでも良いからロウソクの光を求める。
この国の「猫の保護活動」は本当に圧倒的少数派で、圧倒的無関心や圧倒的無理解に包まれている。
そんな中、遠くはるか彼方にでも微かな〝灯り〟がほのかにでも確認できれば、また足を前に踏み出すことができた。
遠い遠い存在の「にゃんだーガード」や「救済の輪」が共感の光でした。


やってもやっても果てなく切りがない「この国の犬猫の保護活動」をマルコ・ブルーノ氏は「穴が開いたバケツで水を運んでいるようなものです」と例えている。しかし、目の前に絶望の山が立ちはだかろうとも、そこから「希望の光」を切り出そうと、超然と身を挺するのを厭(いと)わず行動する人がいることに〝ハートウォーミングな追い風〟を感じるのです。
先行する灯りがある。「ここで負けていられない」と・・・、そして「自分に負けて終われない。自分の足元にはまだまだ助けを必要としている沢山の猫たちがいる」と・・・。
高い山の頂をうらめしく仰ぎ見ては手元の「捨て猫問題に相対した心の歴史」でした。

絶望の山から希望の光を切り出す

12月7日の記事と12月10日の記事は、そんな結さんやにゃんだー隊長に尊敬の気持ちを込めて書きました。しかし、藪から棒に早速「余裕あるのね」と皮肉っぽい遠投のボールが返って来た。実に世間は本当に広い。ひと癖もふた癖もある色んな人がいる。
『余裕』と受け取られたのか」と一瞬の絶句。長い睫()でパチパチパチと目が点になった。
自分は東京の捨て猫もフクシマの捨て猫も地続きだと思っている。活動の心も地続き、血縁の間柄だと思っている。
フクシマ危険地帯の猫たちが食糧攻めの危機にあるのを知って、どうして知らんぷりできようか。
Think GlorbalAct Loacal(手元で地道に行動し、地球的な視野で考えよ)」という言葉があるでしょ。自分のことばかりにかまけていたら自分さえ見失ってしまうことがある。つながりの中でこそ自分を見つめることができる。つながりの中でこそ自分の活動を見つめることができる。
それを余裕と言うならば確かに「余裕」、お金の面で言えば「自腹」です。


自分主義ばかりはびこっていて、自分の主張ばかりしているボランティアははっきり言って駄目よ。


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