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2016
01.13

日本に生きる孤独2

猫の郵便については はじめにを是非ご覧ください。アーカイブはこちらです。   10℃~-1℃   





【日本に生きる孤独2】欧米から伝えられるネットを見ていると、D・ボウイの死を悼んで本国イギリスだけでなく教会は鐘を鳴らし、自らのコンサートでマドンナやアダム・ランバートやエルトン・ジョンが即座にトリビュートの演奏をし、各人各様の深い意味を込めた「敬意と追悼」のメッセージが聞こえている。しかし日本の風景のどこにもそれはない。知識人と言われる人のツイッターにさえ一行のコメントすらない。専門外のことには〝ノータッチャブル〟な浅さを感じている。
日本では音楽など所詮は芸能や芸事。ビートルズから50年以上経っても、ビートルズすら理解されていない風土ならではのこと。寂しい限りに塩をすり込まれる思いだ。
政治の人は政治しか知らない。経済の人は経済しか知らない。文学の人は文学しか知らない。音楽の人は音楽しか知らない。猫の人は猫しか知らない。各ジャンルが横断し合う柔軟な感性はここにはない。

デーヴィッド・ボウイがひと際〝特異〟だったのは、音楽ジャンルや文化ジャンルを縦横に横断し、アンダーグラウンドからオーバーグラウンドまで自在に泳ぎ渡った能力と感性と自由度にある。それが聴く者の魂にふれ、解放し、風穴を開けた。西欧社会にとって文化の楔(くさび)、へその緒みたいな存在だった。
そして、楔アイコン/その人が消滅してしまったのだから、その嘆き悲しみが分かるというもの。
ぼくにとってもD・ボウイはアイコンそのものだった。少年時代、魂の元素がそこから形作られ今なお渦を成す。でっかいアイコンだ。水を飲むように言葉一つ一つが細胞の隅々まで浸透した。そうしてこれまで。日本で生きるこの感性はポツンと〝辛酸〟を飲み尽くすことになった。捨てられ人馴れしない孤独なノラ猫のように。

D・ボウイでもB・イーノでも何でもいいのだが、それらがこの国で等身大のままに受け入れられないのには2つ3つ理由がある。一つには音楽文化が小さな芸能事の流行物として貶められていること。楽しみの消耗品にしか過ぎない。
二つ目は「言葉の壁」でテーマがほとんど伝わらず、関心がファッションやスキャンダルに目移りすること。所詮、スターはセックス・シンボルに過ぎない。
三番目は、これが一番重要なのだが、精神文化のオタク化。その分野で優秀であっても、他のことはまるでダメ。政治の人は音楽を聴き分ける能力を持たず、文学を読み解く必要がなく。各ジャンルの表現者は政治・社会に関心がなく、意見がなく、口を閉ざす。傷つくことを恐れ、殻に閉じこもり、ただ金を稼ぎ消費生活にいそしんでいるだけ。色んなことに好奇心を持つ少年の心がこの国ではタブー視される。
シールズ登場の去年の夏、「デモは必要か」の横やりには、唖然として度肝を抜かされた。
価値観の横断、ジャンルの横断など、夢のまた夢。本来は色んなことが干渉し合って一つ一つが成り立っているのに。危ないことには触れない、それが身に付いた慣習。何一つ動かない。

1月10日の「デーヴィッド・ボウイの死」についての記事は苦労して書いた。

素通りはできなかった。素通りできる魂の持ち主なら猫活動には入っていない。魂がなければ大きな犠牲を払って猫活動などできはしなかった。
そして、猫ブロガーの落ちこぼれが行く日本の原野、デーヴィッドが最期の時をきちんとまとめたのを完コピして、自分のミッションをしっかり果たし終わらせようと思っている。猫ブロガーにも、猫ボラたちにも、もう甘い幻想も期待も抱いていない。猫の郵便3人は思春期に同じような精神体験をしているので、多くの言葉を交わさなくて伝わり、それがせめてもの救いだ。






                                 







・・・怯まない。顔を上げよう。青空が広がっている。・・・
東八幡キリスト教会/奥田知志牧師の言葉

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